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「やっぱりスクールアイドルが大好き!」 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第3話より

 執筆時23時10分。これは今書かねばならない。そんな気がしてならない。少し待てば某アニメストアで何度も観れる配信がある。細かいところも、気になったところもたくさんある。でもこれは、この第3話「大好きを叫ぶ」は、今書かなければ、叫ばなければならない。




 22時28分。あと2分でラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の転換期を迎える。そんな気がする。
ラブライブ!は3話が熱い。歴代のシリーズでもそうだった。誰もいない講堂でライブを披露し、穂乃果が「やりたいからです!」と叫んだことで、今日の私がラブライブ!を追いかける根源となったあの回も、3話であった。そして千歌が今しかない瞬間だからこそ「輝きたい!」と叫んだのも3話。
なので、今回のシリーズもそんな込み上げる気持ちをぶつけてくれるのではないか、そう期待してその時を待っていた。



 せつ菜が何故スクールアイドルから身を引くのか、その想いを吐き出したのは、OP終わりのCM明けAパート。正直「お、もう話すのね」と拍子抜けするところもあった。しかしながら、彼女がスクールアイドルを辞める理由というのは、おおかた予想がつくものであった。

「自分の大好きによって他人の大好きを否定したくない」

この言葉は、先にリリースしたスクスタでも、そして優木せつ菜を演じる楠木ともりさんの1stライブでのMCでも触れていたものであった。楠木さんに限っては涙ながらに話していた記憶がある。明確には触れていないようだったが、月ごとのニジガクメンバーのマンスリーランキングのことを言っているようだった。1位の大好きは名誉だ。誇らしいことだ。では最下位となった9位のメンバーの大好きは誇らしくないのだろうか。そのメンバーに届けた大好きは結果が共わなかったから、無下に扱っていいのだろうか。何より9位の「大好き」は1位の「大好き」と投票数こそ違えどそれ以外は何か変わるのか。

 月々のランキングということで、メンバーへの愛を伝える場は確かに増えた。そしてそれが顕著に数字として残るようになった。下位になったメンバーのファンは「みんなまだ分かってないんだなぁ。この子のここが良いんだよ」とまた大好きを叫ぶ。誰かの大好きを咎める場でなく、互いの大好きを高め合って自分の大好きを叫び合う場になって欲しいと、あの時の楠木さんは言いたかったのではないだろうか。




 そして私と、共感してくれるかもしれない「あなた」はそんな自分の大好きを叫ぶ場が欲しかったのではないだろうか?




 スクールアイドルに最近興味を持ち始めたばかりの高咲侑でさえ、ラブライブ!はスクールアイドルの全国大会だと漠然と言えるほど、あの世界ではラブライブ!が浸透している。
そんなかなりの知名度を誇る大会でもし優勝が出来たのならば、あの決勝のステージで、スクールアイドルへの想いを、「大好き」を歌で、ダンスで、MCでぶつけることが出来たのならば、なんて爽快で、気持ちの良いことなのだろう。それは、実際に決勝の舞台で「奇跡それは今さ ここなんだ」「イマを重ね そしてミライへ向かおう!」という歌とダンスと言葉を聴いて、感動を受けてきた私たちがよく知っているはずだ。

 その栄光のためにどれだけの困難があったのか、それを乗り越えてやがてグループは「ひとつ」となったのか。それもこれまでの歩みを見てきていた方ならば伝わるであろう。

自らスクールアイドル活動を行うだけでなく、他のスクールアイドルもチェックするほどスクールアイドルが大好きな優木せつ菜も、ラブライブ!のステージを配信…よもや現地勢?として受けた感動も、そしてそのステージに上がるためには何が必要だったのかを分かっていたのかと思う。

ラブライブ!を目指すためならば、互いの足並みを揃えて「ひとつ」にならなくてはいけないが、それによって他の誰かの大好きを無下に扱ってしまう。大好きを否定してしまう。それならば私の「大好き」は邪魔でしかない。誰かの大好きのために自分の大好きを否定することを優木せつ菜は選んだ。




 もう一度問いたい。私は、そしてあなたは自分の大好きを叫ぶ場が欲しかったのではないだろうか。




 これまで触れてきたラブライブ!を目指すまでの、ラブライブ!決勝までの感動を覚えている私たち。

 でももし、そのラブライブ!を目指すことで大好きを否定する子が居たら、私たちは彼女の「大好き」を護れないのだろうか。




 大好きに掛ける熱量もありながら、誰かの大好きを尊重する。例えば、校内に現れた子猫が大好きな女の子の、表情が作るのが苦手な女の子の「大好き」を、表情以外で感じ取って尊重することが出来る。例えば誰かの大好きのために自分の大好きを否定できる。それも自分の大好きが他の誰かに、確かに届いていることを知りながらでもだ。




 そんな子の「大好き」を尊重するならば、これまで「大好き」を味わった感動の場であるラブライブ!を目指さない物語があっても良いのではないだろうか?




 だから私とあなたは「あの時」せつ菜が「私が居るとラブライブ!を出られなくなる」と言った時、








「だったらラブライブ!なんて出られなくて良い!」と、高咲侑と同じく思ったのではないだろか?







自分の大好きを叫ぶ場がラブライブ!というこれまで培ってきた歴史あるステージではなく、ひとりのスクールアイドルとひとりのファンとして対面する極めてミニマムな場でも良いんだと思ったのではないだろうか?

トップの場の「大好き」でもミニマムな場の「大好き」でも湧き上がる「大好き」の気持ちは変わらないのではないだろうか?





 だから私は叫びたい。私は大会でいうラブライブ!が好きなのではない。スクールアイドルが大好きだ。


どこまでも素直になれないスクールアイドルが大好きだ。


他人の幸せを願って自分を犠牲にしてしまうスクールアイドルが大好きだ。


背中を押し合うスクールアイドルが大好きだ。


全てをさらけ出すスクールアイドルが大好きだ。


やりたいことを全力で取り組むスクールアイドルが大好きだ。


そんなスクールアイドルが大好きなスクールアイドルが大好きだ。




やっぱり僕はスクールアイドルが大好きだぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



 



25時46分。

はみばらハミー



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