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レイニー・ブルース

 台風13号が猛威をふるい、私たちのイベントー箱根甘酒茶屋劇場ー『箱根八夜2018夏の会』の開催は、前日に中止と決まった。日本中でかなりの被害を出している中、自分の地域が無事なだけでも、正直ありがたい。そして、先の被害を想定するのは、しごく当たり前のことである。

 そんな私は、実は前の日に、悪天候の影響を受けていた。台風の上陸を前に、山形に集中豪雨をもたらした低気圧により新幹線が全線ストップし、列車全体のダイヤが大幅に乱れていたのだ。私はちょうどヤマノミュージックサロンの授業を終え、東京から帰るところであった。その時は、まだ箱根八夜が中止とは決まっておらず、前日リハーサル、荷物の搬入を前に、どこにも寄り道をせず、まっすぐに帰宅の途についた。

 かみさんからのラインが届く。家の周りが、すでにひどい雨により、停電を繰り返している。ダイヤの乱れも必至だろうから、お金がかかってもいいのでグリーン車に乗って欲しいとのことだった。確かに以前、大雪で電車が停まり夜明かしに近い状況があり、グリーン車に乗っていたために、かなり身体への負担を防げたということがあった。大仕事の前、追加で980円を払ってでも、体調不良を防ぎたい思いはあった。考えることはみな同じ。グリーン車は人で溢れていた。眠る人、スマホで映画に見入る人、酒盛りで盛り上がる人、誰もが長時間の滞在をすでに受け入れているようだった。

 車内放送がひっきりなしに入るが、いつになっても具体的な情報がない中、一駅単位で動いては停車を繰り返し、最初の一時間が過ぎた頃、とある駅で、予定とは変わるが、向かいのホームから出る電車の方がやや早く出発できるとのアナウンスが流れた。すでに長居を決め込む人々は無視を決め込んでいたが、もともとが長時間移動の私は、少しでも早くと、乗り換えを決意した。

 グリーン車からグリーン車へと無事に乗り換え、ものの数分で電車は動き始め、すぐに次の駅に辿り着いた。その駅は通常は通過するため、一時的な時間調整のための停車であり、ドアは開かないとのことだった。また列車は次の駅に向け動きだす。今度は移動も順調なようだし、車内には若干の穏やかさが戻っていた。やはり、乗り換えの判断は間違ってはいなかった、そう安堵する頃、いきなりのアナウンスとともに列車が急停止した。『緊急停止ボタン』が押されたとのことだった。

 静寂の後にかすかにざわめき始める中、駅員が私の乗る列車の外に集まって来る。どうやら、この列車の問題のようだ。あまり気にしないようにしていたが、すっとんきょうにデカイ、男の声が響き始める。

 「なんで、開かないんだ!?」

 どうやら、すぐにドアが開かないことに腹を立てているらしい。みるみる駅員が集まって来るが、不思議に制服の色に違いがある。ともに首を傾げつつ、時折笑顔を交えた困り顔をのぞかせる。説明では、もともと停まる予定ではない駅なので、現場ではドアを開ける判断が出来ないとのことだった。制服に違いがあるのは鉄道会社の違いで、別の会社の電車に手を出していいのかどうか、と混乱していた。

 数分が過ぎた頃、ドアを叩く音と、ドア越しに説明をしようとする大声が響き渡った。

 ドンドンドン「開けろ!」
 ドンドンドン「聞こえてんだろ!開けろ!」

 声はみるみるどなり声となり、やがて情報を含むものとなっていった。

 ドンドンドン「だから、『緊急停止ボタン』を押したのは俺だよ!子供が具合が悪いって言ってんだ!聞こえてんだろ!ドア開けろよ!」

 どうやら病人のようだ。この男は親だろうか?なんとなく違和感のある話し方ではあった。

 ドンドンドン「会社が違うとか言ってんじゃないよ!誰でも構わないんだよ!
子供なんだよ!早くしろよ!緊急事態だろうか!とにかく開けろよ!」

 ガラス窓の外に車椅子がふた方向から運ばれてくるが、双方のゼスチャーから、対応が重なっただけで、対象は一人であることが伝わってきた。さらに大きくなるドア越しの会話は、この怒鳴る男の言い分が正しいようには聞こえるものの、なぜか共感ができなかった。何人かが声の方へと向かう。スマホを持ち、トラブルを動画撮影しているようだ。車内がざわめき始める。

