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僕の “やや終わりに差し掛かった” 自粛日誌 その⑨ 2023年春夏編

2023年 
コロナ禍で自粛生活となったのをきっかけに、いろいろな出来事を記録しようというくらいの軽いノリで書き綴ってきた『僕の自粛日誌⑧』も、なんと『その⑨』にまでになった。
ある程度は元の生活に戻して行こうという社会の流れに合わせ、タイトルに「やや終わりに差し掛かった」と入れ、これからも自分の記録として、気楽に書き続けて行こうと思う。

3月末頃
かみさんと進めて来た新企画の外ロケの動画撮影で、近くの他県へ小旅行に行く。というか、むしろ旅行に出る理由として、外撮影が必要な動画撮影企画を立てたというところだ。
この時期の新規感染者は8000人台のまま下げ止まってはいたものの、もはや検査に行く人がほとんどいないとあって、あまり外出の際の判断基準にはならなかった。
そんな中、向かった某所は、早い人ではすでに春休みに入っているというのに、観光地としての賑わいはまるで感じられなかった。その上、早朝撮影に挑むため無駄に前泊を決め込んだというのに、21時にして辺りはすでに閑散とし、どこの店も空いておらず、旅行気分はまるで味わえそうに無かった。
さらについてない事に、ようやく見つけた飲食店のガラスのドアを開けるやいなや、自分のドジでそれに頭を打ち、撮影前日まぶたの上にコブを作ってしまう。おまけにその店もちょうど閉店するというところで断られ、その後にようやく見つけた店で、どうにかこうにか僕らは遅い食事にありつけたのだった。

そこは台湾料理の店で、7~8人の大学生風の集団が飲み会をやっていた。長いコロナ禍の成果なのか、器用なまでに静かなまま盛り上がりをみせていた。
政府が「マスクに関しては個人の判断とする」と告知してから約一週間ほど。店員さんはさすがにマスク、あとは全員ノーマスクだった。数日前の東京の教室の時にはまだ見られなかった光景だ。
こうして地方からマスクの出口戦略はスタートするのかもしれない。それが自然な事だろうし、リスクも少なくて済むはずだろうから。
おかげで僕らも、久しぶりに感染面でナーバスにならない外食を楽しめた。

宿の落ち着かなさのせいかなかなか寝付けず、結局一睡も出来ぬまま、翌日の朝を迎える。
早朝から移動し、滝をバックに動画撮影をスタートさせた。
「Mr.コールの旅」という企画で、僕が探検家風なコスプレをしての撮影のため、できるだけ人には見られたくはない。まぁ、そもそもの場面設定が「誰もいない世界」のため、人がいる事自体が映像的にまずいのだ。

ところが滝の風景撮影をしたい人が次々に現れ、その都度こちらの撮影も中断する。テレビ局の撮影などではないので誰も気を使ってはくれず、堂々とカメラの前に割り込み、自分の撮影を優先させる。
その後も場所を変え数カ所で撮影し、直射日光での疲労感から早めに自宅へと戻る。
さっさと旅の荷物を片付け、洗濯などを済ませ、情緒もへったくれもなくその日の内に旅行モードを切り替える。
翌朝は当たり前のように、全身「激」の付く筋肉痛となった。

その朝に何気なく見たSNSで、岐阜に住んでいた頃にお世話になっていた飲食店のマスターの訃報を知った。
味も雰囲気も最高のレストランで、僕のカフェライブや、かみさんの作品展示などで、2人してマスターご夫婦にはお世話になったものだ。
かつてはぶらりと神奈川のうちへも遊びに来ていただき、コロナ禍になってからも箱根に来ていると連絡を頂いた事があったものの、その時はたまたま夫婦揃って発熱していて、念の為お会いする事は控えてしまった。それが最後の機会だったのが悔やまれる。

悲しみの中、雨の日が続いた数日後、コロナ禍になってから初の制限なしの桜シーズン到来となる。とは言うものの、その週末となるも、残念ながら連日悪天候に終わってしまう。さすがに例年にない温暖化の影響で桜の開花も異常に早く、雨の影響で、咲くなりすぐに多くが散ってしまったようだ。
僕らは動画企画の撮影の為、かなり早めに梅や桜の見物を行っていたので運が良かった。
まぁ僕らは撮影を行うのが目的のため、酒なども飲まず、撮影の合間に桜を眺めコンビニの弁当を食べるような、慌ただしい花見ではあった。

そんな憂鬱な日々の中、尿路結石の診断から約1ヶ月後の診察で、再度レントゲンにそのままの石の影が映る。やはりそう簡単には排出してはくれない。破砕処置の説明は聞くものの、医療費の事などもあるのでもう1ヶ月待つ事をあっさりと決める。
やれやれ、来たるべく「その時」を想像しながら、また浮かない日々が続いて行くのか。

続けざまに、再び撮影旅行へと出掛ける。実に久しぶりに観光シーズンと重なっての旅行となった。これもまた「Mr.コールの旅」という動画シリーズの最後の撮影で、これで年内公開予定の、5作品分の映像材料の全てが撮影し終わる事になる。

