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私の胸のエイリアン【後編】

大部屋の人々


四人部屋は患者の入れ替わりが激しかった。

最初にいた三人はとても真っ当な平均的な社会性を持つ普通の人たちだった。うち一人は可愛い子栗鼠のような人でその人たちとは静かな時間を過ごすことができ手術後の辛い時期も音楽を聴いたり映画を観たりしながらゆったりと過ごすことができた。しかし当然ながら手術の日程も病状も違う。先に入院していた人々はどんどん退院していく。真っ当な平均的な社会性を持つ人が退院すると少しの間ベッドはひとつ空いていた。真っ当な平均的な社会性を持つもう一人が退院すると、不安神経症な河童が入院してきた。河童と出会うのは人生で二度目であった。

小学四年生の時のこと

人生初の河童と出会ったのは小学校の四年生の時であった。給食が終わり教室を掃除していた時のことである。悪ふざけをしていた男子数人のうち特別身体が小さく猿のように身軽であったW君が机の上に飛び上がり、箒を持って真面目に掃除をしていた河童の正面からどーんと体当たりをした。よくある小学生の男子が調子に乗って暴れてぶつかったという図式だったが、結果は大変なことになった。

河童は周りの机や椅子を薙ぎ倒しながら真後ろに倒れ後頭部を床にぶつけて動かなくなった。一瞬の出来事であったが今でも脳内でスローモーション再生できるほど詳細を覚えている。河童は動かなくなったと思ったら、小刻みに痙攣を始め口から白い泡のようなものを出し始めた。次に覚えている光景は先生が河童の口の中に布を詰め込み、毛布にくるみながら抱き上げていく様子であるから、おそらく誰かが先生を呼びに行ったのだろう。

河童はそれから少しの間学校へ来なかった。先生の話では脳震盪を起こしており検査をしたりするとの事だった。口さがない小学生のことだから「あいつ頭打ってパーになったらしいぜ」やら「河童ちゃん、なんかひどいことになって目が覚めなくてパパやママは泣いてるんだって」やら本当か嘘かわからないような噂が流れた。

その夏の宿題に小倉百人一首を覚えようというものがあり、9月の新学期になると百人一首かるた大会が開かれた。

読み手の先生が上の句を読み始める。
『田子の浦に うち出てみれば……』

「白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ!!」
ばちーん!! 河童の手にはカルタが握られていた。

『天の原 ふりさけ見れば……』
「春日なる 三笠の山に出し月かも!」
ばちーん!!再び河童の手にはカルタが握られていた。

新学期の小倉百人一首カルタ大会は河童の圧勝であった。河童はお世辞にも頭の良い子供ではなかったし運動においても音楽や図画工作においても目立つところのない地味なタイプだったが、脳震盪を起こした後に素晴らしい暗記力を発揮するように大変身したのだ。これが私が河童を認識した最初の出来事であった。

河童は何かにつけて鈍臭く、髪型は櫛が通らなそうなほどもつれていた。極端な近視で牛乳瓶の底のような度のキツイ赤縁の眼鏡をかけてその眼鏡のフレームは途中で折れ黄色の接着剤でくっつけてあった。鼻は高く富士額で顔立ちは立派であったが上唇の形が河童のような鳥のような尖ったものであった。さらに河童はダミ声であった。こう書き連ねてみると話を盛っているかのようだが河童はその通りの人である。私の同級生に聞けば皆頷くに違いない。

河童とは中学が同じで、希望したわけではないが部活動も同じであった。残念なことに通学路までもが途中まで一緒であった。さらに言うなら自分の母親と河童の父親は同級生であった。それでも私は河童が苦手だった。

私は河童に対して『あなたのことはあまり好みではなくクラスメート以上の付き合いをするつもりはありません』オーラを前面に出していた。それなのに河童はなぜか私を慕い付き纏い、部活終了後の下校を一緒にしたがった。

「はまぐり子ちゃーーーーん!」

自転車に乗って校門を出る頃になると後ろから呼ぶ声がした。私は聞こえないふりをして全力で自転車を漕ぐ。

「はまぐり子ちゃーん!待ってよーー!」

ダミ声の河童はそう叫びながら自転車に乗って追ってくる。逃げる私、追いかける河童。信号待ちのタイミングによっては河童に追いつかれた。そして河童は満面の屈託のない笑顔で言うのだ。

「追いついた!」


人生二度目の河童

人生二度目の河童は最初に見た時にとても怖がっていた。癌になってしまった事実を受け入れ難く、手術を受ける心構えができておらず、不安で不安で不安が不安を呼び込んでしまっているような負の連鎖に陥っていた。

私は先輩風を吹かす。

「不安ですか?」
「はい、不安でたまらないんです」
「手術前ですから怖いですよね」
「はい、怖いんです」
「みんなそうですよ」
「そうですか…」
「大丈夫ですよ、私たちも手術前は不安でしたもん。でも元気そうでしょ?」
「…そうですね…」

河童は励ましがいのない人であった。河童はベッドの端に座り体を丸め硬らせていた。今にも河へ帰って行ってしまいそうな風情で。それでも河童は無事に手術を終え、今は病室で屈託のない笑い声を響かせている。

河童の後から入ってきた人は、信心深いお説法好きな瀬戸内寂聴ふうな人だった。
可愛い子栗鼠が退院すると、がらっぱちで主張の強い明るく元気なおばちゃんが四人部屋へやってきた。

もともと人と連んで何かをするタイプではない。出来れば一人がいい。他人と一緒に過ごすのも楽しいけれどある程度の一人の時間やスペースが必要だ。だからおしゃべり命のおばちゃんは苦手だ。それなのにがらっぱちも河童も瀬戸内もよくおしゃべりをし良く笑った。それは意外にも心地良い空間で乳がんの手術後の何かと悶々と考えてしまいそうな苦しい時間を吹き飛ばしてくれるものだった。

退院の日、河童は寂しがって一緒に退院したいと言った。若い時に働いていた事務所で仲良くしていた年下の頼りないけど心の優しいH君は、私が事務所を辞める時「はまぐり子ちゃんが辞めるなら僕も辞めようかな」と言い、彼は本当に辞めてしまった。そんなことを思い出す。河童よ、しっかり手術後の傷を癒してから退院するが良い。妖怪の寿命がわからないけど、手術で全てが終わるのではなく、今回の私たちの乳がんの手術は全ての治療の始まりなんだよ。河童よ、強くなるのだ。

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