第5回梗概感想 4/4

前4人の分に関しては、11月3日には終わっていたのです。なのに、なぜ……

式『BIG MOTHER IS WATCHING YOU』

前半と後半の落差が面白さを決める作品。『おかんAI』という発想がそもそも面白いので、そこから上手く組み立てていけば当然面白くなるはず。その反面、主人公がどうしても弱い。いや、面白さの主体が『おかんAI』なのだから、ある程度テンプレなキャラクターを持ってきた方が短編としては締まりが良くなる(そもそも『J( 'ー`)し「タカシ」』だし)のだが、本当に『おかんAI』を描くだけの一発ネタになってしまう。
いや、むしろそれが全てなのだが、『被造物が抱く母性(=創造主的精神)』という作品に内在されたテーマが面白いので、この世界のそれこそ『果て』が見てみたくなる。
『おかんAI』は人類の福音たりうるのか?


比佐国あおい『くすしき森のファウスト』

難しい。並行世界のギミックがテーマに対する回答であり、物語の面白さの根本であると読めたのだが、『内容に関するアピール』の③が梗概内で消化不良を起こしている。
ただ、これに関しては僕も今回の梗概で③に近いことをやろうとして失敗しているので、むしろ機会があればどうすべきだったかを一緒に考えたい。
並行世界のギミックに関しては事前に明確に梗概内で提示して、主人公である昌人の状態(夢の中で見ているのか、そもそも物理的に移動しているのか)と、昌人の『任意で出来ること、任意では出来ないこと』を明記しておかないと、終盤で小説を書き上げて並行世界にトリップするのがご都合主義になってしまう気がする。
実作があれば、③の表現形がどうなったのかというのをぜひ読んでみたい。


武見倉森『あの教室での再演』

すごい読みやすかった。今回で一二を争うくらい。で、内容もコンパクトにまとまっていて良いし、幽霊とダンスという組合せも個人的に好き(死霊の盆踊り……)。あとギミックに対する無理やり感が、時間の移動がコントロールできないという点と、主人公が幽霊である(客観的な時間を創出する『社会』から断絶されている)ということで、二重のオブラートに包まれて飲み込みやすくなっているのも合理的。
オチもエモみが溢れていて秀逸。ガクの死が一番最後に明かされることで、アオイの彼とのダンスに対する執着の理由が示される。
そして『ダンスの間、時間は溶け』るのだ。
アオイが喪失した時間軸が、他者との交流(ダンス)によって再生される。
それは小説の構造にも現れていて、一貫して一人称的三人称で描かれていた(主観的時間しか持たない=文頭が『アオイ』)文章が、
ダンスの部分で純粋な三人称になる(三人称的な時間に定位させられる/『幽霊・死者』という社会からの断絶を限定的に回復しうる/二人の時間が再生する=文頭が『アオイとガク』)わけで、とてもエモい。エモエモのエモ。
その分SF要素とかガジェットは薄いのだが、まぁそれをこの小説に求めるのはお門違いだ。
ぜひ実作を。


天王丸景虎『コキュートスの玉座』

全体としては『冷たい方程式』から続く方程式モノ。しかもSF的ギミックを特盛りの。あるいはオチを見る限りそこにループモノの意匠も入っているか。今書いてて思ったが、方程式モノにループモノを組み合わせると、ニューラルネットワーク学習の主観的な表現になるのか、面白い。『合理性の狂気』という表現からも窺える通り、シーンとシーンの対比で常軌を逸していくレサクの行動が面白さの一つのポイントなので、これも実作で化けるタイプの梗概だろう。
どうでもいいが、眼王塔に(IoT)とルビをふるセンスは大好き。オタク的なシンパシーを勝手に感じている。


よよ『声が聞こえる』

伝奇的な作品①。先に謝ってしまうが、相変わらず榛見はこの手の作品のデコードが不得手である。
カニクリームコロッケが食べたくなる。オチの無常感は好きなのだが、結構疑問が残ってしまう。
結局光に包まれ不死になる原因は何だったのかとか、アイ一家の転居の理由が不明確とか。
幸福の象徴としての『カニクリームコロッケ』であり、アイはその『あげた油』(=幸福の残滓であり、捨てられるもの)を選び自死を試みる。その象徴的な意図はわかるが、いったいどうやって油で自死を……とか。
あと、一貫してアイの動機が見えない。正直好みの問題なのか微妙なところなのだが、動機が見えないことである意味このドライな空気感のまま最後のオチにまで行ってしまっていて、全体の色調というか雰囲気は整っているがそれ以上のなにかがないように思えてしまう。


藤琉『マンモスは二度絶滅する』


伝奇的な作品②。ランダム化したのに似たような作品が重なる不思議。
なぜ、マンモスなんだ……
この話は、敵対する存在が『マンモス』ではなくても構造上は通用する(サーベルタイガーとか)。なぜなら、マンモスである必然性が物語内部に言語化されていないから。それでも、ここではあえて『マンモス』が使われた。それはおそらく『マンモス』という生物が持つ、今の時代に接続された文脈を僕が知らないから読み解けないだけなのだ。
話の内容はある種ものごい神話的で、アメリカインディアンとバッファローの関係っぽくもあるし、狩猟文化から農耕文化への過渡期に創られる犠牲と収穫の神話っぽいような気もする。狩猟文化(=男性性)から、農耕文化(=女性性)へというような感じ。
なので、もはやクローン設定とかはいらないように思えてしまう。ここ以外に科学的な用語が使われている訳ではないので、雰囲気の統一を図るなら伝奇側に寄せたほうがまとまる気がする。


古川桃流『ダイヤモンド工場の砂嵐』

物語と設定とオチが個人的にすごく面白くて、好みで言えば今回の上位に入るくらいに好き。
では、何が気になったかというと『情報の出し入れ』である。情報を盛りすぎる癖は僕にもあるので何も言えないのだが、ざっくり言うと固有名詞が散らかりすぎているように感じた。つまりは読者を集中させるべき『面白さの焦点』が分散してしまっていて印象がぼやけるのだろう。ただそこはSF的な雰囲気の演出にもなってくるので、難しい(古川さんのツイートを見てるとやはり『情報の出し入れ』的なことも言及しているので僕が改めて書くことではないのだが、今回の作品はそこを上手くできれば選出もあったと思うくらいには面白いと思った)。
で、内容に関しては設定と論理ですとんすとんの小気味よく話が進んでいくのでストレスがない。オチに関してもショートショートの王道的な感じがして好き。──ああ、今書いてて納得した、設定の重厚さに対して話自体がショートショート的なので焦点がぶれているように感じるのか。『この話ならこんなに設定は必要ないのだが、設定が面白いから削るに削れない感』とでも言うべきか。
つまり実作であれば解消されるということですね。


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