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「戦う戦士達へ愛を込めて」

22-23シーズン主将を務めさせていただいた
若木翔太です。

まずは、日頃より学習院大学輔仁会サッカー部の活動を支えてくださっている全ての方々へ、感謝申し上げます。ありがとうございました。



新井くんからバトンを受け取りました。性格も顔もかっこいいのはずるいですね。昨夜彼のブログを読みこれでは内容が被ってしまうではないかと、書き直しを余儀なくされました。

24人の打線を締めるラストバッター、特大のグランドスラムを狙ってスイングしたいと思います。(なんで野球ネタで繋がってるのかはわからないです)

次の3点について書きました。

・この1年間のチームと今後のチームについて
(今後の学習院については高口や新井のブログを読んでください、ほぼ同意見です)

・サッカーの好きなところ

・4年間の振り返り「全て自分次第」


大きなテーマとして3つ書きますが、所々思い出や関係ない話が混ざりそうです。読めばわかる話ではあると思いますのでぜひ読んでください。

スタート。

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・1年間のチームについて

シーズン前の地獄の追い込み、シーズン中の水曜日のトレーニング、例年よりもキツイことをやってきた今年のチーム、いざとなった時の一体感はものすごいパワーがあるなと実感している。1番震えたのはやっぱり北グラで無敗の朝鮮大に黒星をつけた瞬間。

もちろんそこまでのプロセスではいろいろあったけれど、その過程のひとつひとつが、チーム、そして個人の成長だと思っている。選手、スタッフ、マネージャー、現場の人間がみんな本気で取り組んでいるからこそ、いろんな意見が出るし、実際にやってみないとわからないことも多い。


今年のチームは、学生主体で全員が役職につきチームに貢献してくれたが、1番大きかったのは幹部中心に下した選択や決断に全体として付いてきてくれたことかと思う。時に下級生からも意見をもらい、より良い運営を目指すことはできた。ただ、みんなの意見を全て聞いて吸い上げることが正解だとは思わないし、判断基準としての軸をしっかり持ちながら、かつそれをしっかり伝える作業が難しかったように感じる。

(反省点多くあります。似たような内容が2年前の主将、原くんが書いたブログにあるので読んでみてください。ここで書くと長くなるので、割愛)


改めてチーム全員に感謝しています。


フィジカルの話をしたが、当然他のチームも学習院と同じかそれ以上にキツイことをやっているだろう。しかし今まで自分たちがやっていなかった部分をやることで、数値としても自信としても戦えることがわかったと思う。けどこれじゃ関東へはまだ上がれない。関東で戦えるベースはまだまだないと思う。ベースアップがまだまだ足りなかった。

戦えるというステータスはサッカーの基本だし、それだけで有利に立てるなと痛感したシーズンでした。サッカーがうまくいかなくてもとりあえず全員が共通認識をもって原点回帰ができる場所を作るのは非常に大切。けど思考停止には陥らぬように。簡単には負けないようになったかもしれないけど、簡単に勝てるチームではなかった。



この章の締めとして、

自分は今年のリーグ戦の結果、順位に全く満足できていない。学習院がもつポテンシャルはもっと上の舞台で発揮されるべきだと思う。結果が出せなかったのは、自分の責任を感じている。この苦い想いは数年、いや数十年忘れないだろうと思う。何かの原動力となる気がする。







・今後のチームについて

ここからは今年1年過ごした中で、今後のチームについて感じたことを書きます。

サッカーにも組織作りにも共通する話。

それは、学生サッカーは4年間で人がまったく入れ替わるので、各シーズンの人材の強みや特徴が異なるはずで、それを最大限に活かすべきだ、ということ。常に置かれた状況でベストを出そうとすること。


その中で今年は役職の組織を改変したり、新しいことに多くチャレンジした1年であった。1年の中でも多くの変化、試行錯誤があり今に繋がっている。


去年の主将、大久保先輩は「チャレンジを恐れない組織」、これを理想像にあげていた。適材適所というの言葉で正しいのか、よくわからないが、そのチームの特徴強みを最大限発揮できる形にしていく、その中で結果にフォーカスしていくことが、組織の成長に繋がると感じた。逆に言えば、常に結果を最優先で求めないと、意味がない。またあくまでもサッカー、ピッチ上で最大限の頑張りをしなければならないことは大前提。そこは学生主体を言い訳におろそかにしていい部分ではないし、そうしたら尚更勝てないチームになるだろう。