「うるせぇな、なんにしても、怒鳴るなよ」誰かが言う。これにはすぐに共感が出来た。おそらく、この車内の全員が。すでに駅員が集まって来ている、ドアを開けようともしている。みんな長い時間閉じ込められており、ストレスもかなりのものだ。とにかく、解決は時間の問題だった。それなのに、なぜ怒鳴り続ける。子供が血でも吐いているような絶対絶命だとでもいうのか?すると、怒鳴る男から、いきなり『理解の出来ない言葉』が、叫ぶように飛び出した。

 「こんなことなら、オリンピックなんか、到底無理だよ!」

 車内にすごい数のクエスチョンマークが飛び交う。

 「だってそうだろ!この状況でさ、テロなんか起きたらどうすんの?会社同士でも、こんな壁があんのにさ、外国人の旅行者なんか、絶対に助けられないよね!!
無理だよ、オリンピック、無理無理!!」

 車内全員がひとつの意思でつながる。まるで蜂や蟻のように、集合意識体となったのを感じる。状況は一変した。子供うんぬんではない。普通ではない男が『緊急停止ボタン』を押し、ドア越しに怒鳴っているのだ。ひょっとすると、ドアを開けないのは、この男を下ろさないようにするためなのかもしれない。男の話はますます支離滅裂になっていき、その声も軽い笑いのようなトーンが混じる。スマホを片手に動画を撮りに行った数人も、後ずさりしながら席に戻ってゆく。

 そして全員が何気に列車の後方を見る。グリーン車の最後尾のため、遅ればせながら、密室であることに気づく。前に異常者、後ろは壁なのだ。男はなおさらにドアを強く叩き、何かの体制批判のような文言をまくし立てている。

 この時に、私は、多くの視線に気が付いた。通路を挟んだ隣の乗客が、すごいギョロ目で私を見つめている。それは「どうしましょうか?」と、私に聞いているようだった。斜め後ろのサラリーマンは、アゴを何度かふり、「行く?行くかい?先に?どう?」と、打ち合わせをしているかのようだ。そして後ろの女性は大きくツバをのみ、小刻みにうなづく。まるで「気をつけてくださいね」と、私を気遣うように。

 えぇー!?なんで?私、行きませんって!!いつから?いつから、そんな流れになったの!?見れば、私は車両の先頭にひとり。怒鳴る男は、周り混んだ螺旋階段の向こう側だが、一番近いのは、私なのである。確かに、ざっと見渡せば、顔の怖さと、キャラの際どさで行けば、まぁ、私ということなのだろうが。。。

 でも、でも、いつさ?いつみんなで決めたのさ!!私が行くって、いつ決まったのさ!?私は大きく首をふり、無駄にスマホを開いた。通路を挟んだ男はズボンをあげ、ベルトを締め直して、舌舐めずりをする。「アニキ、オレ、やりますよ」的な血の気の多さだ。後ろの女性の咳払いは、「タイミングは私が測りますから」と、モールス信号のような明確さで伝えてくる。

 なんだよ、なんなんだよ、この人らは!?行かないよぉ!!行かないったら!!ちょっとばかり、顔が怖いからって、なんだよ!!グリーン車に乗ったんだよ!!グリーンにさ!!980円払ってさ!!みんなと同じさ!!みんなとさ!!!

 やがて、ドアが開き、子供達数人と母親が降りていく。子供達は飛び跳ね、とてもではないが、具合が悪そうには見えない。あとから降りた男の姿に、車内の全員がガラス越しに食い入るように見つめる。その注目度はパンダの比ではなかった。

 男は『バックパッカー』のような出で立ちだった。着替えと食器のようなものをバッグからはみ出させ、だらしなく駅員に近づき、笑い顔とも驚き顔ともつかない謎の表情で、なにかを怒鳴り続けていた。子供との関係は、なかったかのように見えた。

 やがて電車は動き出し、また次の駅に向かった。かなりして、車内アナウンスで、前の駅でトラブルがあったと伝えられた。大雨でも台風でもなく、それは、人災だったのだ。

 車内は、また赤の他人の集まりに戻っていた。あの、テレパシーのような意思疎通も、もう存在しなかった。私は、真っ暗な窓ガラスにぼんやり映る、自分の怖い顔を見つめながら考える。今までもだったけど、この先も、この怖い顔が役に立つことが、はたしてあるのかなと。この無駄に怖い顔のせいで、私は常に、怖い思いをして来たのだ。

 日付をまたごうという頃、電車は静かに、私の地元に到着したのだった。

2018.8.9