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青レンジャーの法則

 『青レンジャーの法則』をご存じだろうか。ああ、知ってるよ……そう言われたら、正直、私は気絶するほど驚くことだろう。飲み屋で一部の人にしか話したことのない、私のくだらないたわごとだからだ。なぜ今になってこんなことを書くのか、……それは、数十年の時を経ても一向に減る事の無い『自称青レンジャー達』を、いつの日にか完全に撲滅させ、各人にさらなる自粛を促してゆきたいがためである。

 「俺ってさ、どうも人と付き合うの苦手でさ、派手なパーティーはパスな」などと誘われていないのに断る。「リーダーってガラじゃないんだ、俺。ナンバー2で十分さ。人前は苦手でね」などと推されてないのに辞退する。「この俺が言うんだ、間違いないさ」などといきなり現れて補足発言する。このように周囲を混乱させ続ける『自称青レンジャー達』を、私は、このまま野放しには出来ないのである。

 ここでふれる『青レンジャー』とは秘密戦隊ゴレンジャーのメンバーであり、構成員の中では最も人気がある存在だ。極めてクールであり、皮肉屋でなかなか周囲と打ち解けず、単独行動を好むというような点なども、憧れられる要素と言えるだろう。では『法則』とは何を指すのか。それは、一体どのようにすれば、そのポジションが手に入るのか、ということの法則性である。青レンジャーは他のレンジャーと違う。色、技、いやいやそんなものではない、もっと重要な部分が違うのだ。

 ではその核心を先に述べよう。『青レンジャーは目指すものではない。周囲から認定されるものなのである』

 それは立候補ではなく、推薦や多数決によって決まる、特殊なポジションということなのである。それを知らずして、男達の多くは、このポジションを目指し、そして挫折する。力不足、自己認識不足、もちろんそれらもあるだろう。だが、最も間違えているのは、それを『目指そう』とすること、そして『なろう』と試みることだ。

 ゴレンジャーというのは赤、青、黄、緑レンジャーという4人の男性、そして桃レンジャーという紅一点の5人組の武装集団である。この5人にはそれぞれ組織上の役割があるが、それ以前に、お子様達を夢中にさせるキャラクター性がある。赤レンジャーはリーダーで、責任感が強く熱血漢。黄レンジャーは怪力で大飯喰らい、そして少々ドジだが憎めないピエロ。桃レンジャーは女性ながらも格闘家並みに強く、とどめを男性に譲る奥ゆかしさをも持っている。緑レンジャーは地味ながらも集団の輪を重んじるバランスメーカーで、緑や花を大切にするエコロジスト。そして、我らが『青レンジャー』である。

 このように、ゴレンジャーはそれぞれの色の印象にも重なるさまざまなキャラクター性を持ち、その後の5人組ヒーローキャラクターの『基礎』を作り上げた。また、ゴレンジャーはヒーローもののみならず、合体ロボットものにもそのキャラクター構成を定着させ、まさに日本における『5つ役割』を決定付けさせた作品ともなった。男女雇用機会均等法の関係か、それともオモチャ屋の都合かは知らないが、最近では男3女2というバランスも珍しくなく、近い未来には男1女4という『理想戦隊ハーレム5』なる番組もありえる訳だが、それでも変わらないであろうことがひとつだけある。青レンジャーに該当するナンバー2のポジションが、今後も変わらず、最も人気があるだろうということだ。ではそれほどまでに皆が憧れるポジションを、なぜ、目指すことが出来ないのか、……『青レンジャーの法則』とは、一体何なのか。

 今度は、もう少しくだけた言い方をしてみよう。『青レンジャーだけは、資格職なのである』

 この資格とは、ズバリ人間的な『器』である。はっきりとしたライセンスではないものの、赤黄桃緑といった他のレンジャーになるには、特に必要がないものなのである。例えば赤レンジャーになりたければ、リーダーになれば良いのであるが、実はこれといった資格は必要ない。ただしある程度の責任がつきまとうことを覚悟すれば学級委員等と同様に、ありつけるポジションなのである。また黄レンジャーになりたければ、とりあえず三枚目を演じれば良いのだ。その振る舞いは面白いにこしたことはないが、笑わせる力よりもドジであるということの方が重要であろう。そして共に、自ら私はリーダーの赤レンジャーだ、あるいはドジの黄レンジャーだと名乗れば、その時点でポジションは確定、反対されるようなことも少ないはずだ。リーダーは集団に一人であり、ドジもそうかぶるものでもないからだ。また桃レンジャー、緑レンジャーも同様に、自分から名乗ることで容易に手に入るポジションである。つまり自称赤レンジャーは、そのまま赤レンジャーでも問題はないのである。黄桃緑も、その点は同じであろう。