今回の動画の舞台が「砂漠」の設定となるため、極端な地形が名物の「砂浜」2箇所を撮影し、その後画面上のレイアウト加工で砂漠風に見立てる事になる。
現地は見事に春休みの観光客だらけで、「一人きりの世界」に見えるように撮影するのは不可能に思われたものの、何とか人のいない隅っこを確保し、僕以外は誰も映らないアングルを探して撮影をスタートさせる。
この作品は音声の録音が不要なので、自分が「孤独」を演じれば、映像的にはなんとかなる範囲だ。つまり観光客が大勢でワイワイやっている場所で、僕ひとりだけが寂しい顔をしながら、誰か人がいないかを探しているという異様な状況を演じ切り、撮影したものを後で無人のようにレイアウトする訳だ。

その場所は60度くらいの転げ落ちそうな丘陵で、ほとんどの人はソリでアクティブに滑り降りる為にわざわざやって来る名所だ。重い荷物を背負っての撮影は、下手をすればかなりの事故に繋がりかねない。かと言って今更やめる訳にも行かず、今回でシリーズの撮影も最後とばかりに、何とか気合で予定のシーンの撮影を消化させて行く。

砂で足がとられる過酷な撮影が朝から半日近く続き、慣れない動きですぐに足腰はガクガクになるものの、そのまま休まず2箇所目の砂浜へ移動する。
そこでは平地での撮影の為、肉体的な苦痛はないものの、カメラを構えるかみさんは遠く離れた場所から僕を撮るので、動き方の指示をスマホ電話から出して来る。つまり、今度は変な格好をしているおっさんが、ただひとりキョロキョロしながら、砂浜を歩いている訳だ。
遠目で数人のサーファー達が僕を眺めている。謎の探検家姿がさぞ怪しいのだろうが、僕からしてみれば、みんなしてゴムスーツで海に入り、大きな板で波に乗っている方だってなかなかに怪しいものだ。つまりは人数比の問題だ。
なんにしても恥ずかしい時間だった。

その日の撮影が無事終わり、すでに立つのすらしんどい中、早めに近くにあるお気に入りの温泉旅館へと向かう。豪華な食事などは付けられないものの、貸し切りの家族風呂もあり、誰にも気遣いがなく非常にのんびりとできた。
夜は賑わうであろう駅前に食事に向かうも、春休みとはいえ、平日だったせいか閑散とし、閉めている店がほとんどだった。
それは、この時期に新規感染者が横ばいだった8000人代から再び上がり始めていたせいなのか、はたまた僕らが行った旅先が旬な桜の名所ではないせいなのか。
夕食に入った無駄に広い店は、僕ら夫婦2人の貸し切り状態だった。
テラス席には海外からの旅行者家族が食べており、さすがに誰ひとりマスクなどつけてはおらず、なんとも言えない感じでマスク姿のこちらを見続けていた。
見掛ける内の半分近くは海外の方々なので、僕ら側には実に異国情緒があった。

食後にたまたま通った夜桜街道で、満天のソメイヨシノがどこまでも続く中を散策する。
満ち足りた気持ちではあるものの、つい歩き過ぎて、旅館に戻ると足がつり始め、なんとその後の風呂では持病の「脇腹のつり症状」が再発し、いつもの激痛を味わう一歩手間くらいまでになってしまった。
この痛みが始まれば全ての予定は一旦停止。かみさんは急いで風呂から出て部屋へと戻り、薬を持って戻って来る。僕は痛みが引くまではひたすらに耐えるしか無い。
その後、刺激を与えないようゆっくりと部屋へ移動し、後は療養生活のような、冴えない地味な夜を過ごすのだった。

早朝起き、脇腹に特に違和感がなかったので、再度混浴ができる大風呂へ。
かみさんは前回の旅行同様、また混浴風呂にマスクをつけたまま現れ、急ぎマスクを置きに戻る。なかなか慣習というのは変えられないものだ。

そのまま、早めのチェックアウトで別の企画の撮影に向かうも、残念ながら天候は曇り空。
かみさんいわく「曇り空の方がモノの色味は深く出る」という事で、ハーモニカの撮影には良かったのだけれど、昨夜の疲れから来る集中力の無さで、ただ浜辺に車を停め、しばし眠る事に。
やや体力を取り戻し、お気に入りの「おかあさんの食堂」のような店に寄って昼食をとる。変わらぬリーズナブルさで、出て来る食べきれないほどの山盛り定食を前に、僕らはスタミナを取り戻し、安全運転でのんびりと帰宅の途につけたのだった。

この旅は天候が要だったので、数日前から天気予報とにらめっこだったのだけれど、見事にギリギリで撮影に成功したというところだった。一日ズレていたら悪天候で撮影は全て空振りだったのだから。
そして後になり、さらにギリギリだったと再度痛感させられたのは、天候の事だけではなかった。


