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ボロボロになってもその旅路は美しかった ~映画「トラペジウム」感想~

本当にいい作品って、口コミで広がっていくものなんだと思うんですよ。特にSNS全盛の現代ならば尚更で、誰かが熱狂的にその作品を好きだと叫べば、その影響は確実に広がっていくものです。
そういう背景があるのでプロモーションする側の企業なんかはいつだってトレンドの数字に気を配っているわけなんですが、いや、何と言いますか、本当に口コミで広がっていく作品って数字に現れないんですよね。その作品を語るオタク1人1人が帯びる熱量に、その魅力が現れるものです。
そしてGW明け最初の金曜日頃から、明らかにその熱量が異常な作品がTL上を席巻していました。普段そこまで映画館に足を運ばない人間なので、当初全く観に行くつもりではなかったんですよ。ただ、この熱量は明らかにおかしい。そして、ジャンル自体は僕の好みである酸いも甘いも織り交ぜられた青春群像劇っぽくて、まあ刺さりそうだという値踏みもありました。
というわけで観に行ったトラペジウムなんですが……いやはや、とんでもない傑作でした。何と言うか、綺麗に真正面から刺してくれた作品でした。あまりにも輝かしい青春をやっていて、にもかかわらずそれが壊れていく過程が痛切で……。
何でここまでストレートに刺さるかと言えば、それはシンプルに王道を貫いてくれたからだと思うんですよね。ただ、この作品が選んだ王道は「アイドルもの」としてのそれではなく、もっと昔から普遍的に物語の人気ジャンルとして受け継がれている「冒険もの」としての王道でした。

「冒険もの」として見るトラペジウム

冒険ものの定番そのままに、本作の冒頭はやはり仲間集めから始まりました。スポーツものなんかでも仲間集めってのはお馴染みなのですが、この作品の異色なところを挙げるとすれば、色んな学校にぶらりと訪れていく、その仲間集めの過程も全て旅というところではないかと思います。東西南北を冠するだけに、それこそ東奔西走、南船北馬。その過程自体にも苦難はありましたが、その荒波を乗り越えて、東ゆうは見事彼女だけのクルーを手に入れます。
この作品が他のアイドルものと一線を画しているポイントとしては拠点がないことも特徴でしょう。大抵は事務所だとか部活だとか劇場だとかの拠点に根を張って活動を始めるわけですが、そもそも全員違う高校の少女たちで結成された東西南北(仮)の活動にはそれがない。ああいえ、中盤以降確かに事務所に所属はするのですが、それは実のところデビュー後ですし、事務所への所属後は転落の一途を辿ります。事務所はほとんど彼女らの力になることはありませんでしたし、それ以前のアイドルになるための冒険の渦中こそがキラキラと輝いていたのです。
加えて、この作品には宝の地図もありました。東西南北のアイドルを集めてデビューするという主人公の計画がそれです。あまりにも青臭い青写真。当然その計画の通りには事が運ばないため、事態が予想外の方向に進展する度に、東ゆうは過剰とも思えるほどの苛立ちを覚え、その様子が痛々しくもコミカルでした。ただ、彼女からすれば進んでいる道が地図から逸れているわけなので、その焦りはとても普遍的です。ボランティア活動が思惑通りに進まず、蟻が混入した味噌汁を地面にぶちまける様子からは、行く道を逸れて価値を失った地図を破り捨て去ろうとせんばかりの破れかぶれ感が伝わりました。
そして、この作品には宝物もきちんと設定されています。何を隠そう、それがアイドル。アイドルに憧れ続けた東ゆうにとって、それ自体がどこかの島に眠っている伝説のお宝です。ですが、結局のところ彼女はその宝物を手に入れることはできません。でも、その旅の過程で手にした仲間との時間こそが本当の宝物になりました。その道筋はあまりにもボロボロだったのですが、結果ではなく過程を称揚してくれる物語として、本当に美しかったと思います。そして、旅の道程に価値を置く物語というのは、あまりにも冒険ものらしいなと思ってしまうわけです。
そもそも、東ゆうとて好き好んでこんな無謀な冒険を始めたわけではなく、元はオーディションに全て落ちたが故に、やむなく自ら地図を描いて冒険せざるを得なかった。つまり、本来はきちんと拠点を得てアイドルになることを望んでいたわけです。ただ、拠点を持たない4人にとっては東ゆうの描いた地図こそが4人を繋ぎ止める拘束力にもなったのが皮肉ながらも美しい関係だったと思います。旅の過程でしか成立し得ない関係だったからこそ、あれだけ輝いて感じられたのだなと。
とはいえ、船長がその宝の地図をクルーに見せようとしなかったことが、結局はこの船が難破して沈没してしまう悲劇を招きました。ただ、もっと根本的な破滅の原因としては、アイドルという宝物の価値を理解できない者ばかりを仲間にしてしまったことだったのだと思います。