 では、青レンジャーはどうか?「俺ナンバー2っぽいから青レンジャーかな……」とつぶやいた途端に「それはどうかなぁ~違うだろうが~」という反感が、どこからともなく沸き起こるはずだ。これが他のレンジャーとは明らかに違う点である。くわえて「どちらかっていうと、お前って、その他レンジャーだよな」とまで言われてしまうことだろう。このような愚かな発言をしてしまうこと自体、まぎれもなく『自称青レンジャー』である証拠なのである。リーダーのような人気もなく、黄レンジャーのような愛嬌もない、もちろん女性でもなく、輪を尊ぶ人格者でもない。まさにその他レンジャーなのである。

 青レンジャーには容姿的にもかなりの制約がつきまとう。つまりリーダーよりハンサムで、メンバーの誰よりスタイルが良くなければいけない。また射撃やバイクといったスタイリッシュなもので世界大会クラスの成績を納めつつも、それを惜し気もなく放棄するほどの破天荒さが必要だ。その上での単独行動や皮肉発言だからこそ、どんな時にも何かしらの説得力を持ち、一目置かれる存在であり続ける訳だ。言わば、ありあまる才能から許される、少々の付き合いづらさといったところだろう。これを、愚かにも付き合いづらさだけを真似たり、不自然な単独行動で装っても、それを許されるだけの才能がないため、周囲の怒りをかってしまうのは当たり前なのだ。また、実力が無いからナンバー2なのではない。実力はナンバー1だが、ガラではないので、リーダーを引き受けないのだ。当然、ナンバー3、4、5クラスが発言する内容ではない。だいたい青レンジャーは、本来は秘密戦隊に入る必然性が全くないのだ。『秘密戦士青レンジャーさん』でも十分なのであるが、戦いが長期化し持久戦となるため、仕方なく集団行動をとっているのである。

 もし自分達の周りで、いつもどの集団にも近付かず、見た目がすこぶる良い上に全てにおいてナンバー1の実力があるくせにそれを表には出さず、隠れて捨て猫などにミルクをやりながら、「そうかお前もひとりぼっちか、」などと呟く者がいたら、唯一、彼が青レンジャーの資格を持っているのである。間違っても集団に属し続ける輩が、自分から気軽に名乗るものではないのだ。そして遠くからそいつを眺める集団が、「なぁ、あいつって、青レンジャーだよな?」「うん、そうだそうだ、まさに青レンジャーですたい」「そうよそうだわ、青レンジャーよね」「俺も賛成、あいつは青レンジャーだよ、意義無し」というように、満場一致の採決を出せたのなら、それこそが、正しい青レンジャー承認ステップであり、まぎれもない青レンジャー誕生なのである。なのに、男たちは、その承認ステップの存在に気が付かず、いつの時代も、青レンジャーを自ら名乗ってしまう。そしてことごとく周囲の反発をかい、そのことで生じた敗北的孤独を青レンジャーのものとすりかえて、気を紛らわすのだ。

 ではなぜこのようなタイプに憧れ続けてしまうのか、名乗れば手に入る他のレンジャーのポジションではいけないのか。それは、『立候補に対する嫌悪感』ではないだろか。つまり、赤レンジャー、青レンジャー、ということではなく、名乗ることでは手に入らないポジションであるがゆえに、青レンジャーを目指すのではないか、ということである。もし黄レンジャーのドジで食いしん坊という要素が、その度合いを競う必要があれば、他の承認を求めなければならない分だけ価値を持つはずである。緑レンジャーの輪を尊ぶ心が集団の生死を左右する状況なら、やはり周りの推薦が必要である。しかしこれらは、やはり立候補でなんとかなるものであり、周りに推薦されるものではない。ゆえに、やはり求めてしまうのは自分の意思ではなく、周りに形作られる尊敬ポジションだ。全てを手に入れ、なおかつ周りから称賛された証である青レンジャーのポジションを、求めてやまないのである。

 私の周りにも多くの『自称青レンジャー達』がいたが、やはり一人として周りの承認を得られないその他レンジャーであった。しかし自称青レンジャーはそれを諦めず、ことあるごとに青レンジャー的素養を印象付けようする行動や発言を繰り返す。また周りも無視すればいいのにそれを執拗に否定する。誰もが持つ人間本来の、青レンジャーへの憧れやこだわりがそうさせるのだ。また、己は間違っても青レンジャーに立候補するような馬鹿ではないことが、自分が常識人であるとも実感させ、かなりの強気で、相手の間違いを正させようともするのである。

今回私は、思い切ってこの『青レンジャーの法則』を発表してみた。より良い集団形成のため、円滑な人間関係、適切な役割分担のため、ひいては、日本の未来のために。我々は今日も、青レンジャー像を守り続け、『自称青レンジャー達』を許さない。明日も、明後日も、そして未来永劫に。

ご清聴、真にありがとうございました。  
自称・紫レンジャー 広瀬哲哉

2012.4.2