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下手くそだからなんだ。

こんにちは。

大胸筋過発達の左右田君に紹介預かりました新井大都です。


彼とはここ数か月間、多くの時間を共にしてきました。日々、トレーニングルームにて、お互いの筋肉を高め合ってきましたが、この日常ももう終わってしまうと考えると、少し寂しくなります。


残された時間で、少しでも筋肉を成長させられるように切磋琢磨していこう💪






私の引退ブログは、

入部理由編の『遣る瀬無い気持ち』

大学サッカーでの学び編の『学び』

チームに対する提言編の
『学習院のあるべき姿について』

『最後に』



の4部で構成しています。


少し長いですが、興味のある方は最後まで読んでみてください。


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『遣る瀬無い気持ち』




        「辛かった」




日本大学藤沢高等学校サッカー部(以下、日藤。)での三年間を端的に表現したら、この言葉が最適である。



この「辛さ」は、練習がハードだったとか、先輩方に厳しいご指導を受けたとか、そういった意味での「辛さ」ではない。


当時(今もだけど)、人生の全てがサッカーで構成されている私にとって、日藤での3年間は、自身の存在価値を真っ向に否定され、自尊心をズタボロに傷つけられるような時間であり、そういった意味での「辛さ」があった。


というのも、私は高校3年間のうち、1ヶ月程度を除き最下層のカテゴリーから抜け出すことが出来なかった。最下層のカテゴリーから抜け出した1ヶ月程度も、指導者陣の粋な計らいで1つカテゴリーを上げてもらっただけ。


1つ上のカテゴリーでは公式戦のベンチに1度も入れず、公式戦に出場できたのは、引退前、日藤最下層、日藤Dとして神奈川県4部リーグに挑んだときだけである。


3年間Dチームは流石に堪えた。精神的にかなり追い込まれていた記憶がある。




反省点はいくらでもあるが、兎にも角にも、高校3年間はサッカーに対する価値観のみならず、人生観までも大きく変化させた時間で、激動の3年間であったといえる。



当時の感情は今でも表現できない。



サッカーは、「好き」だけど「嫌い」で、「サッカーを続けたい」と思う自分と「サッカーら辞めたい」と思う自分がいた。相反する幾つもの思いが同居して、気持ちのやり場に困っていた。


このような日々のなか、父が学習院大学輔仁会サッカー部の存在を教えてくれた。


下手くそな自分でも、体育会サッカー部に入部できる大学。以後、何気なくサッカー部を意識していた。



そして、日藤引退のとき。



私より遥かに優れた才能を持つ多くの選手が、本気のサッカーを辞める決断をするなかで、私はサッカーを続ける決心をした。



理由は1つ。

もやもやとしていた「遣る瀬無い気持ち」を消化するため。


決して、成長したいとか、サッカーで生計を立てられるようになりたいとかいう前向きな理由ではなかった。


だが、それでも、自身が社会人になったとき、今後の人生でサッカーではない「何か」に取り組むとき、その「何か」に本気で取り組める人間になるためには、自分自身に向き合う時間が必要だと考えた。


そこで、私は大学4年間をサッカーに捧げる決心をし、その場所として学習院大学輔仁会サッカー部を選んだ。


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『学び』



もやもやとした気持ちを消化するために挑んだ大学サッカー。


この目的を達成しようとする過程では、多くの学びを得られた。


後輩から自身の誤りを気持ちの良い正論で指摘され、ぐうの音も出なかったことがあったとか、なかったとか。


沢山の学びのなかでも、今後の人生において一瞬たりとも忘れたくない学びとして、信念を貫くことが挙げられる。


「信念」…「ある教理や思想などを、固く信じて動かない心。」(広辞苑より)