宝物に呪われてしまう少女 ~大河くるみ~

最もアイドルから遠く、そしてアイドルから遠いままその旅を終わらせたのが西担当の大河くるみでした。一見とてもあざとい、作られた可愛さを感じる少女でもあり、東ゆうが特にアイドルとしての魅力を感じていたのも頷けます。これが天然だから恐ろしいところですが。

ただ、嘘っぽい可愛さと同時に、リアルな孤独感を体現していたキャラクターでもあったなと思います。というのも筆者である僕がまさしく高専の出なので、その内情というのは人一倍存じ上げているわけなんですが、作中でも描かれていたように高専というのは圧倒的に男子が多数の環境です。じゃあそういう場にいる数少ない女子ってちやほやされるんじゃないかと思われるかもしれないんですが、男子が圧倒的多数の環境というのは必然的にホモソーシャルになるものであり、むしろそこにいる女子というのはその環境から疎外された存在になります。ホモソを乱すので警戒される存在とさえ言ってもいいかもしれません。作中の文化祭の出し物で男子がオカマをやっていたのも、ホモソを強調しているなと感じました。
それと、ロボコン部でも部員と対立しているところからスタートしていましたが、この点を普通の「高校2年生」として解釈してしまうとその対立の深刻さが掴めなくなると思います。高専ということは4年生や5年生とも対立してるわけなんですよ。そういう2つ3つ上の相手にも物言える芯の強さがあると同時に、縦の規律が強いであろう男社会には馴染んでいけない社交性の欠如も感じるキャラクターでした。

そもそもにしてテレビ出演を機に誕生したファンに塩対応をしてしまう程度には不器用。一番アイドルっぽく見えて、最もアイドルに向かない少女として造形されており、最も破滅的な結末を迎えたのも彼女でした。彼女の悲劇は、東ゆうが求めた宝物に価値を感じられず、むしろ宝物が呪いにすらなるのに彼女の旅に同行してしまったことでした。
宝物に手が届きそうもない、4人でボランティア活動に勤しんでいた時期だけは屈託のない笑顔を見せてくれてはいたのですが、その顔から笑顔が徐々に失われていく様子はあまりにも痛々しいものでした。もっと言えば、中盤以降の15分間ほどくるみの心情描写自体が消えている時間帯すらあり、この空白の時間、「早く! 早くくるみの顔を見せてくれ!」と焦燥する一方、「次にくるみの顔が映ってしまったら終わりが始まってしまう……」という確信も同居する、何とも言えない感情で過ごすことになりました。
ただ、東ゆうも何もかもを失った後で初めて自身の旅路を振り返った時にくるみの顔から笑顔が消えていったことに気づきます。彼女の禊がほぼ完了したことを理解していたのか、大河くるみもあれだけ傷つけられたというのに、東ゆうを許すに至ります。それは本人が語るように、彼女にとっての東ゆうは最初に出来た友達だからというのもあると思いますが、大河くるみもこの旅で得たものがあったからだと思います。

未来に4人が集ったエンディングで、彼女はおそらく工学系のエンジニアとして働いていることが伺えます。勤め先もやはり、高専と同等かそれ以上の男社会のはずですが、仕事は充実しているようでした。あの旅で大河くるみが得た宝物。それは東ゆうに出会う前には持ち得なかった、男たちと上手に渡り合っていく社交性です。
あの旅で誰よりも傷ついた少女は、その後の人生という旅を生きていくための強さは確かに手にしたのだと思います。

