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大切な存在が旅立ちました。

わたしの大切な、、なんていうんだろう。

家族のような、姉のような、妹のような、時には母のような、女友達のような、、そんな存在だった愛猫ゆずを2019年1月25日に亡くしました。

これを知ったのは昼休みにきた母からのライン。

よく理解もできないまま、目の前に迫るタスクを一生懸命こなし業務はなんとか終えられ、そのまま迷わず実家に帰ることにしました。

けど、外を歩いていても、電車に乗っていても、実家に帰ってきてからも、涙が止まらなかった。(今がマスクの時期で本当によかった)

ゆずは、彼女に会うことを理由に実家に帰っていたくらい、とっても大切に思っていた存在で、実家に帰って1番にすることはゆずを探して精一杯のハグをすることでした。

最初にも書いたように、時には姉のようにわたしの甘えをうざがりながら受け止めてくれたり、時には妹のように甘えてきたり、なんと表すのがベストかはわからないけど、とっても強い絆で結ばれていると感じていた存在でした。

社会人になってから辛いことがあって実家に帰ってふて寝していたら側にそっと寄り添ってくれてたり、歌がだいすきな私が家で大声で一人ライブをやっている時も、迷惑そうな顔をしながら側で聴いてくれていたり、私が食べる海苔がだいすきで、缶を開ける音を聞いただけでも飛んできたり、本当に思い出は数え切れないほどあります。

はちゃめちゃな社会人人生もゆずに支えてもらったおかげで乗り越えられてたなと思います。

これまでも、犬も猫も何匹も飼ってきたし、亡くなるたびにたくさん泣いたけれど、こんなに"わたしの"ねこという認識が強かったり、ここまで長く時間を過ごせた子は、ゆずが初めてだったんじゃないかな。

別れは動物に限らず、当たり前にいつかくることだし、最近は不思議とゆずともいつかその日が来るんだよなあとふとその気持ちが湧き上がることは多かった。

これまでの猫はよく飼い主がいないところで最期を迎えると言われるように、交通事故で亡くなった子以外で最期の姿を見ることはなかったけど、ゆずはいつも嬉しそうにひなたぼっこをしていた廊下で最期を迎えました。

帰宅した母が廊下にいたゆずに、「ゆず?」と呼びかけても動かず、すでに身体は固まり始めていて亡くなってしまったとその時に気づいたそう。

その日の朝もいつものように娘猫とケンカをしていたり、母の洗濯干しについてきて外を散歩したり、普段と変わらない様子だったらしい。

廊下で息をひきとる時、少しでも私のことを思い浮かべてくれたのかな。むしろ私に会いたいと思っていたのだろうか。

これまでもいつ最期が来てもいいようにと、精一杯の愛を伝えてきたつもりだけど、まだ体温が残る時にひと撫ででもしてあげたかった。「愛してるよ」ってもう一度伝えてあげたかった。

でも、最期の日を金曜日にしてくれたのも、もしかしたら器用に生きることができない私もわかってなのか、それはわからないけど、すぐに会いに来れて幸運だったなと思おう。

きっと、これまでよりもむしろもっと近くに、いつも近くに居られるよね。

また負けそうになる時がきても、「私もいるからもうちょっと頑張れ」ってこれまでしてくれたように、1番近くにそっと寄り添ってくれているだろう。

ここ数ヶ月毎週のように実家に帰ることが多くて、お金もかかるし、自分の中でよくないことだから改めようと思っていたけれど、神様からの"時間"というプレゼントで、ちょっとでもゆずと時間を過ごせるようにと会わせてくれてたのかもしてないなあ。

実家に帰ると、いつも2匹で迎えてくれるところを、当然だけどこの日はゆずの娘猫のくろだけが迎えてくれた。

ゆずに舐められるといつもブチギレしていたていたくろだけど、母がゆずの遺体をくろに見せた後、廊下にポタっと一粒涙を落としたらしい。

実際母猫を失ったことを理解しているのかはよくわからないけど、むしろわたしが実家に帰ってきてからは、泣き続ける私の周りを「なぁどしたぁ?」と言わんばかりにウロウロ歩き回っていた。

「私も親を亡くした時、こんなふうに気丈にいられるだろうか。」と思うほど、シュッともう自分の人生(猫生?)を生きているように見えたけど、いつもの席にちょこんと座る後ろ姿はやっぱりどこか寂しそうだったよ。

ゆずが残してくれたこの子とも限られている時間。たくさん愛そう。

ゆずは、かれこれ10年くらいうちにいたらしい。

おばあちゃんになっても紐で遊ぶの大すきだったゆず。お盆に出すキラキラした座布団がだいすきだったゆず。

今までありがとう。先に逝っている私たち家族がたくさん愛した子たちがゆずにも優しくしてくれるといいなぁ。

バイバイじゃなくてむしろこれまでよりもすぐに会えるよね。

いつもそばで見守ってな。

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