「こだわり」とか、「周囲に影響されない自分自身に正直な心」とか、「やりたいことをやりたいと言える心」とかとも言い換えられるかもしれない。


なぜ、信念を貫くことが1番の学びと感じているのかと聞かれれば、私自身が、大学4年間、信念を貫いたことで


「自分の選択や行動に自信を持てたこと」


「すべきこと・しなければならないことが明確になったこと」


を肌で感じたことにある。




まず、
「自分の選択や行動に自信が持てたこと」
について。



大学4年間は、まさに多様性を感じた4年間である。


大学には様々な活動をする人がいるし、昔からの友人や高校時代の同期も様々な活動をしていた。


ある人は留学したり、ある人は積極的にインターンに行ったり、ある人は音楽作品をつくったり、それこそ大学サッカーリーグのトップレベルで活躍している人もいた。


大学4年間で取り組めることは本当に多岐に渡る。高校卒業、大学入学は新たな挑戦を試みるには絶好のタイミングであるといえる。


沢山の選択肢があるなかで、私は、あえて体育会活動に全力を注ぐことを選択したわけだが、この選択は全く後悔のない選択だったと、自信満々に言える。


これは、ひとえに、私がこの選択が最良な選択だったと固く信じ続けてきたからであろう。


はや(中山君)のブログでも言及されていたが、「俳優やりたいなら俳優を本気で目指せばよい」し「資格を取りたいならば本気でとればよい」。サッカーの指導者になりたいなら指導者の勉強をすればよいし、留学したいなら留学すればよい。どれも素晴らしい選択だ。


だが、時に、人は無意識に他人と自分とを比べてしまい、自分や自分の選択を否定したり、他人の境遇や環境を羨んだりしてしまう。


私にも頻繁にこのようなことがあった。

特に、調子が良くなかったり、試合に出れていない時は多かった。


将来サッカーを続けるつもりもないのに、サッカーに大学4年間を捧げることを馬鹿馬鹿しく思ったり、関東リーグ、関西リーグで活躍している高校の同期を見て羨んだり。


でも、私は、どんなに気持ちが揺らいでも最後の最後で、自分の信念を貫いてきたおかげで、自分の選択・行動に自信を持ち、一喜一憂しながらも一日一日を全力で取り組むことが出来た(と思う)。


今、サッカーを続けることの価値を信じられている人は、その価値を最大化するために行動すれば、おそらく充実した大学生活が送れるはず。


もし、大学4年間を体育会サッカー部で活動することに意味が無いのではないか、今後の人生を豊かにするには、サッカー以外のことに時間を費やすべきなのではないか、と思っている人がいるのならば、今一度、自分を見つめ直してみてほしい。


見つめ直しても尚、サッカーに価値を感じ、サッカーから大切なものが得られると信じられるのならば、サッカーに全力で向き合うべきだし、もしそうでないのなら、他の選択をしても良いと思う。


とにかく、日々を無為に過ごさないためには、自分を信じて、行動していこうということである。





次に、
「すべきこと・しなければならないことが明確になったこと」
について。



私の大学生活における信念は、先に述べたように、「高校時代のもやもやした気持ちを消化して、気持ちよく次のステップに進むために全身全霊で大学サッカーに挑戦すること」であった。


入部して少し経ってから、何気なく過ごしてると、何も変わらずに大学4年間が終わってしまう気がしたので、


「大学4年次に、公式戦、全試合フル出場すること」


「高校時代の同期とピッチで再開すること」

(この目標には、高校の同期の多くが関東リーグ所属の選手のため、実質的に「関東リーグに昇格する」という目標も含んでいる。)


の二つが、信念を貫き行動したことの証になると考え、これらを具体的な目標として設定した。


さらに、この目標を達成するためには、

「試合で活躍する選手になること」、「チームが強くなること」が必要不可欠であり(≠サッカーが上手な選手)、


そのためには、「練習前の目標設定、練習中での実行、練習後の振り返りの徹底」、「基礎的な技術、フィジカル強化」「戦術理解度の向上」「チームを強くするための働きかけ」などの行動が必要だと考えていった。


