豊後街道 ひとり参勤交代
前回、豊前街道を巡ったのに続き、今回は豊後街道!
出発点はもちろん里程元標跡。
ここから今度は旧国道57号線沿いを阿蘇の方にむけて出発します。
まず現れるのが、夏目漱石も教鞭をふるったという五高の赤門。
現在は熊本大学になってます。
豊前街道に比べて立派なのが立ってます(笑)
一里木跡手前には、西南の役のちょっと前に熊本で起きた神風連の乱の記念館があり、やはり熊本には維新後の動乱のあとが色濃く残ってます。
二里木跡には、この街道で唯一の里数木が残ってます。
石柱には、右あそ・大分 左大津・内牧 と記されています。
この道標石も熊本市ではここだけにしか残ってないそうです。
二里木跡を出るとすぐに武蔵塚公園。
かの宮本武蔵が、藩主の参勤交代を見守りたいとの遺言でここに眠っています。
三里木はもはやここの地名になっており、三里木駅の正面に立派な石碑が立ってます。
四里木跡も立派なのがありました。
ここまでは旧国道57号線沿いでしたが、このあと国道を外れて二重峠を目指すことになります。
簀戸口跡は、藩主の通行前後の臨時の関所だそうです。
といっても、ここに杭があるだけですが。
五里木の手前からドンドン登ります。。。。
この坂を五里木坂と呼んでいるようです。
それに伴いチャリのペースもどんどん遅くなります(笑)
五里木跡から先も登りが続きます。
そして懸命にチャリを漕いで登ってきましたが、、、
ありゃりゃ、六里木跡の石碑は根元からポッキリ。。。(;_;)
豊後街道ひとり参勤交代は、ここでいったん終了。
二重峠は以前行ったので、そこだけ追加で。。。
街道は、二重峠を越えて阿蘇谷に入ります。
この間、ずっと石畳が続きます。
参勤交代も大変だったろうけど、石畳を作るのも大変だったろうなぁ。。。
ここを歩くと、ホントに当時がしのばれます。
さてこの先に八里木跡があって、さらに大分に向けて街道は続きますが、
この先はまた次の機会に。