ウクライナ人の両親から生まれた白人のミス日本選出と、文化盗用問題の狭間


ネットで話題になっていたようで、昨日くらいに知ったのが、この「ミス日本」選出とそれにまつわる批判などである。



日本国籍ではあるが、民族的には白人系ウクライナ人の両親から生まれた方のようであり、日本人の遺伝的な特徴は一切ないようである。


誰しも思っているのが、今回の「ミス日本」選出が完全に政治的な背景の下で実施された結果であろう、という邪推である。ウクライナ情勢を考えれば一目瞭然なのだから。

一方、今回の選出に関しては「ミス日本代表」としての選考には問題がある、という批判が起こっている。日本人女性の美的特徴を評価するには、完全な白人であることが適切ではない、といったものであろう。

日本在住期間が長く国籍が日本であったとしても、日本人女性の審美的な評価や民族的・文化的な「良さ」を表現することには、DNA的にアジア系ですらない為に殆ど貢献がないとしか思われないわけである。


国内的な視点はとりあえず措いておくとして、今後ミス日本代表としてどう評価されるか、ということも考える必要がある(恐らく欧米勢は政治的配慮から今回の選出には無言を貫くことだろう(笑))。


何年か前からネットなどでも批判が起こってきたのが、所謂「文化盗用」問題、"cultural appropriation" と英語圏では呼ばれたりする問題である。

例えば、アジア系米国人女性の " I'm Japanese" 発言が物議をかもして、ネット上の論争が巻き起こったことがある。



日本では大して問題視されてこなかったような、異人種(主にアジア系と無関係の白人)によるファッションや文化を真似することが、欧米では文化盗用として非難の的になってきたわけである。


そうした背景には、主にリベラル勢による「人種差別問題」への厳しい批判があり、過剰なまでの「非白人系の人種には配慮せよ」「アファーマティブ・アクション」の要求や、或いはCRT(Critical Race Theory)のような白人優位の社会的構造を批判する意見なども出ている。




参考:


そういう環境にあって、どうして日本では敢えて「DNA上、日本人を示すものがない」純然たる白人女性を、「美の象徴」として最高位に選出してしまうのか、それはアジア系たる非白人の日本人への「人種差別的な取扱」なのではないかという批判を生むかもしれない、といったことへの熟慮が欠けていると思える。


上記の記事に沿って言うとすれば、ミス日本の女性が「取得国籍が日本」であること以外は、批判を浴びた『 I'm Japanese』とか、文化盗用批判の類例とかと殆ど一緒なのである。

日本では、白人女性が日本のファッションを取り入れてくれたり着物を着てもらっても、感謝や賞賛はあれど批判することなどまずないし、文化盗用だといった非難も起こらない。そんなことを気にする人はほぼいない。


だが、日本人女性の美を代表する立場の「ミス日本」に、純然たる「白人女性」を選出する(大会運営・選考側の)精神にまで理解があるとも思えないのである。

日本語話者であるとか、文化的・生活習慣等でも普通の日本人と同じだとしても、選考基準として完全に「非アジア系、DNA的に非日本人」の白人を選出するのを妥当だと考える選考側の貧弱な思考能力政治的背景に阿る奴隷的な根性が大いに問題視されているのである。


ミス日本に選出された女性には、何らの落ち度も批判されるような点もないし、同じ日本人の同胞として誰もが受け入れるのは間違いないが、大会運営側の選考過程には大いに疑問符が付く、という話なのである。


残された非白人の「普通の日本人女性」は、日本的な美を無視されたか、それとも否定されたかのように感じるだろう。
平たく言えば「所詮、白人には勝てない」ということを肯定したも同然の結果なのである。

日本だと、昔からテレビCMに白人女性を多く登用するという批判があったかもしれないが、まさに劣等感が丸出し(=構造的な人種差別)の「ミス日本」選考であったように思われるのである。


邪魔な人物を排除する為の、リベラル勢の過激化した攻撃手法(道具)、それが人種差別批判を利用した「キャンセル・カルチャー」だった。
(日本では、こうした過激な左派運動は殆ど賛同を得られず下火だった)



まさに批判の為の批判、だったものが、日本では逆に「政治的にウクライナ系白人女性」をクローズアップする為に、政治的に利用されたということであろう。

それが、今回の自虐的なミス日本選出ということではないか。

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