翌日から4月になった。
夜になり、腹痛が始まる。最初は、朝に食べた賞味期限を10日以上過ぎたヨーグルトのせいかと疑いつつ(どうせ下痢だろう)くらいに軽く考えていたものの、いつになってもトイレに行きたいとは思わない。次第にかなりの激痛になり、最悪食中毒を疑い始める。
痛みはどんどん増し続け、ひょっとしてと、痛みの場所を慎重に探る。そして、先月の恐怖が蘇る。間違いなく「結石」が移動している痛みだ。
尿路結石の諸先輩方の話では「出る時は解るよ」というくらいの軽い話だったけれど、痛みはすでにかなりの時間続いていた。
痛み止めでなんとか山場は過ぎるものの、数日前の脇腹のつりの再発から、それらが組み合わさった場合の激痛を想像するだけで、すでに気絶しそうになる。
結局、痛みと不安からその日は寝る事も出来ず、明け方くらいまで布団の中でもんもんと起きていた。

明け方、眠い目を擦りながらもトイレへ。
あらかじめ準備しておいた尿を取る用のカップに、それは静かに転げ落ちた。
痛みこそないものの違和感だけはあった。
見れば、黒いタネのようなものがカップの底に沈んでいた。

終わった、なにもかも。。。

感傷に浸る間もなく、医師から言われた通り慎重に取り出し、小さな入れ物に保管する。休み明けにこれの分析をしてもらい、しっかり再発を防止しなければならないのだ。
全く、たかだかこんな5ミリ強の物体のせいで、一体どれだけすったもんださせられた事か。
「石が出れば終わり」、そう聞いていた通り、翌日、泌尿器科で出て来た石を検査に出し、これで僕の尿路結石物語は静かに幕を閉じたのだった。
振り返れば、日付的には本当にギリギリだった。1日前の旅先でこの状態になったらと思うと、心底ゾッとする。

そしてこの日、世界的に活躍する偉大な演奏家 坂本龍一の訃報が届く。僕らの世代だとやはりYMO、映画で言えば「戦場のメリークリスマス」だろう。
ネット番組「アーク・タイムス」の追悼の企画で、彼が原発反対を含め様々な活動家だったという顔を知る。
驚くのは反原発発言により電力業界の圧力から、彼ほどの天才が仕事の場を追われ、海外へ渡らざるをえなかったという事だ。いかにここ数十年で、日本が異常な段階に入っていたかが伺える。
報道では彼が日本の選挙の実情をかなり心配していたともあった。
ちょうど選挙の期間という事で、僕ら夫婦はできる限り今後の国の未来を考えた上で、いつもの期日前投票で、自分達らしい一票を投じる事にした。

4月中旬
実は2週間ほど前から、今後の複雑な動画制作のため、新しい編集ソフトの勉強を始めていた。「アドビプレミアム」というソフトで、その複雑さと、自分の思考回路との相性の悪さから、かつてギブアップしたシステムだった。
今回、グリーンバックを使った合成画面が多く、今まで使っていたアイ・ムービーという編集ソフトでは限界があると、やむなく取り組んだのだった。
僕の学習方法は、自分がメモしたい部分を先に動画で撮り資料として編集し、完成した動画を見ながら改めて文章でメモを取るというもの。自分用語しか解らないため、こんな回りくどい方法を取るしか無いのだ。
ある程度の事が理解でき、実践的な訓練も含め、予定していた動画の制作を新しいシステムで開始する。
ソフトが初めてだと作業の段取りや手順も全く違う。加えてすこぶる肌が合わないのでイライラが続く中、なんとか試行錯誤を繰り返し、サポート用に使い慣れたアイ・ムービーと併用しながら、どうにかこうにか苦心の作が仮完成する。

この段階で、かみさんに視聴してもらい意見を求める。とはいえ、すでに自分の中では「仮」ではなくほぼ完成品という自信作に仕上がっており、かみさんには確認をとるような段階だと思っていた。
この後は文字入れなどのスマートなデザイン作業をお願いするため、一旦かみさんに全ての作業を引き継ぐ事になるのだ。
ところがそうすんなりとは行かなかった。
かみさんから「私の方でやってみるよ。編集前のデータ、全部渡して」と、一言。理由は仕上がりが「シロウトっぽい」からだそうだ。
まさに瞬殺。これまでの苦労を考えれば、あまりにもむごい判断だった。

納得できないので細かく編集動画の問題点を聞くと、背景との合成で使う「フリー素材」がどれも映像的には合わず、ガチャガチャしていて見づらいという事だった。
本作を制作する前にかなり精度のあるラフの動画試作を作り、かみさんへの事前の構成の確認をして来たつもりだったのだけれど、それに対しても「ラフは、ラフだからさ」の一言だった。
そうなれば、こっちだって(じゃあ、そっちなら、最高のモノが出来るのかよ?)と言いたくもなる。今、現実に比較で出来るような動画を仕上げ「こっちの方が良いだろう?」と言われた訳では無い。お疲れさまの一言も無く、「とりあえず、あなたのはダメだ」と、一方的に言われたのだから。

と、まぁ、文句を言っても始まらない。僕は渋々データを渡し、引き継ぎをし、かみさん版の編集を待つ事になった。
確かに「結果良ければ全て良し」なのだ。それに今までにもこんなやり取りは山程あったし、かみさんは今までも、僕との「センス」での戦いに常に勝ち続けているのだから。

