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きっと何者かになりたい『夢限大みゅーたいぷ』の“生存戦略”についての考察

バンドリだけど演奏できなくて大丈夫!と銘打ったオーディションを開催してんなわけねぇだろと袋叩きにされてから早1年、遂にあいつらが動き始めた!! 生きとったんかワレェ!!

いや、正直なところ存在を忘れかけていましたし、企画自体ポシャったとさえ邪推してたんで普通にびっくりしましたね。Vtuberそのものに抵抗感があるので「うわぁ…」という声さえ出たのですが、どうやらこいつら、どうも第7のリアルバンドとして、バンドリに殴り込みをかけてくるみたいです。演奏できなくてもいいよという触れ込みでしたが、どうやらズブの素人だろうとライブ出来る程度にはみっちり仕込んだらぁ!という意味合いだったようですね。こんなヤクザみたいな勧誘ある? いやまあでも、バンドリのコンセプトはきちんと引き継がれるようなのでとりあえず安心したのは事実です。ただ、それ以上に注目せざるを得ないワードがこのティザームービーにはありました。

生存、戦略ゥーーーッ!!!

おそらく、アラサーに差し掛かるオタクであるならば、この言葉は魂に刻まれているくらいの影響があるはずです。というか、この言葉に、当時人生の価値観を揺さぶられたはずなのです。そう、あのアニメに。

輪るピングドラム。未だ考察の余地のあり続ける、そして未だ根強いファンを持ち続けている、昨年には10周年を記念して、前後編の劇場版も公開された偉大なる金字塔。ド世代であり、イクニ信者である僕としては当然に敏感に反応せざるを得ませんでした。もしかしてこのバンド、Rock Over Japanカバーしたりする? とか期待してしまうものです。ただ、Vtuberという題材と輪るピングドラムを同時に俎上に置くならば、この夢限大みゅーたいぷが扱うであろう切実なテーマも見えてきました。それは、『透明な存在』です。

とりあえず今なら劇場版前後編がdアニメストアで観れるので四の五の言わんと観てもらいたいのですが、輪るピングドラムにおいて『透明』とは、
それは親や他の誰かに「選ばれなかった子供」が至る色です。この透明、幾原邦彦監督の次作である『ユリ熊嵐』でも透明な嵐の被害者が陥る色として描かれており。こちらはもっとわかりやすく、イジメによる存在無視により至る色として透明になっていました。いずれにせよ、透明にならないためには誰かから選ばれることが、承認が必要になります。

輪るピングドラムは印象に残るセリフが多すぎるくらいなのですが、「生存戦略」に並んで心に刻まれるセリフと言えば、間違いなく「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」で大方異論はないでしょう。作中ではとあるカルマを背負った兄弟の残酷な運命に対して、その存在を問うように語られる言葉なのですが、そのこととは無関係に、このセリフは何者かになりたがっている当時の視聴者に大きな爪痕を残したものでもありました。こうやって、物語の中で的確に視聴者の急所を抉ってくるのが幾原作品の楽しみでもあります。抉られたければ是非他の作品も観て下さい(布教)。

さて、問題になってくるのは、この「透明な存在」「何者にもなれない」というテーマが2011年当時の一過性の問題ではなかったということです。当時ピチピチのナウなヤングだった我々もアラサーになりましたが、誰かから承認されなければ透明になってしまうだから何者かにならなければならないという無言の圧力は10年以上経った今も社会に横たわり続けているわけです。しかし10年経って時代は変わりました。何者かになりたければ、本当にVのガワを被って何者かになれる時代になったのです。V、承認~!!