今年は、めちゃくちゃ自分が合理主義的な人間なので、チームの目標を達成することが1番の成功だと思ってやってきた。そのせいで不快な思いをした人も多少いるかもしれない。

だけど、俺は高口がブログで言っていたことも正しいと思う。だから新チームになったら、最上級生、そして大浦に付いていってほしい。基準の底上げの足を引っ張るような奴に合わせなくていい(日々の意識や取り組みで)。サッカーに最初から平等なんて無い。体格も身体能力も違うんだから。全員が切磋琢磨するチームでメンバーを争え。それが足りない。

この組織にいる以上、程度の差があれど実現したい目標、目指してる場所は一致しているはず。それを達成するために全員の力を結集しないと当然ながら目標は叶えられない。

やまとが今年体現してくれた、信念を貫く姿勢が今後の学習院を作っていくのかと感じた。


このチームの大きな課題は個々人のメンタリティや雑草魂、サッカーに対する向き合い方だ。練習前の準備、練習後のケア、試合後のリカバリー、週末の試合でフルパフォーマンスを発揮するためにもっと時間を費やすべきだと思う。今年から篠さんの尽力もあり食事や休養などより良いサポート環境ができているからこそ、自分次第でどうにでもなるはず。あくまでサッカー部である以上、サッカーという競技で勝負しなければならない。手段はいくらでもある、いくらでも試してみるといい。まずは気持ちで負けないこと。走って蹴って、魂のサッカーで勝てるなら戦術はいらないと思ってる。そのくらいのベースをもった上でサッカーをしよう。


最後に
レギュレーションは変わりましたが、今年は学習院としては史上初(?)のアミノバイタルカップ関東予選の東京都代表として、関東で1勝をあげました。来年度以降はアミノバイタルカップ予選に関東リーグ所属大学として出られる日を楽しみにしています。

急いで書いて伝えたいことが乱立してしまったけど、上手に読み取ってください。



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・サッカーの好きなところ

(なぜ大学サッカー部に入ったか理由を語っている人が多かったので、自分なりに考えてみた。理由はサッカーが好きだからだった。)

では、なぜサッカーが好きで続けているか。

小さい頃からボールを触ることが好きだったはず、これは今でも楽しいことだと思う。止めて蹴るの対面パスがめちゃくちゃ楽しい。

けどなんでサッカー?って考えた時に、自分はサッカーというゲームが好きなことに気づいた。90分間闘った末のスコアが全てであること、3-2でも1-0でも勝ちであること、勝つためにどう戦うか、チームとしても個人単位でも。サッカーってかなり理論的に語れる部分はありつつも、言語化できない曖昧な感覚もあって。そのバランスがとても好き。確実に失わないプレーをしながら、でもリスクを背負って強引にいく場面もあり。数学に似ているのかな、プレーの正解はゴールを決めること、失点しないこと、そのための手段はなんでもいい、ルールの範囲内であれば何をしてもいいっていう部分が好き。あなたの武器は?と聞かれて、自信をもって、サッカー偏差値ですと言える。

ただ、間違いなくそれと同じくらいのサッカーに対するパッションがあると思っている。ボールを取られたら、相手を削ってでもボールを取り返してやろう、そんな気持ちは常にある。とにかく負けたくない。時に良くない方向にいってしまうこともあるが、基本的にこのメンタルがなければ上にはいけないと思っている。

小学生の頃、父に中途半端なプレーするならサッカーやめたほうがいい、と言われたのを忘れられない。当時は怒られないように必死にプレーしていたのが、いつしか負けたくないという一心でプレーするようになった。本当にサッカーが好きになったのはそれからだろう。育ってきた環境も関係あるかもしれないが、学習院には圧倒的に足りない要素。


なんでサッカー好きか、あまり話したことはないから、共感する者は少ないかもしれないが、この考え方はサッカーにおいて重要かもしれない。学習院の選手はうまい選手はいると思うが、それをどう表現するか、どういうプレーを選択するべきかを間違えてしまう選手が多い。1番効果があるのはプロの試合を見て学ぶことだと思う。頭を鍛えて、サッカーというゲームを楽しんでほしい。当然ながら勝たないと楽しくないので。闘え。
(2年の頃に書いた部員ブログでも似たようなことを書いていました、気になったら読んでみてください。)