ちょうどこの頃「Chat GPT」なるAIを使い文章作成を行わせる事が話題となり、その是非や、学生のレポートのカンニングなども危惧されていた。
さまざまな問題はあれど、要は相手が精度があるだけに、反対しづらいのが問題なのだと思う。それが、かみさんを相手にいつも負けを認めざるをえない、僕の気分と重なった。

4月後半
連休の影響なのか、東京を中心に新規感染者の数がかなり上向いて来ているらしいとの情報がネットで飛び支う。
症状があっても検査を受けない人も多くなっているとの事で、把握できている数値よりは遥かに多いだろうと予測するしかないものの、ゴールデンウィークを目前に控えては、誰も気にしようとするはずもない。

ヤマノミュージックサロンでの対面型レッスンの日。教室の為だけに向かう東京は、海外からの観光客などはほぼノーマスクだ。日本人だと1割くらいがノーマスクなのだけれど、ローラースケートのサポーターのように「肘にマスクを巻いているビジネスマン」の姿が目立った。ビジネス街で流行っているのだろうか。
僕はと言うと、ヤマノ側が「レッスン時には講師側はマスクをつけるよう」にと指示されているのでそれに従うし、一人なら当然つけず、人が増えればまたつけるといいう当たり前の判断だ。マスクで自分への感染が完全には防げないとしても「みんなで飛沫を広げないようにしましょう」という部分は、大いに賛成だ。

4月の対面型レッスンが終わり、連休の関係で5月の後半のレッスンが6月の頭にずれ込む事になった。
そうなると、もし今後、感染の状況が急激に悪化しても、継続・休講を見極めた判断をする時間的なゆとりは十分にありそうだ。
ここで急ぐ必要は全くない。生徒さん達も安定した個人練習を続けている方が増えたように感じるし、少しずつでも確実に、以前のような対面型レッスンの状況に戻せれば良いのだから。

この頃、ニュースの特番で新しい言葉を知る。「ナラティブ・ロンダリング」というらしいのだけれど、情報戦争のひとつで、相手国にウソの情報を散々撒き散らして疑心暗鬼にさせ、国の世論を内側から壊して行くという情報攻撃らしい。ロシアがクリミア併合時に使い、イギリスとアメリカがウクライナ侵攻で逆にロシアに使ったという話だ。
その中で、ニュースや公共のメディアがYouTubeなどの信憑性が怪しい内容などを精査もせずに報道するようになるという「最悪の末路」が紹介されていて、とても怖くなった。もうかなり前から、日本のメディアはすでにその状態にあるからだ。
僕ら夫婦はテレビを見なくなりおそらく20年以上は経つけれど、その判断をした頃から、情報の偏りには気味の悪さが出始めていた。
かみさんはこの分野をより深刻に受け止めていて、情報の精査に常に余念がない。
また最近では有料のネットニュース番組にも加入しているし、それだって偏向報道のような問題を感じれば、すぐに解約をする事だろう。
周りでも少しずつ「ネット・ヘイト」の人が出始めて来ていて心配だ。一体どの段階から都市伝説みたいなものを信じて、何の裏付けもないような情報を拡散し始めるのだろうか。

4月の末。
いよいよゴールデンウィークに突入。コロナ関連での規制はもうないけれど、全国で1.5倍、東京では2.5倍くらいの新規感染者の増加の中、相変わらずの政府による無責任な「マスクを外しましょう運動」は活発に続いていた。
僕らも特に気遣いなく外出はするものの、やはり人出が少ないところを選ぶのに慣れてしまい、結果としてコロナ禍のままのような生活となっている。元々が、混むのも並ぶのも嫌いなのだから当たり前なのだけれど。

そんな中、コロナの状況が変わらなくても継続できるハーモニカでの情報発信として考えた、ハーモニカ動画の投稿企画「ハモニカフェ・ワン」が、募集開始から無事に3ヶ月を過ぎた。
少しずつ参加者が増えてくれたおかげで、細々とながら継続ができそうな雰囲気が生まれて来ていた。

この企画の詳細ページ https://hamonicafe.jimdofree.com/hamonicafe-one/

こういった募集企画で最も怖いのは「反応が無い」事だ。
特に発案者の僕は、無名な演奏者な訳だし、投稿にも賞品など準備はできない。いわば自己満足の為だけに「手間の掛かる応募して下さい」と、身勝手なお願いをしている訳だ。
そんな中、投稿していただけた動画はそれぞれに個性に富んでいて、僕も大いに刺激を受ける。
そして驚かされるのは、僕の方から「こんな風にやりませんか?」と一応の動画の枠組みを作ってはいるのだけけれど、誰一人、それを全く参考にしていないところだ。
ネット自体が、より差別化を求めるフィールドだからなのか、それともハーモニカという楽器の持つ、独特の「反骨精神」のようなものなのだろうか。