そろそろ主語がデカくなりすぎそうなので軌道修正しようと思いますが、ともかく考えたいのは夢限大みゅーたいぷの5人の境遇です。現状、Twitterではお茶楽けた様子ばかりを見せている5人ですが、MyGO!!!!!やAve Mujicaのと同じバンドリ2.0と考えると、やはり同等の重い境遇があると考えざるを得ません。つまりは、自分が何者にもなれないと思っていた少女たちが、透明にならないためにVtuber活動を始めた。もっと言えば、透明にならないために、Vのガワを被って元の自分を捨て去ることを決意した。そういう屈折した背景があるように思えます。それが彼女たちの生存戦略。透明にならずにイキるための戦略なのではないかと。

運命か~!(長崎そよ)

ところで5人のイメージカラーも公開されましたが、大変見覚えのあるカラーリングですね。まんまPoppin'Partyです。アンダーバーが赤系のピンクなのも含めて露骨ですらあります。これだけならポピパさんみたいにスチャラカ楽しいバンドになるのかなとも思いますが、彼女らが何者かになりたいことを考えるならば、これはむしろVとしてガワを被っても結局ポピパさんの模倣にしかなっていないという残酷なまでの無個性の象徴に映ります。他にも、1stライブ名の「めたもるふぉーぜ」だってMorfonicaの模倣ですし、夢限大みゅーたいぷというバンド名ですらD4DJのLOVE! HUG! GROOVY!!の歌詞「ムゲンダイMUSIC」の模倣です。間違いなくこの辺り全て意図的だなと感じました。結局、何者かになろうとしても誰かのレプリカにしかなれない。そういう方向性なのではないかと思います。

夢(赤)と現実(青)

さて、一方でスローガンの部分にAve MujicaとMyGO!!!!!が出てきました。仮面舞踏会で束の間の夢を見せてくれるAve Mujicaと、どこまでも現実の中を泥だらけで進んでいくMyGO!!!!!。明らかにこの2バンドへの意識が見て取れますし、その2つを「飛び越える」と宣戦布告していることからも、やはり夢限大みゅーたいぷはMyGO!!!!!およびAve Mujicaに対する第三極バンドとして見るべきでしょう。ただし、そのイメージカラーは青と赤に対して、おそらく透明です。


というわけで、こんなユーザー舐め腐った登場に反して、意外にも重厚なテーマを持っていそうだなということが感じ取れたわけですが、そうは言っても死ぬほど不安なのが、彼女らがVtuberらしく個人配信をするという今後の展開です。ヤ、ヤダ! Vの配信なんて結局炎上する未来しか見えない!!(ド偏見)

こ、怖いよ~!!

ところで、一方でコンテンツとしてVtuberをやるからには、虹ノ咲だいあみたいに中の人となるキャラクターがいるわけです。そして、彼女らにはおそらく人前には出たくない事情もあるでしょう。だとするならば、この配信はもしかすると漏洩のためのものなのではないかという期待感もあります。何しろ、Vにまでなったのに模倣しかできてないヌケサクの集まりなのですから、隠したい秘密を守り通すことも多分不可能な連中です。なので、そうしたキャラクター設定上、敢えて身バレに繋がる情報を配信内に盛り込むんじゃないかという読みでいます。例えばこの人とかこの人とか、キャラクターとしての中の人の有力候補じゃないでしょうか。ドーナツとか出てきたら中の人として疑えたりします。

CV担当者がギター弾けます
二面性の権化

また、中の人の中の人の話になりますが、それこそMyGO!!!!!やAve Mujicaが正体を隠して行ったライブではその日の内にほとんど全員身バレしたくらいに声優特定班は優秀でした。今回の配信は、そんな声優オタクたちに対する難易度高めの挑戦状になる可能性もあるんじゃないでしょうか。あ、ちなみに僕はこの配信当日予定あるんでリアタイできないです。みんながんばえ~!(他力本願)

最後に、誰かと繋がるということは秘密を共有することというのは、幾原邦彦監督の別作品のテーマでもありました。実のところこれも、Vtuber設定との親和性はかなり高いように思います。繋がるし、正体を隠すメディアなので。そして、彼女らは何者かになりたいうという欲望に突き動かされてもいそうです。手放すな、何者かになりたいという欲望は、君の命だ

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