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・4年間のまとめと振り返り「全て自分次第」

ここから4年間を振り返る、主に個人の目線。
同期や先輩のこのシリーズ見るの面白かったので、僕もやります。

大学1年

6.7月の地域練(今もだけど長田の下手さと八王子から自転車でくる高口には驚きました)を経て、Aチームに入れさせてもらい、初めての公式戦で亜細亜大学に行った。スタメン写真にいや自分以外の10人のうち半分くらいしか名前もわからず、フィジカルを活かしたサッカーをしてくる亜細亜大に完敗した記憶。

その後のリーグ戦では1試合を除き出場し、
(全試合ボランチでした)スピード感や大学生のフィジカルにも慣れて、ある程度の自信を得た。(唯一出てない試合は0-5で負けました、杉村くんドンマイ)


大学2年

冬のオフ期間が長かったので、1年次課題に感じた走る部分を強化しようと、坂道ダッシュに週3くらいで取り組んだ。走りのトレーニングはわかりやすい。走れるようになった自信をもとに、フィジカル的にも少しハードワークできるようになったかな。シーズン途中でボランチからトップ下にポジションを変え、得点ランキング5位になる。町田ゼルビアの平河悠が1位だった。後の自分は、点が取れていたのは当時のスーパーエース原くんのおかげだったことに気づいた。


大学3年

明確に自分には得点を生み出す力が必要だと思い、シュートやゴールに直結する恐いプレーを意識した。当然自主練も。
そして10番を背負い闘うも、昨年の半分しか点取れず下位争い。岸のブログで登場した強化部という組織に入り、分析や練習メニューの作成などかなり自由にやらせてもらった。結果としてやりたいサッカーからどんどん離れてしまった感じだが、現実を見て勝てる確率の高いサッカーをするという意味では悪くないと思っていた。

大学4年

天皇杯予選に繋がる東京カップで自分がPKを失敗し負けた。前年もそうだったが、自分の出来が結果に直結するような環境で、なかなか納得のいくパフォーマンスではなかった(ほぼ及第点くらいか)。

その後は関東リーグ所属チームとTRMで点を取ったり、アシストしたり、チームとしても個人としてもいい感触を掴んだ。

アミノも手堅く勝ち進み、4回目の出場にして初の関東大会に漕ぎ着けた。(コロナのおかげでおそらく絶対に達成し得ないであろう記録、4大会連続のアミノ出場となった)

ここが1番の事件。
4/9 東京都1部リーグ 第2節 東京大学戦
右膝前十字靭帯を断裂した。
不思議だけど痛みはほぼなかった。
気づいたらフル出場していたので、1週間休めばまた試合出れるかな、くらい。
(試合後はたろー、りく、りょうさんとカレーを食べた。覚えてるかなー。)

もう自分が新調された青いユニフォームを着てピッチに立つことはないと思った。正直、怪我した時点では自分抜きで関東へ行くのは無理なんじゃないかとさえ思ってしまった。

怪我で何もできない期間は仲間を信じ、プレー以外で貢献しなきゃいけない。勝利のためにできることはやれたか、今もわからない。当時できることはやってきた。相手の映像みたり、スムーズに練習できる環境を作ったり。ベンチスタッフとして闘うリーグ戦は、歯痒かったが、選手の成長する過程も感じられたし、楽しかった。負けた試合の涙は、負けた事実が半分、もう半分はプレーできない情けなさ、悔しさでした。残り2節まで、関東昇格プレーオフ進出の可能性を残してくれたが、先週成蹊に敗れ終わった。


自分は林さん、篠さん、病院の先生のご協力もあり、試合復帰はしたが夏以降の8連戦に大きく貢献することはできなかった。もう全力で走って、左右で多彩なキックを蹴って、ゴールに絡むプレーはできない。練習中でも、左足蹴れない、その場でターンできない、強いシュート打てない、ヘディングジャンプして競れない。最大の恐怖は膝崩れで、音鳴るし、靭帯切った時より断然痛い。今のプレーは怪我前のパフォーマンスと比べたら、せいぜい60%くらいか。それでもなんとかなってるのはやっぱり技術とセンスがある程度あるからか、とかいろいろ思いながら、それでもやはりサッカーは楽しかった。たぶん、自分自身が1番自分に期待してるからね。