なんにしてもこちらも負けてはいられないと、新たなる撮影場所を開拓すべく、地元で行った事のない観光地へのローラー作戦を開始する。
そして見つけたのが地元にある「〇〇という観光施設」だ。
なぜ〇〇と表記するのかと言うと、そこが好きな理由は「人気が無く撮影に向いているから」であって、自分からその状況を変えるような宣伝協力はしたくないからだ。
僕らは愛知・岐阜に住んでいた頃、安城市の「デンパーク」という公園に年間パスポートまで購入し通っていて、今でもこの動画撮影企画にぴったりだったのにと思い出しては話していたところに、その地元神奈川版のような場所が見つかったのだ。

すぐにテスト的な撮影をしてみるも、都合の良いおもしろモニュメントなどが多数あり、今後は数十種類のミニ動画作品を撮影できそうだった。
とりあえず、一発目はこちら。

すぐに年間パスポートを買い、これからは「行かないと損をする」というノルマ意識で、足しげく通う動機を作る。
ちなみにこの「ダッシュで息切れワンフレーズ」という動画企画以外に「絵になる景色でワンフレーズ」というコーナーもあるのだけれど、これが簡単なようでなかなかに難しい。目に見える絶景はたとえある程度映像には残せても、ハーモニカのような小さなものにピントを合わせると、その場所の良さがすっかり失われてしまうからだ。

反対に、身近な場所でもハーモニカの縮尺さえ合えば、十分に良い映像が収められる事も多い。できるだけ自然の絶景の中で常にこの問題の突破口を探していたのだけれど、スケール感がちょうど良いのは、このガーデン系のような場所だったという訳だ。
自分の地元の地形上、海系はかなり特化した動画を撮影できるし、山や川は近くに箱根の最高のロケーションがあるのだけれど、撮影に都合の良いスケールではないのが悩みのタネだった。この地元の〇〇を利用する事で、僕はこの動画募集シリーズを、さらに魅力的なコーナーにすべく頑張れそうだ。


5月に入る
いよいよ完全にコロナ関連の制限無し、マスクも不要のゴールデンウィーク突入だ。人によっては9連休にもなるらしい。どこもかしこもすごい人出で、まだコロナが無かった頃の、かつての連休が戻って来たような賑わいを見せていた。
そのせいか、今年はコロナ禍以来初めて、連休にも関わらず僕のオンラインレッスン予約が空き気味となった。さすがに晴天の中、誰もが外に出ているからなのだろうか。
ウチはもともと自営業なので、連休は様々な溜まり雑務に追われ、連休明けのどこもガラガラになった頃、遅れて休暇を楽しむ事になっている。

これまで僕の方の企画が相次いだ関係で、かみさん側のアートの制作が全くと言っていいほど進まなかったので、「連休の間は出来る限り自分の作業に当てたい」とのかみさんの宣言の元、僕の方で出来る限りの家事を引き受ける事になった。
一方の僕の溜まり仕事は、かみさんのチェック無しには完全にストップしてしまう為、どれもこれも完全に一時中断となり、一体どうして良いものやらと途方に暮れる連休になってしまった。

かみさんの制作の息抜きも含め、こまごまと近郊へのドライブくらいは出掛ける。
地元は観光地なので道路は連休で大渋滞。早い人は海や川で海水浴を始めていて、さすがにマスク問題は不問だ。「とるの?とらないの?」という事をお互いに探り合わなくても済む自由な空間が、どこまでも広がっていた。
そうは言っても半数くらいの人達はなんとなくマスクをし、誰がいなくてもディスタンスを守るような状況になっている。
やはり3年掛かったものは、元に戻るのにも3年掛かるのかもしれない。

ゴールデンウィークの後半、WHOテドロス事務局長から、コロナ緊急事態宣言解除という世界的な発表が出る。
日本は一周遅れなどと言われるけれど、「人類全体に公的なひと区切り」と言えるのだろう。
日本ではこのゴールデン・ウィークでの感染の影響が出るのか出ないのか、そして出たとしても、また自粛するのかに、注目が集まっていた。

そして、僕とかみさんにはまるで関係の無かった長いゴールデンウィークが明ける。コロナが5類に引き下げられ、様々な規制もなくなり、ニュースなどで「新規感染者数の発表は今後行わない」と報道される。
なんとそのタイミングでヤマノミュージックサロンから「パーテーションの撤去」「アルコール消毒の終了」「マスクの判断を任せる」等々を決定した旨のメール連絡が届く。
正直「早い、早過ぎる!!」というのが僕の素直な感想だった。
ハーモニカのような呼吸楽器の個人教室を開講する自分のイメージでは、他の全ての教室が完全にパーテーションをとり終わり、どこも問題が無いのを確認し、念のためさらに一ヶ月くらい遅れてこちらも動き出すくらいで丁度いい。ガンキャノンのパイロット、カイ・シデンの「こういう時は臆病すぎるくらいがちょうどいいのよね」というやつだ。
さて、今後は情報すら無くなる中、一体どうすれば妥当な判断ができるのだろうか。

その翌週には、ヤマノミュージックサロンの連休明けの対面型レッスンを判断をする頃になる。
断片的にではあるけれど、やはり当たり前のように、感染の急拡大や変異株の情報が飛び込んで来る。
おまけにライブイベントでのクラスター発生や、児童のインフルエンザによる学級閉鎖、さらに「はしか」の流行の兆しまでが見つかり、急いで出来る限りの情報を集め、とりあえず「ある程度正確な全体像がつかめるまでは」と急な休講を判断し、ヤマノ側に連絡をする。
今までの基本的な対策を一気に無くしての運営になるのだから、責任のあるこちらとしては、やむをえない判断だった。とにかく状況がわかるまで、安全策を取った方が良いのだから。