既に青い鳥を見つけている少女 ~亀井美嘉~

大河くるみにとっては宝物こそ必要なかったわけですが、旅は必要でした。ただ、その一方、東ゆうの冒険には旅自体が必要なかった少女まで同行していました。北担当の亀井美嘉は、不登校がきっかけながらもボランティア活動という居場所を獲得しており、しかも彼氏までいます。幸せの青い鳥が実は近くにいることに、亀井美嘉はもう最初から気づいています。4人の中で最も頼りない存在に映りますが、身近な人に慈愛の手を差し伸べる強さを持つ彼女は、実は既にゴールしている存在です。
既に幸福を手にしている彼女に、それでも旅をする理由があったとすれば、かつてのヒーローに自分を友達として認めてもらうためでした。彼女にとって価値があったのは、宝物でも旅の過程でもなく、旅の仲間になることです。問題は、そのヒーロー様が周囲の全てを自分のために利用する悪党であったことですが。

特に亀井美嘉は利用された側面が大きい人物でした。ボランティア活動に誘ったところ、どういうわけかそのヒーロー様が無償の奉仕に“商品価値”を感じてくるところが加入のきっかけでしたし、その後も徹頭徹尾、美嘉やボランティアの人々の善意を踏みにじっていきます。ADに紹介する際には「ボランティア仲間」という言葉を使われたのに、彼氏がいたことが発覚するや「彼氏がいるなら“友達”になんかならなかった」と拒絶の時だけ友達呼ばわれりされる様子などは流石に目を覆いたくなるほどでした。彼氏との関係を解消させられた後だというのに酷い追い討ちです。
破滅的だったのは大河くるみだったとしても、最も多くを奪われていったのは亀井美嘉の方でした。ただ、彼女の強さはその善性ゆえに、どれだけ奪われても与えられることにあります。青い鳥を見つけている人間だからこそ持ち得る慈愛と、アイドルにあるまじき「大人の階段」を先に登っているからこその強さが、全てを喪失した東ゆうを立ち直らせて本物のヒーローに変えていきました。ゆうを相手取って階段の上から愛を語れるようになった少女は、幸せは誰かがきっと運んでくれるとは信じておらず、むしろ自ら他人へと運んで行けるのです。

旅も宝も必要としなかった彼女は、その未来で第二子を妊娠し、文字通りの子宝に恵まれています。そうなると、苗字は既に亀井ではなくなっているはずです。北でも何でもなくなった、ただの“美嘉”の幸せを東ゆうに祝福してもらえたことが、本当の友達になりたかった彼女がこの旅で手にした新たな幸福です。

冒険を人生にした少女 ~華鳥蘭子~

大河くるみは宝物にその身を焼かれ、亀井美嘉は旅すら必要ない人物でした。この崩壊により終わった旅物語にあって、きちんと旅に救われた少女がいたことが、その道程がきちんと輝いていたことを証明してくれているなと思います。南担当の華鳥蘭子が、その担い手です。

箱入りお嬢様ではあるものの親や学園の締め付けが厳しいわけでもなく、資金力も豊富な彼女は、本来かなり自由な存在です。くるみと美嘉が苦しみ抜く一方で、上手いことアイドルとして適応していく印象も強く、東西南北(仮)の中では一番地獄が浅かったのではないでしょうか。
ただ、東ゆうと出会う前の彼女がいた場所はテニス部の最後尾。あのままテニス部を続けていては屈辱と劣等感に満ちた日々を送るはずだった、本質的に今いる場所から脱出しなければならなかった人物です。ただ、温室育ちの出自ゆえに、冒険をするという発想そのものがない。そこにやって来たのが東高(笑)の制服を着た見すぼらしい身なりの旅人で、あれよあれよと蘭子をその船の最初の乗組員にしてしまいます。では、これで華鳥蘭子も冒険者になれたのかと言うとそんなことはなく、次に大河くるみが乗ってきた時に、その豪邸のプールがくるみのロボットシップのとしての扱いを受けていたのが象徴的でした。船に乗っただけでこのお嬢様、まだまだ全然冒険はできていなかったのです。
華鳥蘭子に欠如していたのは主体性。限界が近づくくるみからの相談にも「流れに身を任せていればいい」と語りますし、その操舵輪を握ることは長らくありませんでした。結局くるみが壊れることを止めることもできず、失意のままに芸能界を去ります。くるみや美嘉ほどの絶望はなかったかもしれませんが、退所願いを出したのが2人と同時だったことからも、この時点での蘭子も少なからずこの冒険のせいで傷を負っていたはずです。
にもかかわらず、ラストシーンで再会した時の華鳥蘭子は、その進路に冒険家を選択していました。いつの間にか冒険が楽しかったものとして受け止めており、主体性を持ってその操舵輪を手にしています。一体、事務所を辞めてからの彼女に何があったのか。
おそらく、何もなかったのです。アイドルを辞めた彼女は、やはり流されるまま南のお嬢様学校での生活に戻ったはずです。テニス部に出戻りしたかは定かでありませんが、それは元の、東ゆうと出会う前の平穏な日々。激しい喜びもないけれど、深い絶望もない、そんな植物の心のような人生に……逆に耐えられなくなったのです。