信念があると、そこから導かれる目標、目標達成のために必要な行動は驚くほど明確になっていった。


あとは、この「最低限」の行動を徹底するだけ。そうすれば、自ずと目標達成に近づいていった。


もし、目標達成が出来なかったとしても、自身の信念から導かれた行動を貫徹していたので、少なくとも後悔することはなかったと思う。


そして何より、「モチベーション、コンディション関係なく、目標達成のためには日々やらなければならないことがある」という気づきを得ることが出来た。


このおかげもあってか、

コロナウイルスの影響で往復5~6時間の移動を経て練習に通い、CBに転向して0から積み上げることを決心した大学1年も、


CB不足で多くのリーグ戦出場機会を貰ったものの、実力不足でほとんど通用しなかった大学2年も、


出場機会が少なく、出場したとしても、またもや他大学の選手との実力差を見せつけられた大学3年も、


戦術部門長としてチームビルディングに悩んだ大学4年も、


ずっとサッカーが下手くそなのは変わらなかったが、目標達成のために必要な行動を継続してこれた。


結果的に、今シーズンはほとんどのリーグ戦にフル出場したわけで、個人目標はほぼ達成することが出来たといえる。強いて言えば、関東3部、昇格したかった。


結論、信念を貫けば目標達成は近づくし、もし目標達成できなくても、(絶対ではないかもしれないが)後悔をすることは無いのである。


以上、大学サッカーにおける学びである。

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『学習院のあるべき姿について』

(高口君がチームに対する提言を書いていたので、私も書いておこうと思います。一応、今シーズン戦術部門長として活動してきたので。やかましいと思ったら飛ばしてください。)


先では、「信念を貫く」ことの重要性について述べたが、チームにも同様のことが言えると考えている。


サッカーは、数あるスポーツの中でも、とても自由度が高い複雑なスポーツである。


ボールはピッチ内を縦横無尽に移動するし、ピッチに立つ22人のプレイヤーは、全員が独立して自由に動く人間であり、将棋やチェスのように、駒ごとに決められた動きをするわけではない。そもそも、同じ選手などどこにも存在しない。


変わらないのはピッチのサイズ(学生サッカーでは、ピッチの広さも大きな変数)と試合時間90分(今シーズンのプレミアリーグを見ていると、アディショナルタイムで試合時間がかなり長くなることがあったが)のみである。


このような変数が多いなか、相手よりも多くの回数、ボールをゴールポスト間かつゴールラインを割る位置に運ぶために、攻撃時には、攻撃を邪魔してくる相手11人を、味方11人で回避しながらゴールに向かい、守備時には、逆のことをしなければならない。


とても複雑で難しい競技である。


例えばの話だが、味方チームの守備時、連携不足で自分1人だけがゴール前で守備をしていて、相手チーム11人が「協力」してゴールを狙ってきた場合、当然、失点を重ね、味方チームは試合に勝つことができないだろう。


この場合、味方チームは、11人のプレイヤー全員が「協力」して守備する必要があるわけである。


ここで「協力」とは、「みんなで頑張るぞ!」という気持ちを合わせるという意味はもちろん、「戦術的にどのように戦うのか」という意味が含まれている。


この「どのように戦うのか」というのが、私たちがよく言う「共通認識」であり、この共通認識を浸透させる役割を担うのが「監督(+指導者)」である。


しかし、私たちには、この「監督」という存在がいない。


本来であれば、彼らは、己の美学・哲学(その他、クラブの信念、目標等、他の要素も含む)から導かれる「プレーモデル」を構築し、原理原則という形で共通認識を選手に浸透させていく。


最近、話題のブライトン指揮官、ロベルト・デ・ゼルビ。彼は、ギャンブルが嫌いだと語る。そんな彼のサッカーは、ロングボールを大変嫌い、短いパスでミスを減らし、組織的なビルドアップから得点を狙う。


リヴァプール監督、ユルゲン・クロップ。彼はとあるインタビューで「ヴェンゲルはボールを持って、パスをし…(中略)…それはオーケストラのようなものだが、静かな歌だ。私はそれよりヘヴィーメタルが好きだ。いつも大声を出したいよ」と語る。そんな、彼のサッカーは、縦に速いダイナミックなサッカーが魅力的である。