一方、僕個人で運営するオンラインレッスンの方は、連休明けからまた元の予約状況に戻ってくれたので、自然と自宅での静かで半自粛のような生活が始まった。
幸い新規の生徒さん達も続き、受け入れるこちら側は一気に新鮮な気分にしてもらえた。
とりあえず、まだなんとかこの生活で乗り切れそうだと胸を撫で下ろす。

数日後、もともと対面レッスンを予定していた日を迎える。
定点観測では当たり前に危険信号が数字として出ていた。
今回もギリギリの判断が間に合ったのかもしれない。
どの情報も正規の医療機関による情報なのだけれど、感染拡大の情報がまるで「悪」のように言われているので、それぞれ現場では戦いながら情報を発信し続けているのだろう。なんにしても、後になり僕の休講の判断が取り越し苦労であれば、生徒さんにお詫びをするだけの事。
とにかく、うちは今後も安全策をとり続ける方針には変わりない。
何にしても、景気対策なのか何なのか知らないけれど、国側が情報を解らなくさせるさせるというのは、本当に恐ろしい事態だ。

この時期、移民に対してさらに扱いを厳しくする入管法の改正(ネットでは改悪と言われていたけれど)の問題や、軍国化を加速させるなどの右傾化で、大御所タレントのタモリから「新しい戦前の始まり」というショッキングな名言も飛び出した。
高齢の有識者達から「戦争が始まった頃に似ている」とささやかれるようになったけれど、なぜここまで急激に異常な国になって来たのだろうか。というか、異常な部分を今までは隠し続けて来られたという事なのかもしれない。この国に住んでいても、やはりその分岐点がよくわからない。

時同じくして、ジャニー北川氏による事務所側タレントへの性加害問題が話題を埋め尽くす。
男性側の性的な被害という事と、スポンサー問題で意地でもマスメディアが報じようとしないという、これまた異常な状況から、ネットを中心に一気にクローズアップされた。
この事件はイギリスのBBC放送によって世界的に報道された事で、日本が後から動いた形なのだけれど、なんとしてでも隠そうとするマスメディアの体制が問題視され、いよいよもって日本は世界的に遅れをとる、閉鎖的な後進国というポジションが確定しそうだ。
さらに、有名な歌舞伎俳優の心中と思われる事件が報じられ、衝撃が走る。テレビのワイドショーなどではそれ一色らしいのだけれど、不思議なほど国宝一家は根掘り葉掘り報道され、どうして一企業のジャニーズ問題は意地でも報道しようとしないのか。

数日後、入管法改正に反対するデモが渋谷で7000人を集めるまでになり、ネットでは山程ライブ中継されるのだけれど、やはりテレビはこれを一切報じない。同じ場所に集まったハロウィンの若者達は無駄に連日報道し続けたというのに。
日本のテレビ報道のアンバランスさは、もはや新興宗教の洗脳並みの不気味さだ。

そんな中、ネットではG7関連の外交面に注目が集まる。
広島の原爆慰霊碑に、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダのトップが横並びで献花をする姿は実に歴史的だった。
加えて急遽オンラインでの参加だったウクライナのゼレンスキー大統領の訪日が報じられ、大きな話題となる。
個人的に好きなロシアなどの軍事専門家の小泉 悠さんが「今回の広島でのサミット開催を、日本だからこそ世界に働きかけられる何かを、積極的に打ち出して欲しい」という旨の発言をされていた。僕も本当にその通りだと思う。これだけのメンツが集まり通り一遍等の握手して終わりでは、あまりにも残念だ。世界がロシアの核で脅されている今こそ、唯一の被爆国が出来る事が必ずあるはずだ。

5月末、いよいよコロナが5類になって初めての定点観測データの推移が、数値として発表される。
前回1.4倍、翌週にはそのさらに1.35倍という事で、確実な感染拡大が数値で確認された。
自分の周りでも少しずつ感染者が現れだし、これは間違いなく第9波の入り口だろうと、対面型のレッスンはこの6月も休講延長を決定するしかなさそうだと判断する。
さぁ、これからまた自粛期間に突入する訳だ。
ひとつ前のブログ記事から “やや終わりに差し掛かった” 自粛日誌と銘打って書いているのに、早くも元の「自粛日誌」に戻りそうだ。

とはいえ、この時期は少々今までと雰囲気が違って来ていた。
もう日本社会全体が、自粛する気が無さそうな雰囲気なのだ。
「感染に気をつける側」と「もう気にしない側」の間の溝はさらに深くなり、マスクをつけるかどうかですら対立構造は強固になって来たように感じる。
飲食業や観光業を始め「コロナはもう終わったもの」としたい側の言い分も解るけれど、自粛したい側を説得しようとまでする動きには、少々薄気味悪いものがある。かつては「マスク警察」なんて状況すらあったので、これを一日も早く辞めたいのだろうけれど。
ヘタをすると、これからは自粛側が攻撃される事態すら考えられる訳だ。一体、何のメリットがあって、そんな事をするのだろうか。ある意味テロに近いではないか。
そんな中で象徴的なのは「化粧品業界の大躍進」だった。そりゃそうだろう、マスクを外す事で、再び化粧をする必要に迫られたのだから。

