見出し画像

僕のこしかた

いわゆるプロフィールってやつを。

*出生から四歳まで
昭和五十六年師走のどんづまりの辺りで房総半島内陸部寄りで出生。
ひとりっこ。
両親は地方公務員(ガッコのセンセー)。
母親は僕を出産してからほどなくして退職(した筈)。

やべぇ。
この情報だけで自分や両親を特定出来そうな気がしてきた。(笑)

四歳の時に父親が文部省の試験に受かってブラジルへ。
某地方都市の日本人学校に赴任。

*ブラジルにて
覚えてないけど四月には新学期始まるって事は三月に移動したんやろなー。
長時間フライトとか…もう三十年前の事やから実感を失ってる。
数少ない向こうでの記憶…両親が外出している間に何故かグリンピースを鼻に詰めてとれなくなり、両親が帰宅した時には号泣してた事。
両親揃ってそれなりに音楽好きで色々な音楽に触れさせてもらったが、ビバルディの四季のCD(CDまだ出て間がなかった筈)をかけてた事。
小型の熱帯魚とインコを飼育していた事。
幼稚園は現地の私学に通っていたので、僕は日本語とポルトガル語のバイリンガルだった事。
小学校入学は父の勤める日本人学校で、同級生は四人か六人か…全校生徒(小一から中三まで)が二十三人だった事。
日本庭園のあった旧校舎から新校舎に移った事。
新校舎の中庭の池に落ちるのが憧れだったのと校庭の金網を登るのが楽しかった事。

*帰国(小二から小四)
日本の気質に慣れなくて居心地悪く過ごした記憶が強いけれど、一人で空き地を散策して色々拾ったり、楽しくなかったわけではない。
両親の実家のどちらにも祖父母が健在だったが…確か小四の時に父方の祖父母は相次いで亡くなった。

*再び海外赴任…今度はメキシコへ(小五から中一の十月)
どれだけ中南米好きやねんと今の僕ならツッこむ。
現地でも学校法人として機能している特殊な日本人学校、年齢が上がっていた為に習得しきれなかったスペイン語(それでも比較的日本からの赴任組の中ではマシな方だったと自負している)、面白いマンガの洗礼を同級生や父の同僚(後輩)から受けた事、バドミントン、水泳、大気汚染、引越。
小学校卒業はここで。
そのまま中等部へ進学。
でも帰国前に引っ越した二軒目の家で先住者だった日本人家族が残してくれた私学の中高一貫校の資料を見つけ、深く考えずに両親へ受験をねだり、秋に母と二人で帰国。
母方の祖父母の家で生活しながら父の同僚だった人が経営する学習塾で補習を受けつつ一応受験勉強。
でも、よく図書館でマンガを読んでた。

*中高一貫校時代(中二から高校卒業)
日本の過酷な受験市場を理解せぬままノーテンキに受験して奇跡的に合格。
おそらく身元保証人になってくれた父方の伯父(父の実兄で父よりさらに社会的立場の高い人)の影響ではないかと後から思ってちょっと凹んだけれど、お陰で小学校時代のような居心地の悪さをあまり感じずに、後から考えればかなりのびのびと…時々やらかしながら過ごした。
やらかしの最たるものは…歩行者立ち入り禁止だと知らずに高速道路に立ち入って側道を散歩していて通報され、警察に保護されて、学年主任でもあった寮監に迎えに来て貰って、叱られるというよりは諭された事。
散歩するなら下道…というか出来れば遊歩道を、というのはこの時に覚えた。
なお、走るのは大嫌いだったが歩くのは好きで、学校最寄の二駅分くらいは平気で散歩していた。
川原泉作品との出会い。
寮生活。
部活。
同級生や先輩や後輩達。
何せ一応進学校の私学だったので、比較的経済的に恵まれたおっとりした生徒が多く、牧歌的な学校だった。
いや、えげつない苛めや異性交遊のトラブルもあったみたいやし後から割と親しかった同級生が教員の一人と不倫してたとか生臭い話も聞いたけどね。
僕自身は、学校という枠の中で、思春期を満喫させて貰った。

*大学入学から…
某公立外大へ入学。
一人暮らし。
初めてのバイト。
チャットにはまる。(笑)
残念な年上男性と初めての性行為。
その相手との行為で妊娠。
中絶。
休学。
復学。
留年。
多分二回か三回留年して、中退。
学業がつまらなかったわけではないけれど、学業以外の事にかまけ過ぎた。(笑)

*フリーターになって妊娠・結婚・出産・別居・離婚
とりあえず、妊娠して結婚したのが24の時で、一年間別居した挙げ句親権を放棄して離婚したのが30の時だった筈。
色々あった筈なのだけれど、多分まだ整理出来てなくて、丁寧に思い出そうとすると疲れるからこの程度で。

*その後…
まぁフリーターとして職を転々としつつ(その中でセックスワーカーとしての履歴書に書けない職歴が多分六年か七年分くらいはある気がする)現在は性産業と距離のある肉体労働で糊口を凌いでいる。

ポールダンスは多分八年くらい前に初めて見てからずっと好きで、お金を出して継続的に自分で習うようになったのは去年から。

カバー画像は2020年11月1日にレッスンを受けているダンススタジオの企画のフォトシューティングに参加するためにノーメイクで自分の衣装を確認したところ。

僕の各種SNSのプロフィールアイコンとして使っている画像は化粧しているものなので少し違う。

ちなみにこちらは九月に坊主にしてみた時に軽く化粧をして撮ったもの。(笑)

自称も「僕」だしこんな外見にしているけれど、僕はいわゆるセクシャル(ジェンダー)マイノリティを称するつもりはない。
僕は「女っぽくするつもりはない」けれど「女である事を拒むつもりもない」。
そして自分の心身は男ではあり得ないとも思っている。
ただ、思考言語において「私(わたし)」という主語は文字数が一つ多い分、どうも苦手なのだ。
ただし他者との会話においては「わたし」と自称している。(不惑も間近で若ぶった「ボクっ子」だと認識されるのは不本意だ…)
そのせいなのか、それとも単に僕が音声言語の使用に難があるのかはわからないが、僕は会話が下手だ。(笑)
特に伝えたい情報量が多い時に、それをスムーズに伝達するのはとても難しいと臆して(もしくは煩わしく感じて)仕事などで必要がない限りは黙ってしまう事も多い。

僕が文章において饒舌なのは、多くの情報を言語化して伝達するには口頭よりも文章の方が、発信者受信者のどちらも整理し易いからだろうと思う。

話がずれた。(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?