第3回梗概感想①

【注意】こちらの前書きを読んでからご覧ください。


1.武見 倉森 ゲームマスタ
『玉ねぎ状に積層されたゲーム世界』で、脱出を目指していた主人公が、少女ショットと出会い『自身を撃つことによって、本来脱出するはずだった世界とは逆方向へ移動することが出来る』と分かるところが転換点であり、物語的なキモであり、面白いポイント。

個人的に、一回自分を撃つだけでゲームマスターの部屋に行くよりは、『玉ねぎ状のゲーム世界』なので何度も『自分を撃つ』ことを繰り返して、世界の中心に迫っていくことをストーリーの軸にすると、なお面白くなると思う。ショットにそそのかされ様々なシチュエーションで自分を撃ちし、そのたびに世界のテクスチャが剥がれていくけれども、ショットだけは人間の少女でありつづける。そんなショットに畏怖を感じつつ惹かれる主人公、とか。

で、物語は世界の中心でゲームマスターを殺したショットに引金を引くシーンで幕を降ろす。思ったのはショット=主人公の正義の象徴(もしくは直接的に主人公の別人格)疑惑。
なぜなら主人公が自分を撃っているだけなのにショットまで世界の中心に付いてきているし、最後にショットを撃つことで『主人公が』世界の中心であるゲームマスターになる(物語内のルールに従えば、ここでもミレイは自分を撃つことで脱出とは逆方向へ進みゲームマスターになる=ショットを撃てば本来ならこの玉座の世界から脱出せねばならない)から。
つまり、脱出への意志=ショット=自身(の正義の象徴)、を殺すことでミレイは自身のモラルに殉じて、自分殺しの罪の刑期=ゲームマスター期間に入る。

ミレイの『どうしても脱出できないもの』にたいするアプローチの悲哀とその過程が実作で書ければ、とても面白くなると思います。

あと押井守の『アヴァロン』は参考にした方がいいかもしれない(とっくに知っていて今回あえて『逆』をやったのであれば、ただのお節介ですごめんなさい)


2.松山徳子 彼女は決して名乗らない
最初の、神話と信仰から女性を脱人格化する社会が形成される部分がとても面白い。ゆえに以降の物語に、その信仰と社会情勢とが直接絡まないのがもったいない。神話が『マイノリティに属する個人』の属性を少女に付与するだけの設定になってしまっているように思う。なぜなら、最初の神話部分を取り除いて、後半部分だけでも『普通の物語』として読めてしまうから。とはいえ、推察にはなるのだけれど、作者の目的は、『普通の物語』(=何気ない日常の一幕)の背景に普通ではない神話を挿入することで、僕たちが見慣れた物語を刷新しようという意図があるのかもしれない。

 その場合でも、女性の脱人格化が二つの文化に分かれ、なおかつその神話そのものを疎む社会勢力(主人公)という三種類の価値観があるので、女性の脱人格化文化二つそれぞれをイリと宗司に割り振る(明示する=梗概内に明記する)と個人的にはわかりやすくなると思う。おそらくイリが『宝の文化(転校を繰り返しているので複数文化?)』、宗司が『道具の文化』なのだろうと察せられるが。ほかには、明示しなくとも、互いの文化的な背景から二人が衝突する場面を入れてもいいかもしれない。例えば、『イリについて行って真似をすることが多い』宗司とイリが、『九つからは子と娘を区別』した後という文化の話で衝突し、神話を疎む佐久が仲裁に入る、とか。そこで、主人公である佐久がラストシーンの『紅く輝く夕陽と顔を合わせ、気付いた』への布石を入れることでオチをわかりやすくすることもできるし、宗司が卒業式前に『任せてほしいと申し出る』ときにシーンに衝突の解消という意味が生まれるから。

 ラストシーンに関しては『決して名乗らない』彼女が、イリか『口紅が落ちていない』宗司のどちらなのかという意味が込められていて、教師であり主人公でもある佐久だけがそれに気づくというオチなのだと思うが、僕も結局イリと宗司どちらなのかわからなかった(それが作者の意図なのかもしれない)。

 実作に関しては、梗概だと演舞の描写に力が入っていて綺麗なのでこの筆力を全編で生かしつつ、その裏で女性の脱人格化文化が不穏に脈打ち、そして喪失していた性差を還元する儀式である卒業式で、宗司によるイリの救済(性差の克服)が描かれる、という予想。観測者である佐久が、彼女らから何の気付きを得て、何を彼女らに諭すのか、楽しみです。


3.岩森応 Ground Island
 排斥され声を失った少女が、鼻歌で友人と邂逅し、皆と同じ声で感謝の言葉を述べられるようになる物語。その立役者として存在する女は、自身の過去にあらがうため、犬や老婆やなもなき誰かとして、排斥された少年少女を救う。救済する側とされる側とが直接は結び付かないというのがこの物語のキモで、主題はおそらく『強く正しくあるために、ヒロインは見返りを求めない。翻って、社会保障やセーフティネットも、営利目的では真に誰かを救うことはできない』といったところだろうか。児童相談所や役場ではなく、非営利目的の無料のゲームでなければ莉奈と透子は救えなかったのだから。

 なので、物語としてのバランスをどうするというのが課題になる。琴のパートと莉奈のパートで輪唱のごとく視点を入れ替えて進行するのか、視点は莉奈メインで『鼻の下を伸ばした御曹司』と結婚した琴を断片化して入れ込むか。個人的には老いた琴の視点から、莉奈を中心に回顧録的な形で叙述してもらうのも面白いと思う。最初は語り部が『老いた琴』であることを隠して進行し、莉奈や透子などの救済された少年少女が社会の中で居場所を獲得してゲーム(Ground Island)から脱出していく様を、勝手に見届ける。オチで、琴は『足が不自由になった老婆』として叙述から浮き上がり、かつて自分がデザインした『不自由な老婆=『琴が信じる強さ』を芽生えさせる者』へ変貌を成し遂げた(=自身の正しさの証明)ことがしめされ、自身も救われる。というのも面白いかも。
 現状の課題は、莉奈と対になる透子のキャラが薄い(莉奈にはない何かを持った莉奈を補えるキャラクターの方が映えるってのと、登場はしたけれど退場はしてない=12歳の透子はどうしているのかわからない)ので、そこを埋めたほうがいいかもしれない。加えて、莉奈を物語の中心に据える動悸(莉奈の物語が琴の物語とつながる意味)が薄いので、琴が『自分の子供時代』を『子供時代の莉奈』に重ねるような出来事を設定してあげると物語がスムーズになる。例えば、莉奈の父も琴の父と同じく酒浸りだったりとか。

 主題が持つ、今の時代に対してのクリティカルさ(切れ味の鋭さ)はとてもいいと思うので、それを生かした実作が読めれば、僕は幸福です。


今日は前書きとnoteの開設もあったのでこれくらいで……  先が長い(3/37)

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