一部とはいえ主文「無罪」をとる
日本の刑事裁判における有罪率は99.9%という。
自分で統計をとったことはないので、正確なことは知らないが、これだけ99.9という数字が出回るということは実際そうなのだろう。
他方、裁判になっている刑事裁判は概ね認め事件、要はよほど特段の事情がない限り有罪になる事件であるから、99.9%有罪になるのは、然もありなんというところである。仮に否認事件だけピックアップして無罪率を計算すればもっと無罪率は高いだろう。
さて、今回、名古屋高裁において、一部無罪判決を獲得した。
統計で言えば、99.9%有罪になるものから0.1%の無罪をとったのであるから、まあ誇ってもいいのかもしれない。
しかし、誇りに思う以上に、「一部無罪にとどまって残念」という気持ちの方が強いのが実際のところである。
例えば、10個の犯罪で起訴されていて、10個とも否認していたのに1個だけ無罪になったという場合、「え?こんだけしか無罪にならないの」というのが素朴な感情ではないだろうか?
そりゃ、弁護人ではない弁護士からすると「一部とはいえ無罪をとるのは凄い」という感想になると思う(これで「たかが一部でしょ」と思う人は僻みが過ぎる。)が、現に弁護を担当した当職からすると、一部しか無罪を取れないのが歯痒いという気持ちを拭えない。
まだ判決は確定していないので、今後の検察官の動きを注視する必要はあるが、一部とはいえ無罪をとって喜んでいいような気もするが、なかなか喜べないのが実情である。
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