それでもここまでできるようになったのは、篠さんのおかげです。サッカー人生初の大怪我でちゃんとリハビリしたのが初めてでした。改めてありがとうございました。明日、点決めて篠さんと喜びたいです。


今年はこのような結果に終わってしまったことは、非常に重い責任を感じてます。


さて、1番伝えたいメッセージは

「全ては自分次第」

この言葉です。大学4年間、体育会に身を捧げているなら、それ相応の努力をするべきであると考える。というかしないともったいないし、むしろ時間の無駄。自分のために、辞めたほうがいい。

周りからはあまり努力しているように映らないかもしれないし、自分で言うのも憚られるが、体幹だったり、コバトレだったり、走り込みだったり、長期オフもほぼ毎日ボールと遊んだり、そして何より止めて蹴るの基礎、自分なりに課題を感じ、それを潰して前進するためのステップは踏んできた。その努力は結果でしか評価することはできないかもしれない。だが結果を出すには努力は必須である。自分のために、力を積み上げていく取り組みの大切さを4年間で学ぶことができた。(4年間だけでなく、自分がサッカーをやっている間は頑張ってきたつもりです)愚直に目の前の課題に対して取り組む力は付いたかなと。

ありきたりか、でも世間の大人がよく言うようなことを実際の経験値として自分の中に取り込めたのは貴重だと思っています。サッカーのおかげ。社会人になってもまず基礎からがむしゃらにやらなきゃなーと思います。


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半分備忘録のように書いた4年間の振り返りはここまでにして、感謝を伝えます。

まずは学習院大学輔仁会サッカー部が活動できるよう支えてくださっている榎本監督、林さん、篠さん、OBOGの皆様
いつも本当にありがとうございます。
私もOBとなり、活動を見守ることしかできないかもしれませんが、できることを最大限やって現役を応援したいと思います。

そして家族
いつもサッカー中心の生活を応援してくれて、ありがとう。この一言に尽きます。

同期のみんな
何よりサッカーやってる時間が楽しかった。特に今年は、正直主将という立場として、迷惑かけたこともあったと思う。それでもいつも協力してくれたり、逆に刺激をもらったり、実は助けてもらってばっかだなと思います。特に、こーた、かなた、中山、上條、やまと、ありがとね。1人でも欠けてたらチーム運営できてなかったかもしれない。心から尊敬している。

マネージャー、上條、周真
ホームゲームの運営、学連、その他にもたくさん仕事がある中で、自分が4年になって初めて見えてきたものが多くあった。幹部で至らない点があっても、みんなのおかげで活動できてました。ありがとう。これからも選手より勝ち写真撮りたがるマネージャーでいてください。

松葉、かめ、愛登
大学でも高校の奴と一緒にサッカーできて嬉しかった。特に愛登は高校の時からお手本にしてました(俺の方がうまい!と思うところも少しはあるけどね)。3年間一緒にやれて、昌平だからこそ感じ合えるプレーもあって、めちゃくちゃ楽しかった。内に秘めたる想いはなんとなくわかってるつもり。最高学年として、より恐くて、試合を決められるようなプレーヤーになれるよう頑張れ。

昌平特アスサッカー部
高校で志を共にできる仲間と出会えて、大きく成長できたこと、めっちゃいい経験だったなと思う。0限の前に勉強して部活終わってまた勉強する日々、意外と楽しかったです。明日、待ってるよ!


割とリアリストな自分は、この4年間に後悔はないです。その時やれることをやってきたので。戻れるなら戻りたい、けどそれは叶わないので、これまで得た学びをこれからに生かしていくだけだと思っています。


おわり


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特大のグランドスラムを狙ったスイングには、だいぶ時間がかかってしまいました。24人分の想いをのせた白球が宙に浮かんでいるのが見えます。某メジャーの球場のスタンドを超えて、スプラッシュ・ヒットとなるでしょうか。はたまた、WBCでの大谷のヒットのように次の世代へ繋ぐ打球となったのか。
(ちょっと狙いすぎたわ)

その答えは、
まだまだ先の未来にあると思います。

(タイトルの由来がわかった人いるかな)

それでは、
学習院大学輔仁会サッカー部の発展と
この組織に関わるすべての人の幸せを願って、引退ブログを終えます。


明日は、勝利するのみ。
ホーム北グラで最高の90分を。


2023/10/7  若木翔太

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