東西南北(仮)で過ごした冒険の日々が、彼女の在り方を不可逆に変えてしまいました。辛い思いを抱えて終わった旅路でも、振り返ると、あれほど充実していた日々など、彼女の人生にはなかった。冒険が終わってようやく、冒険の価値に気づいたのです。お蝶夫人に憧れたはずの少女は、今やゴキゲンな蝶になって、世界中を飛び回るようになりました。

閑話休題:そもそも何で実写じゃなくてアニメだったのか

被害者トリオの話は終わったので、アイツの話をする前に小休止を。
副題の通りなんですが、ずっとこれは、それこそトラペジウムを観るつもりになる前からの疑問でした。この作品を知ったのは、他の映画(確か大室家だったかな?)の上映前に予告編を見かけた時だったと記憶しています。この時点で僕の脳内にはクエスチョンマークが浮かんでいました。何で、乃木坂原作なのに実写じゃなくてアニメなの?
まず、実写の方がコネクションが活きるだろうと思いました。加えて、アイドル時代の高山一実先生のファンも、実写映画を観に行く人の方が多そうに思えます。
そして何より、アニメファンは「元乃木坂のアイドルが原作!」という売り文句を目にしても、そのネームバリューに魅力を感じない人間が多いのではないかと思います。少なくとも、僕は予告編を見ても全く食指が動いていませんでした(あ、羊宮妃那さんいる~くらいの反応はしましたが)。正直「わざわざ波風立つ方に来たなぁ~」とさえ思ったほどです。近年はマシになってきましたが、以前はアニメオタクとアイドルオタクは何かと対立しがちでもあったので……。
さて、こうして少なくない時間を割いて記事を書いているので、んな失礼なこと考えてた僕がもう白旗上げちゃっているのは言うまでもないことかと思いますが、白旗ついでにパンフ買ったのが正解でした。そこにきちんと、僕が一番最初に抱いた疑問の答えは書かれていました。
曰く、現実のアイドルの曲などを出してしまうと、そのアイドルの存在がチラついてしまうのがマズいというもの。対談では主に曲の話でしたが、演者がアイドルであったりしても、そのアイドルの普段の活動がダブるというのは頷ける話でした。即ち、フィクションをフィクションのまま保つ上では実写よりアニメの方が適していたというわけです。

以下はパンフに書いてる内容ではないので、僕の勝手な想像です。
さて、フィクションをフィクションとして保存するためには、逆にコネクションが邪魔になったのかもしれません。高山一実先生が元乃木坂メンバーであるからこそ、実写映画となるとキャスティングにはコネクションを活かすことを求められるでしょう。大人の世界には、そうした仁義もあるものなので……。
けれども、それだとこの旅路が誰かの自叙伝になってしまう。そうではなく、それ自体で閉じている一つの物語になることを望んだが故の決断だったのではないかと思います。お世話になった方々への不義理を自覚してでも通したかった、自作品をフィクションとして保存するための意地として受け止めました。

(24/5/19追記)
もう一つの疑問として、OPが星街すいせいなのも何故だろう?という件もあったのですが、これも同じ理由で説明できると思います。やはりOP曲も実在するアイドルが担当してはフィクション性が損なわれます。でも、アイドルを題材にした作品である以上、OPもアイドルソングがいい。そこで、少なくとも設定上は現実世界に存在しないVtuberは最高に都合が良かったのではないでしょうか。
加えて、この作品にOPが必要だったのか?という問題もあると思います。アニメでも劇場版であればOPが無いことも多く、別にOPを省きさえすれば誰を起用するかに頭を悩ませる必要もなかったわけです。ただ、このOPは絶対に必要と断言できます。あのアニメらしいOPがあることで、この物語はフィクションですという言外のメッセージが成立していました。「乃木坂46原作!」の触れ込みで売っている、フィクション性が揺らぎやすい作品だけに、その点に細心の注意が払われていたのだと思います。

