別れとlemon
深夜なので
今年の10月、僕は育て親とも言える人を交通事故で亡くしたんですが、今回の帰省で初めてちゃんと家に行って線香をあげられたんですよ。
あまりに突然の訃報で弔電は打っても全然実感わかなかった。ちょうどこの前定年で仕事を退職してやっと奥さんと2人でゆっくりとした生活ができるとなった矢先の出来事で、0歳から3歳までその2人に育てられた僕は亡くなった人のことはもちろんだったのだが、残された奥さんのことがすごく気掛かりであまり「人が死んだ」ということを受け止めきれていなかったのかもしれない。
だから今回帰省して初めて面と向かってまだ家の仏壇とは別に作られたお葬式のときの祭壇を見て「あぁ、この人は本当にもう居ないんだな」と思ったんです。
そして同時にめちゃくちゃ泣きました。大晦日だったため、故人の親戚が帰ってきていて子供たちが周りで騒ぐ中、奥さんと僕の家族は静かに見守ってくれました。ただひたすら嗚咽を隠しながら5分以上泣いてやっと泣き止んだときに、故人の死をちゃんと受け入れられたような気がしたんです。
普段文学哲学で「死」とはなんてことを散々言ってはいますが、まぁ現実の前ではもう泣くしかないんだなって思いましたね。
そのあとは吹っ切れて特に感傷にふけるようなこともなかったんですが、その日の夜の紅白で米津玄師が「lemon」を歌うのを聴いてふとそこに重ねてしまいました。
僕実は「砂の惑星」セルフカバーしたあたりから(もっと前からかもしれない)あんまり米津玄師をしっかりと聴いていなかったんですが、紅白で歌った「lemon」という曲が米津玄師の徳島の祖父を失ったときに作られた楽曲だということを知り、まぁ聴きながらまた泣いてました。
僕にとって今回の帰省は本当の意味での別れの挨拶でした。これは常々思うことですが、東京は「死」の香りがしない街だと思います。どこか綺麗に表面を取り繕い、暗いものはそっと脇へおしやるような欺瞞に近いものを感じます。
地元は高齢者だらけで、実は今年90になる祖母も今回骨折して入院しており、要介護の判定を受けました。
今回の帰省から帰る直前、祖母に涙ながらに「まだみんなと別れたくない」と言われた悲痛な声が忘れられません。まだそうではないと信じたいですが、もしかしたら僕は祖母ともう会うことは無いかもしれません。
そんな、どこか生と死が入り交じるような感覚のある地元への帰省。「死は生の対極ではなく、生の一部として存在している」と言ったのは「ノルウェイの森」の直子だったでしょうか。
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う
故人との別れの挨拶は「lemon」の歌詞の通りまさに「忘れ物を取りに帰った」ようなものでした。
ちゃんと向き合って、前を向けた。
そういえば紅白で聴きながら、「lemon」の2番の歌詞は見方によっては故人から生きた人に向けてへのメッセージとしても読めると思ったんです。
どこかであなたが今 わたしと同じ様な
涙にくれ 淋しさの中にいるなら
わたしのことなどどうか 忘れてください
そんなことを心から願うほどに
今でもあなたはわたしの光
でも僕は苦いレモンの匂いを忘れるんじゃなくてそれすら持ち続けて生きていきたい。自分の行き着く先を持ってきた人達にいつか見せてあげたいと思う。
ちゃんとお別れができてよかった。
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