いろいろな事を考えた上で、月末ギリギリのタイミングで、やはり6月の対面レッスン再開を見送る事を決め、ヤマノ側へ連絡をとる。
教室側からは「1週3週の開講を、3週5週にずらすのではなく、完全な休講ですか?」との問いに、自分の判断を押し通させてもらうしか無かった。なにせ感染拡大がほぼ間違いないと解りながら、マスク義務、アルコール消毒を始め、パーテーションさえ全教室で撤去してしまったというのだから。
連絡では「5類になったのだから」という言葉が何度か出て来たのだけれど、使い方を間違えているように感じる。それは医療の受け入れ体制の話で、反対に僕ら側は余計に気をつけなければいけなくなったのだ。
データを国が出さないのは安全になったからではなくて、経済活動を優先するために意図的に控えたという事で、各人が今まで以上に注意をしなければいけなくなった状況を、どこをどうすれば「もう安心!」という解釈になるのかがまるでわからない。

なんにせよ、結局のところ「もう気にしないか」「これからも気にするか」の違いだ。
僕とかみさんは「念には念を入れる派」だけれど、もし、もう感染拡大が起こらず、感染者の誰もが風邪をひいたほどの症状で終わった際には「神経質過ぎてすみません」で済む話だ。

6月となる。
本格的な梅雨に入り、ジメジメとした天気が続く。異常気象になってからは当たり前のように「記録的な豪雨」というニュースが流れ、すでに麻痺して驚きもしなくなってしまっている。
この頃、マイナンバーカードを半ば強制的に持たせようとする試みがことごとく失敗し、いたるところでプライバシーが漏れるような被害が、全国各地で1000件単位で続出する。システムのエラーや役所間の不協和音などが連日報道され、とてもでは無いけれど、社会の基盤として運用するなど無謀と言わざるを得ない中、国会中継で多数決により「法律として可決される」のを見た。
「えぇぇぇーっ!?」とツッコミしか出てこない有様は、まるでコントだ。

そんな気分的に滅入りがちな中、Twitterで僕が運営する動画投稿企画「ハモニカフェ・ワン」が、<春版>から<夏版>募集へと変わった。見づらかった部分などもあり、募集ビジュアル面もちょこっとリニューアルする。

僕自身も積極的に動画を上げるのだけれど、参加する方々がおのおのアイデアを出してくださるので、こちらもできるだけそれ以外の方法を探して毎回頭をひねっている。
全力で走って、疲れと息の荒らげ方で、ハーモニカを今まで以上に「呼吸楽器である」と再確認できる「ダッシュで息切れワンフレーズ」企画もそのひとつだ。走る以外にも「登る」「下る」とチャレンジし、身体が悲鳴を上げている。
まぁ元々が、僕の長引く体調悪化のリハビリとして始めたもなので、それでも構わないのだけれど。

6月の中旬になる。
それぞれの専門家から「コロナ第9波が始まったようだ」とのコメントが相次ぐ。やはり、今回もまた早めに対面型の休講を決めておいて、結果的には良かった訳だ。

けれどこれからはコロナ禍が新しいフェーズに入った。「あろうがなかろうが気にしない」という人達と、「対策をするのが当たり前」という人達が入り交じる状況だ。
政府側はあくまで経済を守るという観点から、今後はコロナ感染の状況をオープンにはしない。テレビなどの大手メディアもそれに準ずるように、情報をコントロールしているのがけんちょになって行く。
うちは定点観測と「下水サーベイランス」というデータを判断基準にしている。
現状は検査に来る人が4分の1ほどらしい。けれど5割に近い陽性者をだしている病院もあるとの緊迫した状況だ。
という事は、サーベイランスの数値に掛ける4倍で、おおよその見込みが割り出せる訳だけれど、その数字はもはやとんでもないもので、第8波の2月辺りの感染拡大時の有様と、さほど変わらないではないか。

僕は都市伝説みたいなものまでは信じないまでも、今の状況を知らせないようにさせる政府やメディアの姿勢は「世にも奇妙な物語」レベルに異常だとは感じている。その中にあっては、今まで以上に自分の事は自分で決めるしかない、そのための情報は自分が探し選ぶしか無いのだから。
昔はどこにも「わしは騙されんぞ!!」と叫ぶおじいちゃんがいたものだけれど、僕ら夫婦も、外からはそのような変わり者に見えるのだろうか。
集団に合わせないで生きるというのも、なかなか大変なものだ。

異常といえば、保険証を兼ねる事を一方的に決めてしまったマイナンバーカードは、結局数万件というトラブルを抱えながら、なおも強硬に普及化に向け進み続けている。その上、今後は免許証や年金まで紐づけされ、いわゆるすべての社会インフラが一元化され管理できるよう検討しているらしい。
「国の言う事を聞け!逆らえば、もっと生きにくくしてやるぞ!」と、陰湿に凄まれているような気分だ。