アイドルが輝く理由 ~東ゆう~

……来ちゃったよ。
正直、この野心と行動力の化身について記述できる自信が無いので、筆が乗るまで敢えて構成上後回しにしたんですよ。てか、東ゆうについてはもう皆散々語ってない? 6日遅れで観た僕が今更やる必要あるか? とさえ思うんですが、いやまあこのバケモンを語らずしてこの作品を語ったつもりになるのもやはり筋が通らんというものです。

彼女の何が人を惹きつけ、そして何が人をドン引きさせるのかと言えば、あまりにも純粋で濁りのないアイドルへの憧れを起点に、数々のゲスを働く二面性なのだと思います。ここまで冒険や旅になぞらえて、特に船旅を比喩の中心に用いてこの作品を語ってきたのにはここに理由があります。
東ゆうが抱くアイドルという宝物への憧れと、その道中で悪事を働き続けるピカレスクな姿は、僕には海賊のそれに映ります。彼女の家が海沿いであること、彼女の部屋に房総半島南部の地図が貼り付けてあること、モチーフが東西南北で持ち歌も方位磁針をもじったものであること……そういった演出面の全てからも、東ゆうというロマンチストな冒険者に海賊の姿を重ねずにはいられません。
SNSでは彼女の行いが受け入れられるか否かの議論も行われているようなのですが、ちゃんちゃらおかしい。海賊なんだから悪事を働いて当たり前なんですよ。彼女の行いについて評価すべきは、その悪事を働く様子が小悪党としてあまりにも魅力的であったこと、そして、犯してきた罪がきちんと懲らしめられて作品の倫理観自体はきちんと担保されていることです。

もう一つ別の角度から語ると、彼女のゲスい行動の数々はビジネスマンのようにも映りました。東西南北の女子高生を集める計画からして、東ゆうは同世代の人間すらも全てビジネスパートナーとして扱っています。ビジネスだからこそ他人を出し抜くことも、人々の善意を踏みにじることも厭わず、何もかもをサクセスの糧として考えていました。そして、このビジネスが他人を幸福にすることを疑いもしませんし、誰もがビジネスにおいて成功することを望んでいると信じています。
そのため、あくまで対等な友達として見てもらいたかった亀井美嘉からは反感を受けますし、そもそもビジネスに気乗りしていなかった大河くるみに至っては最終的に労災に見舞われました。華鳥蘭子は……道楽としてこなしていただけでしょうけど。
その一方、その分かりやすさを伴った企画立案能力は、同じくビジネスの世界に生きるADから認められて、一時は活路を拓くきっかけにもなりました。良く言えば東ゆうだけがあの4人の中で1人だけ社会人をやっていて、悪く言えば東ゆうだけがあの4人の中で1人だけ女子高生をやっていなかった、そんな不整合があったように思います。

そんな、内面のキラキラは抱えていたにも関わらず、やっていることは薄汚れた独善だらけという無茶苦茶さが、観劇する我々からすれば確かに魅力的ではありました。しかしながら、東西南北(仮)の中でも人気はどうやら最下位と、作中の人々には彼女のキラキラは全く届いていなかったようです。アイドルは輝くものだという理想を抱いているにも関わらず、東ゆうは全く光り輝けないままでした。何故でしょうか?
東ゆうがアイドルたり得ていなかったことを証明する人物が工藤真司です。思えば、彼ほどこの映画で激変したキャラクターもいないのではないでしょうか。初登場時の彼は、高専では見慣れない他校の女子にドギマギし、女子高生の制服に興奮する……まあ何と言うか典型的なキモ童貞でした。ですが、東ゆうとの2度目の対面以降はまるで人が変わったように、落ち着きのある態度で彼女の相談役まで務めてくれる爽やか好青年に変貌していました。何かあったん? 俺らに内緒でソープにでも行った?
……何があったも何も、東ゆうと出会ってしまったのが彼の決定的な転換点です。想像してみてほしいんですよ。中学時代はロクに女子と話せず、進学先の高専ではそもそも女子がほとんどいない。そんな環境下で偶然出会えた他校の女子が……ボランティアを踏み台にする勢いでエゴにまみれた打算をペラペラと喋り始めた時の、彼の心情を。この瞬間、工藤くんの挙動を童貞たらしめていた、女性への幻想が音を立てて崩れ落ちていったはずです。おそらく彼は童貞自体は捨てていないはずですが、東ゆうとの出会いをきっかけに姉のいない童貞から姉のいる童貞へはクラスチェンジできたのではないでしょうか。長らくオタクやってきましたけど、彼ほどインスタントに解脱できた人間を他には知りません。
いや、お前、何やってんだよ東ゆう! 偶像志望のくせに女を偶像視してた奴の目を覚まさせちゃあ、ダメだろ!! 加えて言えば、工藤くんは大河くるみからも懐かれており、東ゆうが彼にとっての「初めての女子」だったわけでもありません。そしてその期間中、大河くるみは工藤くんの偶像視を解かずにいられたわけです。それを初対面で一発解除してのけたのが東ゆうでした。もう、アイドルとしての何かが欠けていたとしか言いようがありません。彼女をオーディションで落とした審査員の目は確かでした。いや、工藤くんの人生にとってはプラスだったと思うんですけどね? 華鳥蘭子よりもダメージ少なく救われた人物だと思います。
パンフレットを読む限り、高山一実先生にとってのアイドルの輝きは昔からアイドルを見る時に感じているプリミティブなものだと語ります。だとするとおそらく原作小説での描かれ方はもっと感覚的なはずで、この工藤くんのちょっと急すぎるほどの変身はおそらくアニオリなのだろうと思います。急激には違いないので違和感こそあるものの、この変化があることによってアイドルの輝きがかなりロジカルなものになっています。

