「〇〇力」は分解して考えよう
コミュニケーション力、チャレンジ精神、行動力、主体性、慎重さ、計画性、企画力……コンピテンシーとも言うが、人を評するワードはたくさんある。
これらのワードについて、「ある/ない」や「高い/低い」の単純な二分ではなく、もっと細分化して考えたいよね、というのが本記事の主旨である。他人を評価するときの言葉の解像度を上げなさいとは人事の世界でよく言われていることだが、今回は書くのは自分自身を評価するときの言葉についてだ。
自分自身への評価を細分化できるなと気づいたのは自分の社交性について考えていたときだ。
私は世間でいうところの人見知りである。初対面でグイグイ来られると心を閉ざすし、5人以上の集まりでは口数が少なくなるし、paypay使えますかは2回に1回しか聞けない。実家では横暴だったので親からは内弁慶と呼ばれていた。
だから、自分に対して「社交力がない」のレッテルを貼っていた。いつでもはがせるよう、ポストイットぐらいの粘着力で。べったり貼り付けてしまわなかったのは、社交力ないわけでもなくない?と自分を弁護する気持ちもあったからである。
だって200人規模の同窓会にだって参加していたし、飲み会は二次会まで付き合うし、エレベーターで一緒になったそんなに仲良くない人と雑談だってするし、「それ私も持ってるんですよー」と接客してくる店員にも丁寧に接している。(社交家の相方が鼻で笑っている気がする)
とにかく、表向きはそれなりにちゃんとやっているつもりなのだ。それゆえ「社交力がない」とのレッテルに納得がいっていなかった。自分で貼っといてね。
このモヤモヤがすっきりしたのは自分の適性検査の結果を見たときだ。何の適性検査だったかは忘れたが、項目に「社交欲求」があったのである。
項目をみて、あーそうか、力がないわけじゃなくて欲求が低いんだとしっくりきた。
社交力があるかないかと言われれば、ある(求められれば出せる)。
社交欲求がどうかと言われれば、低い(人に会えなくてしんどいと思ったことはない)。
社交が好きかと言われれば、好きではない(相手によるが)。
こうやってブレイクダウンしていくと、自分を見つめるまなざしが変わってくる。やればできるのよわたし。
社交力ひとつとっても、求められたときに発揮できるか、発揮する欲求があるか、発揮することが好きかの3つに分解できる。さらには社交力とは何かを定義すればさらに細かくなる。初対面の人と気さくに話すことが社交力なのか、友達と長く付き合いを維持することが社交力なのか、多様な人と話を合わせられることが社交力なのか。
ざっくりと「ある/ない」の二項対立で考えてしまうと過信や自信喪失を招く。どんなシチュエーションだったら70点が取れるのか、そもそも70点取りたいと思っているのか、70点取ったらうれしいのか。こう考えることで自分が立体的な存在になっていく。自分に必要以上に期待することもなくなるし、卑下することもなくなる。
でもこうやって自分をブレイクダウンしていくのはめんどくさいし結構精神力をつかう。だからこそ自分がどんな人間であるかを教えてくれる友人がいるといいんだろうな。社交欲求低くたってそれくらいわかるよ。
(どみの)
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