その後、入管法の方は、連日の何千人という大型のデモ運動が続くも一切報道されぬまま、あっさりと可決され、それをもみくちゃになって食い止めようした議員の手が当たったと、一方的に「暴行行為」で処罰する動きまであった。
LGBT法の方は、反対派の意見を中心に据えたせいで二転三転を繰り返し、逆に公にマイノリティーを差別できる多数派のためのものという、近年稀に見る恐るべき法律となり、そのまま成立をしてしまう。

6月の後半に差し掛かる。
この月はありがたい事に、月初からオンラインレッスンの新規生徒さんの申し込みが相次いでいた。
どの方も僕の配信しているネット動画「ハモニカフェ」や検索サイト「ハモペディア」をご覧になられた方ばかりで、「僕のレッスンはこういう方針です」という説明が全くいらないのが、嬉しい限りだ。

今の生徒さん達は都市部より遠方の方々が多く、それぞれのお国話に花が咲く。僕は初めての県の方が生徒さんに加わるたび、ベタな楽しみではあるのだけれど、コピーした日本地図にウキウキと色を付けて行く。
生徒さんとの話の中で、問題がない範囲でお住まいを聞いてみるのだけれど、先にこちらの住所を聞かれる場合もある。不思議なのは僕が「小田原です」と答えると、「え?小田原ですか?(笑)」と必ず誰もが一瞬笑う事だ。
最近は特に笑われる事が多く、テレビドラマなどの影響なのか歴史的な何かなのか、はたまた三文字のコミカルさから来るもののか。
僕もかみさんも転々と様々な土地に生きて来て、今は小田原が地元になっただけなので、そのあたりがピンと来ない。なんにしても「好印象」のようだ。
僕も様々な地域の方とつながるたび、その地方の天候やニュースなどの見方が変わった。
生徒さん達も、近場の箱根や熱海などを中心にだけれど、小田原にも興味を持ってくれたようだ。

この頃はいつまでも雨雲が空を覆っていた。
せっかくなので「梅雨時を楽しもう!」と銘打ち、雨にちなんだ動画をいくつか上げ、SNS上ではそれなりの高評価をいただく事ができた。

けれど、それはSNSの話で、リアルでは季節ごとに巡って来る「膝の腫れ」に苦しんでいた。
約一週間ほど、左右の違いが見て解るほど膝が腫れ、夜は寝ていられないほどの痛み、呼吸に合わせたズキズキが続く。
足を引きずりなんとか歩くものの、トイレや風呂に行くのですらゆううつになってしまう。
今回は一段落するまでが長く、10日を超えるほどだった。当然ダッシュ企画をはじめ、出来る映像企画は無く、おとなしく数日の自粛生活を送った。

やがて足の痛みも一段落する頃、近所の海にドライブに行った帰り道で、今度は急にかなり激しめの「脇腹のつり症状」に襲われる。
渋滞に近い感じだったので脇道に車を停める事ができ、薬を飲み、もんどりを打ちながらけいれんが収まるのを待つ。
この時は薬が効かず、倍の量を飲む事になった。
運が良いのか、今回もまたなんとかなったのだけれど、高速道路などだったらと思うとゾっとする。
早く全ての車に自動運転機能をつけて欲しいものだ。

最近気が緩み、各種食事制限を無視しがちだったけれど、これからまたカフェインや炭酸を抜き、アレルギー対策の食事に気をつける毎日に戻るのか。
薬と鍼治療の組み合わせで一時は克服したかに思えたけれど、それは一時的なものだったようだ。症状の記録をつけているけれど、10日前にもあり、その前は約半月前だった。症状の頻度もすっかり元に戻って来てしまった。
実は、少し先に演奏の入るイベントを復活させようと考え、打診を始めていたところだった。
頭では、これからのコロナの第9波対策ばかりを考えていたので、逃げられない身体の内側から来る強烈な痛みの再来に打ちのめされる。
しばらく、予定は座り仕事のオンラインレッスンのみなので、なおさら元の自粛生活になってしまうだろう。

本当にこの「謎の痛み」に終わりがあるのだろうか。
あまりの症状のきつさに、僕にとってはコロナ以上にうなだれるものがある。
腹に力を入れないような動きで出来る表現活動なんて、本当にあるのだろうか。
「膝」にしても「脇腹」にしても、もういい加減に勘弁して欲しい。
さすがに今回はメンタルにも来て、この瞬間に「それは呪いです、神さまにおすがりなさい」なんて言われたら、変な壺に大金を払ってしまいそうだ。まぁ、その大金は、持ち合わせがないのだけれど。

と、ここまで書き、一区切りのアップをしてみたいと思う。
前回の『その⑧』からようやく”やや終わりに差し掛かった”とタイトルに入れられたのに、早くもそれを撤回しそうな感染状況だ。
けれど、次回こそ「もう”終わりとなった”自粛日誌」と銘打ちたいものだと、『その⑩』に期待したいと思う。

2023年6月22日 広瀬哲哉