さて、結局、工藤くんにすら輝きを届けられなかった東ゆうは、東西南北(仮)の中でも人気最下位のまま、全く輝けずにユニットを崩壊させてその芸能人生に幕を閉じます。
ただ、東ゆう自身は輝けなかったかもしれませんが、東ゆうの歩んだ足跡はキラキラと輝いている。このトラペジウムという作品はそういう物語でした。何度も繰り返すようですが、東西南北(仮)の4人にとっては、特に東ゆうにとっては、この旅の過程そのものが宝物なのです。
何もかもを失ってボロボロになった後の彼女は、もう船長でもCEOでもありません。いつもの展望台にかつての仲間が駆けつけたのは、女子高生・東ゆうとして、あの頃の苦しくも眩しかった頃を思い出していた瞬間でした。
夕日に向かって、東に背を向けて、最後に唄うのは幻の2曲目となった「方位自身」。この「方位自身」の歌詞が、それぞれ違う方向に進んで行こうねという内容であることからも、これまで東ゆうが破壊してきた他の3人の個性を回復する儀式でした。そしてまた、4人は違う制服を着ながら同じ方向を見て唄うという、まるで校歌斉唱のような一体感を、おそらくは活動を開始して以来初めて感じるに至っています。彼女が宝の地図に描いた城州の東西南北の“女子高生”で結成されたアイドルユニットという野望は、東ゆうが一足遅れて女子高生になることでようやく完成しました。世間の日の目を浴びることなく、ただ4人で夕日を浴びたこの時に。
旅路はここで終わりです。ただ、それでも彼女はアイドルを諦めることはありませんでした。夕日を背にして、東に向かって、彼女は再び立ち上がりました。

8年後の未来、かつての旅路ではアイドルという宝物を手に入れられなかった東ゆうも、今では本当にアイドルとして活動し始めました。アイドルになれたということは、東ゆう自身もようやく輝けたということになります。では、彼女の放つ輝きとは何なのか?
ところで、ようやく触れることができるのですが、トラペジウムというタイトルは、オリオン座の不等辺四辺形に由来します。それは東西南北(仮)の四人の不安定な関係のメタファーだとも思うのですが、同時に星座由来であることに、大きな意味を感じます。
不時着した飛行機のパイロットが別の星から来た王子さまと砂漠を旅する物語が存在します。その物語は、そのキラキラとは裏腹に、乾きと隣り合わせの過酷な旅でもありました。ただ、最終的にパイロットと王子さまは、一つの答えに辿り着くのです。砂漠は美しい。そして、この砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからなのだと。

アイドルは何故輝くのか。その理由は、その人生に宝物を宿しているからです。冒険をして、その過程で得た宝物を、そのパフォーマンスで表現している。だからこそ人を魅了するのです。

大河、華鳥、亀井……東ゆう。一人だけ四獣とは無関係の名前を背負った主人公でしたが、最後の最後でアイドルが輝くりゆうは手にしていました。


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