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野生ということ

印象として野生動物は命がけで生きており、家畜やペットの命は人に委ねられているせいか図太い。

鴨の卵を孵したことがあった。ふ卵器で孵すと刷り込みの強さに驚いた。孵ったばかりだというのに、人がいないと気づくとと追いかけてくる。50m離れたところからダッシュで走ってくる雛がいるなんて。
そうかとおもうとあるときの雛は、人を親だとは思わなかった。怪しみ近寄らず逃げて避けて、寒さと飢えで死んだ。
雉の卵を孵すとき、鶏が抱卵していたので卵を丸ごと交換し托卵してみた。
雉の雛は孵った。親鶏の懐ですやすや寝ていた。しかし2日後、雉の雛は鶏を親だと認めなくなった。そして逃げようとした。あるものは飛んで逃げた(ジャンプして高いところから滑空した)。まだ雛だというのに。別の雛は死ぬまで逃げ口を探し続けた。
雉と鶏は雉の雛にとっては近縁ではなかった。

鴨の卵をバリケンに托卵したことがあった。バリケンが鴨を孵して、育てて数か月たった。バリケンがいつもとちがう動きをしたためだったろうか。夕方、それまで追尾して親子関係を保っていた若鴨が、バリケンを追わなくなった。そうかといって若鴨はねぐらに戻るわけではなく立ち往生していた。それ以来、鴨のほうは人に追い立てられて小屋に入るようにした。
孵ってから、そのときそのときで、野生の雛には何か目覚めるというか判断することがあるのだろう。たとえ死んでもその声に従って行動をする。野生のものは、与えられた環境の中で細かく生き方を律して規定して行動しているとしか思えない。それはなぜか。命がけで生きるから姿や動きに無駄がなく、それこそ野生なのだろう。
家禽の人工的な環境での心温まる話はここでは省く。

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