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7月30日 沖縄が本土復帰後、左側通行へ戻った。

1987年の本日、7/30は、沖縄がアメリカによる占領統治から復帰後、それまでの右側通行から、左側通行へ戻った日。

1978年7月29日22時より沖縄県全域で緊急自動車を除く自動車の通行が禁止され、沖縄県警察本部から県内の警察署への無線連絡により、一斉に変更作業が開始された。

変更作業は翌30日6時までの8時間で行われた。幹線道路ではあらかじめ左側通行用の標識や信号を設置した上で、それらをカバーで覆い隠しておき、変更作業当日にその覆いを外して右側通行用の標識にかぶせ直す方法が用いられた。また、車線のレーン・右左折表示などの道路標示も、左側通行用の標示をあらかじめ描いた上で黒のカバーテープで覆い、変更作業当日にバーナーの火によって除去するという方法が取られた。このカバーテープを用いた方法は世界初であり、「カバーアンドテープ方式」や発案者の名を取って「久高方式」と呼ばれ、短時間で効率よく作業を行うことを可能にした。変更作業に際しては約800人の作業員と約300台の車両が動員され、約19億円が投資された。

わずか8時間という短時間での一斉切り替えが可能だった要因のひとつとして、当時の沖縄県には路面電車がなかったことが挙げられる。路面電車を自動車に合わせ右側通行から左側通行にするには、全ての車両と乗降場の構造を変更する必要がある。


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