「君たちはどう生きるか」感想


人妻エロすぎ。夏子さん出てきていきなり少年の手を取って自分のお腹に当てる(赤ちゃんを通して性行為の存在を眞人に知らしめる)のは思春期の少年にとってかなり大きな体験。原初的な性体験と言ってもよさそう。同様に、夏子さんと実父がイチャつくのを覗くシーン、これも思春期の少年の脳に強烈に焼き付く。この時点で眞人にとって母親と言えば実母、夏子はまだ“実父と性的関係を持って良い“と認識していない。ある種の不倫関係と捉えてる、さらにそれを自分が覗き見しているという二重の背徳感を味わう。「親に隠れてこっそり遊ぶ」(余談ではあるが、この前「子供の頃親に隠れて夜中にゲームしたり漫画読むの楽しかったよね」という話をした。それと同じ。)という原初体験でもある。途中まで「夏子さん」としか眞人が呼ばなかったのは彼女に対して“家族愛“ではなく、“性愛“的感情を抱いていたから。“家族愛“を感じていたのはあくまで実母に対してのみ。本作は“性愛“から“家族愛“へと転化していく姿を描いた物語と捉え直すことが可能。エディプスコンプレックス(男児が異性の親である母親に性愛的感情を抱き、同性の親である父親に敵意を持つとされる無意識的な心理状態)の発現(フロイトの論で言われている男根期と眞人の年齢はズレているが)。
「戦時中、片親の再婚に伴い田舎に移住、男親は子供にとって敵であり、女親は味方である。そして周囲に同年代の友だちがいないため空想の世界に逃げ込む」というプロットから真っ先に想起されるのは「パンズ・ラビリンス」(良作。結末的に私は「君たちはどう生きるか」よりこちらの方が好き)。父親が戦時下における強者であるというのもまた似通っている。「君たちはどう生きるか」においてアオサギが「友だち」となる。逆に言えば現実世界に友だちがいないということ。現実世界に友だちがいないこと、実母を喪った喪失感が眞人に仮想世界を見せたと解釈している。子どもの半数はイマジナリーフレンドを持つという研究結果がある(これも眞人とは年齢が合わないが…)。アオサギは眞人にとってのイマジナリーフレンド(「パンズ・ラビリンス」でも同様)。これらから見えてくるのは、眞人は身体的には思春期の少年でありながらもその精神性はまだまだ幼いということ。何故幼さが残るか?良いとこの坊ちゃんだから。お手伝いの婆やたちが作ってくれたご飯に率直に「美味しくない」と言うところからもそれが読み取れる。

続いてヒミの存在について。ラストで眞人の実母であることが明かされる。そして眞人自身最初からそのことを(無意識的に)分かっている。ヒミに対する感情・言動は全て実母(久子)に対する感情や願望の投影。火に負けて死んだ(火に対して弱い)実母(死んで欲しくない=火を支配下におければ死なずに済む)に対して、火を操る(支配下におく、火に対して強い)ヒミ。


これは完璧な私の邪推(妄想)だが、実母は戦火に焼かれて死んだとき、お腹に子を宿していたと考える。火がもとで死んだというのは、カグツチを産んで死んだイザナミが想起されるからだ。夏子はほぼ実母(久子)の生き写しとして語られる。と、するならばその属性も似通っている訳で、身篭っていたと考えることができる。そもそも入院していたというのも出産のためではないだろうか。

ケガレと祓いの話。宮崎作品には散々ケガレの話が出てくる(「もののけ姫」が顕著)。下の世界において価値観が転倒している。魚を狩るキリコ(現実世界における生者)は職能民(被差別民)、一方死者たる幽霊みたいな見た目の人たちは死に関わらない。普通逆なはず(見た目はその人の属性を表象するはずなので)。石造りの建造物は“ケガレ“の象徴…キリコに眞人が救われた「墓」、禁忌を犯して入った「産屋」、入ってはいけないと言われていた「現実世界の洋館(=石の塔)」。そこから石に“ケガレ“というメッセージが付与される(だから大叔父様に石の積み木を渡された時「悪意を感じる」と眞人は見抜いた。)。
石について言えば「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が思い出される。また、大叔父様に力を与える“石“は「エブリシング…」における“ベーグル“。こういう絶対者の存在を描く映画最近多いと思ってる。「君たちはどう生きるか」でも、作中描かれていた二世界以外にも世界が存在することが暗示されていた(ヒミと眞人が扉の回廊にて喋ってる場面)。マルチバース的概念がここでも示されている。最近こういうマルチバース的なの多いね。
ヒミが畏怖の対象なのは彼女が火を扱う(ケガレを払う者)から。大叔父様(世界の創造主)は石を扱うし、悪意をも司る。ケガレと紙一重なのは日本古来のカミ価値観的なもの。

ジブリ作品において注目すべきは“境界“。今作も多かった。現実世界と異世界が「塔の入口」によって明確に区別されていたし、扉の描写もある。時の回廊の場面では、次第に星空になっていく騙し絵(錯視)ビジュアルがあってよかった。細かいとこの表現拘りあるのよいね。空間に突如現れる扉描写は「すずめの戸締り」で観たやつ。既視感覚えた。草原描写(これもジブリに多い)も「すずめの戸締り」に類してる。『「里山」を宮崎駿で読み直す』(小野俊太郎)に詳しいので是非そちらを読むことをオススメする。

「パンズ・ラビリンス」との関連を改めて述べると、どちらの作品も一度空想世界に入り込むが、「パンズ・ラビリンス」ではその居心地の良さに負けて現実から逃げ出すのに対して「君たちはどう生きるか」では現実に戻って立ち向かうという差がある。この結末だけ見ても説教臭いタイトルが回収されていてよい。戦争に振り回されながらもいかにして個人として在るかを問われてる。


個人的にはそこまで評価は高くない。今までのジブリ作品に比べて現実世界パートが長くて冗長に感じたからかも。“戦時下のリアル“を魅せるという意味で宮崎駿はその描写を丁寧に描いているのはわかるのだけれど。そのせいで異世界パートが駆け足気味になってしまっている。


ビジュアルに関して。異界のガレオン船団描写好き。ジブリのおばあちゃん皆見た目一緒。人妻夏子さんエロすぎ。大好き。


個人的にはここ数年の日本アニメ映画の中では「すずめの戸締り」「龍とそばかすの姫」がどストライクで、「君たちはどう生きるか」はまあそこまで、といった感じ。

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