『無何有の位』についての解説などエトセトラ、および返答のようななにか

これ↑について、色々なところで色々な意見をもらったので、忘れないうちに色々書き留めておこうと思う。ネタバレどころの騒ぎではないので、ご注意を。


まず僕が考える『無何有の位』の面白さ(=優位性)は三つあって、

・『三蔵法師』と言う誰もが知っているキャラクターが、『ブラフマグプタ』という知らないキャラクターと出会うことで、誰もが知っている西遊記という物語がゼロの発見という物語に、新たな接点を見出す。

・その具体的な表現として、西遊記的な派手なキャラクターと問題解決の物語に、インド的世界観と〝数学〟という要素が加わった、今までみたことがない『西遊記』の側面を描ける。 

・そして、その物語が『宗教(=般若心経)』と『現代数学(=オイラーの等式)』につながり、現実の歴史への接続として新たな史観を提示する。さらに言えば、その二つも、『一切空=0』として統合される。

というものだ。

 つまり、この『無何有の位』は、新たな発見を面白がる物語であると個人的には解釈した。
 少なくとも、梗概の段階で存在した面白さを絞り込み、そこに焦点を当てて書き込んだ結果、そうなった。

 逆にいうとそれ以外の書き込みは作品の焦点をぼやかすことになると思った。
 具体的には
『人物への共感としての面白さ』で、グプタの苦悩や、古代インドにおける様々な宗教や文化への深い考察、物語に通底する主題、あとはダルラジで語られていたテッド・チャン的な人間理解に関して。
 それらはすべて、雑味になると感じて可能な限り排した。
(なので、テッド・チャンの文脈で語るよりも、『SF西遊記外伝』とかの方が個人的にはしっくりくる。さらに個人的な嗜好で言えば、グプタ(=少年)の成長を物語の展開に絡めて個々のシーンの象徴的な意味合いや主題を作りたかったが、それをやると手癖で書いたブルー(第1回実作)でさえまとまりきらなかったので、今回は断念)

 もちろん、小説というフォーマットをとっている以上、
『キャラクターが動くのモチベーションや、葛藤とその解決のための主題』や、
『〝日常〟から〝異常〟への変遷を描いたり雰囲気をつくるための生活描写』は必要だった。
 だが、ある意味でそれらは、小説というフォーマットで、上の三つの面白さを読者に提示するための前提条件であって本質ではない。
 本質は『0と西遊記の新発見ドキュメンタリー』であって、『ブラフマグプタの人間ドラマ』ではない。というか、なくするしかなかった。本当はその二つが結合しているのがベストなのに。

 なぜか、
・一ヶ月でまさしく0から古代インドと数学の歴史と西遊記を学び
・最低限小説として過不足ない文章を書き
・短編小説として完成させる
という時間的分量的文章的な制約に答えつつ、
〝最大限面白くする〟ことを目指した結果である。
(あと遠野さんに見抜かれた通り、アラの少ない名刺的な一作を作りたかった。悪くいうと、置きに行った)

 つまり、現在の榛見あきるとしては、資料収集から脱稿まで一ヶ月でやれる限界は、これである。

 とはいえ、上記の制約を理由に言い訳やごめんなさいがしたいわけではない。むしろ、知識0からスタートして一ヶ月でこの小説を完成させられたことを、僕はわりとよくやったと思っている。偉いぞ榛見。

 ならば、ここで問いたいことは何か。
 具体的には二つあって、それは今後の創作活動の意見交換や批評のために聞いておきたいことでもある。

1.作者が抽出した面白さ(今回で言えば一番上の上の三つ)は、読者(一般ではなく個人)も面白いと感じられるものなのか。

2.面白さの焦点にある程度のポピュラリティがあるとしたら、今回の表現方法(=アプローチ)は適正だったのか。

 これには4パターンの返答が考えられて、

・面白いと感じたし、表現方法も適正と感じた。
・面白いと感じたが、表現方法は適切と感じなかった。
・面白いと感じなかったが、表現方法は適正と感じた。
・面白いと感じなかったし、表現方法も適切と感じなかった。

 たぶん、今回に限らずここから始めないと、批評や意見交換が効率的に回らないように思う。問題の切り分けが大事だ。問題は、感性なのか、技術なのか。
 そしてそのためには、作者の意図を公開せねばならない。何を思って、どういう意図でこれを書いたのかを知らねば、文章表現についての表層的な批評や評価しかできないのではないか。
「作者の意図など、読み手の前では屁も同然。役にも立たず臭うだけである」という意見もあるだろうし、それは一面で正しい。だがそれは、読者がプロ作家の作品を前に言うことであって、この講座のように作者同士の鍛錬の場でそれを前提に話し合っても、殴り合いか虚無か重労働の末の建設的意見になるだろう。

 なので、やってみた。作品についての自己言及と、問いかけを。

 ただしそれは、ある種、作品の殺害でもある。
 読者の中で息づいている想像の余地を、作者が自ら作品の皮を剥ぎ肉を分け腸を晒すことによって貶めることになるからだ。とはいえ、僕はまだプロではないし、講座に通い研鑽を重ねている段階なので恥も外聞もないだろう。
 あと、僕も単純に読みたい。作者が自分の作品を語っている文章を。
 僕は小説を読む力が低いので作者が解説してくれるととてもありがたいのだ。

 隙あらば自分語りしていけ。

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