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謎な部屋 あとがき

はじめに

この記事は公演前日の夜に「拘束時間10分ではこの公演に込めた思いを伝えきれない」と思い立った私が、なぜこのようなゲームを作ったのかを書き殴り、公開しようと思っていた記事でした。
しかしながら、皆様の体験を制作者の立場として拝見し、新たに感じた思いを追記致しました。
少し長い文章にはなってしまいましたが、よろしければ最後まで読んで頂けると幸いです。

なお内容にはネタバレが多分に含まれます。
未参加の方で、今後何かの機会に参加しようと考えて頂いている方は、この記事は読まないことをお勧めします。





本文は少し下の方にございます。スクロールしてお読み頂ければと思います。
















それでは本文をどうぞ。

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謎な部屋の制作に至るまで


とある公演に参加した際、そのあまりにも尖った内容に、そして人々が謎を追い求める姿に形容し難い高揚感を覚えました。
そして同時期、昨今の「謎解きゲーム」について、これ見よがしな「謎解き」という名をつけられたクイズやパズルが散見され、「謎を解明する」楽しみが少なくなっている様に感じることが増えていました。

しかし、かくいう私もまた別の公演にて「謎解きをすること」を追い求め過ぎた結果、同チームの方の物語体験を削いでしまい反省する、ということがありました。謎を解くことは本来の目的ではないのに。
「本当に?まだ何かあるんじゃない?」

「謎を解きたいなら持ち帰り謎をすればいいじゃない」
こんな台詞を耳にしたことがあります。
全く持ってその通りだと思います。耳が痛い気持ちです。公演によっては「謎解き」は物語体験を引き立てる為のエッセンスでしかないことだって大いにあるのです。


しかしながら人が謎を追い求める様も、その性もまた良いもの。それならば…
「そんなに謎が解きたいのなら、本当の"謎"をご覧に入れましょう。」

そんな思いから、今回の公演を作りました。
解明できない得体の知れない本当の"謎"に出くわした時、人は本来の目的を忘れてその"謎"を解こうとしてしまうのか。あるいは…。
今回のコンセプトはこのような物でした。


この部屋であなたが解明すべき謎は「この部屋から脱出する方法を見つける」ただそれだけです。
それは"謎"など解かなくとも初めからあなたに伝えられています。
それでも人は目の前の"謎"を解こうとしてしまう。

これは「ゲーム」だと「そういうものだ」と思うからでしょう。
しかし例えば、5分以内に箱を開けなければあなたは永遠にこの部屋から出られないとしたら?5分後にあなたが死んでしまうとしたら?


「謎解きゲーム」に慣れている方ほど、今回の公演はお楽しみ頂けたのではないかと思います。
どんな謎解きゲームに参加しても、自分の中の「辞書」が自動的に引かれ、なんとなくマンネリに感じてしまう。
そんな方は、初めて謎解きに触れた頃のあの「悔しい」「ギャフン」という気持ちを感じて頂けたのではないでしょうか。

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ここから、追記です。

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謎な部屋の公演を実施して


再び、はじめに。
今回たくさんの方に謎な部屋にご参加頂き、大変ありがとうございました。
多くの方があの謎に触れ、三者三様十人十色な取り組み方、反応を頂き、このゲームを通して皆様と謎についてお話ができたような気持ちになり、熱いものがこみ上げてくる瞬間もありました。


さて、当初の製作目的は上記した通り。
言うなれば「謎とは何なのか」ということを皆様に問いたかったのです。
「やられた」「開いた瞬間が気持ちよかった」「悔しかった」「固定概念に囚われていた」
といった感想を頂いた反面、
「楽しくなかった」「謎解きをしたかった」
「2秒で成功したとしても同じ料金を払うのか」
といった意見も頂きました。

このゲームに一種の嫌悪感を抱く方もいらっしゃるだろうという「想定」はしておりました。
しかし実際に何が起きるのか、このゲームの何が負の感情を抱かせるのか、というところまでは深く理解することが出来ていませんでした。

実際にゲームを行なってみて私はまた考えさせられることになりました。
このゲームは「解けないもの」しか置かないことで「謎」を排除したゲームでした。
それにより「謎」というもののあり方について皆様に問うことができました。
反面「謎」自身ひいてはその謎を解こうとする姿勢をも否定している。そんな一面も持つゲームだったということに改めて気付かされたのです。
その部分が「謎」を大切にしている方にとって「謎」というものを侮辱されたような、馬鹿にされたような気持ちを抱かせているのではないか。
頭ではわかっていたつもりでしたがその体験をされた方を見てようやく感じ取る事ができました。

もちろん私自身謎を解くことが好きです。
しかし謎を求めすぎたゆえに当初の目的を忘れてしまい、物語を疎かにした体験をしました。そのことについて皆様にお知らせしたかった、というのがこのゲームを作った理由の一つでした。
ただ今度は目的を追い求めすぎて「謎」を疎かにしてしまったのではないか?
そんなことが頭をよぎりました。

最後に一つご紹介したい事例があります。
あの"謎"を前にして
・最後まで諦めずに謎と真摯に向き合い時が来るのを待つ方
・瀬戸際でとにかくボタンを押し成功をもぎ取った方
・何かに違和感を感じ"謎"を捨ててとりあえずボタンを押した方
・全てを理解し"謎"の数々も一通り確認した上で確信を持ってボタンを押した方
様々な方がいらっしゃいました。
その中でただお一人、本当の意味でこのゲームを「攻略」された方がいました。

制限時間終了後、解説の際に全てに気づいたその方はボタンを押した後こう言い放ちます。
「制限時間以内に箱を開けろとは書いてないですよね。なので僕は成功ですよね。」
私は「参りました」と言って成功したことを告げ、その方は申し訳なさそうにしながらも笑みを浮かべつつナゾガクの雑踏に消えて行きました。

ギャフンと言わされたのはこちらの方でした。
これだから謎解きはやめられないなと、少し勇気を頂きました。
その方に敬意を払って、この「余地」はこのゲームにこのまま残しておくことにします。


実際にさまざまな感想を皆様が抱かれたであろうことは前述の通りです。
ただこの公演は、どなた様にも
「自分自身にとって謎とは何なのか」
「自分はどんな謎を求めていて、どんな謎が好きなのか」
「何を大切にして謎に取り組んでいるのか」
そんなことを考えられる体験となったのではないかと思います。

参加者の皆様に置かれましては、このゲームについてどのような思いで取り組み、どのような感情を抱かれましたか。
また、ゲームに参加する前と後では「謎」に対しての思いに何か変化はありましたでしょうか。
このあとがきを読んだ後では?


この公演、並びにこのあとがきが
皆様が改めて「謎」というものについて考えて頂けるきっかけになれたなら、大変光栄です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。


謎ノ骨商店街 主催 はるひろ

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