ここで、伝えたいのは、どのようなサッカーが正しいとか、誤っているとかはないということ。結局、どのような哲学を持ち、どのような戦術を取るのかという、選択の違いである。


これは、人生における信念に近いものであり、哲学に優劣はない(戦術的な優劣はあるのかもしれない)。


ただ、一つ言えるのは、哲学を持つか持たないかとでは大きな違いであり、哲学を持つチームはいかなる状況でもぶれにくいということ。


そして、学習院大学輔仁会サッカー部には、この哲学が欠けている(正確には曖昧である?)と思う。


このままの組織では、東京都大学サッカー1部リーグでさえ優勝を掴むのは困難である。


もし、このチームの目標が、「学生主体で大学サッカーに挑戦すること」ならば、今まで通りのやり方で良いだろう。しかし、もし、真に「学生主体で大学サッカーに挑戦し勝利を掴む・関東リーグに昇格する」ことならば、変えなければならないことは山ほど(詳細は長くなるので割愛、聞きたければ聞いて。)ある。


たとえ、それが学習院大学輔仁会サッカー部にいたい、と思う人を減らす可能性があったとしても、それ相応の覚悟がなければ、東京都1部リーグで勝利を積み重ねること、優勝することは難しい。


これまで以上の「結果」を求めるのであれば、同部の存在価値がどこにあるのか、ハッキリとさせなければならない。


加えて、結局、我々に監督はいない。

よって、学生主体(サッカーにおいて正確には、選手主体)の我々は、選手のなかから監督のような存在を選出しなければならない。


そして、(高口のブログにあったように)監督役に選出された人間は、価値観を押し付けてでもチームを作り上げていく覚悟が必要であり、また監督役の未熟さにはある程度寛容で、その人間についていくようなチームメイトが必要である。


この部活動の存在価値をどこに置くのかを考えれば、組織の形や活動の内容、強くなるためのアプローチも今までとは変わるはず。


面倒くさいかもしれないが今一度考えてみてほしい。そして、これは、あくまで私の意見である。

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『最後に』


大学サッカー4年間、様々な方々ご支援があって全力で取り組むことができました。やれること全部をやり切ったとはいえないかもしれないけど、後悔はなく清々しい気持ちでいっぱいです。


やっと、次のステップに進む準備ができました。


最後に、OB、OGの皆様、4年間、多大なご支援ありがとうございました。


榎さん、林さん、山田さん、大矢さん、篠さん。未熟な我々と本気で向き合ってくれたこと大変感謝しています。本当にありがとうございました。



父・母へ

日藤を引退するときは、あまりにも不甲斐無い結果から、心の底から感謝を伝えることが出来ていませんでしたが、やっと、心の底から感謝を伝えられそうです。


父へ

サッカー選手として大成することはできなかったけど、多くの学びの機会を与えていただきありがとう。小3か小4の頃、サッカーボールにマッキーで「真剣」の二文字を書いてもらったけど、サッカー人生を終えた今、何事にも「真剣」に取り組める人間に成長できたと思います。


母へ

私が今の体格を得られたのは、毎日の食事があってのことだと思います。ありがとう。

今後は、サッカー選手からボディメイクへと活躍の場を移すので、脂質は控えめで。


かわいい後輩たちへ


一緒にリーグ戦のピッチに立てた後輩へ。

本当に頼りになる存在だったよ。

得点を取った時とか、試合に勝った時にニッコニコの笑顔の君たちとハイタッチするのが、すごい嬉しかったし、幸せだった。

君たちは、現状、学習院を引っ張っていく存在。とにかく突っ走れ。


一生懸命応援してくれた後輩。

いつも、全力で応援してくれてありがとう。

俺も高校3年間を応援だけで終えた身だから、君たちの悔しい気持ちは痛いほどわかる。

最後まで、絶対に、絶対に、絶対に諦めるな。


玉井へ

俺の背中に憧れて入部を決めた玉井へ。

焦らずがんばれ。

ミラーの法則。

人間万事塞翁が馬だ。

「期待してるよ」は呪いの言葉になるからやめておく。悔いだけは残さないよう頑張れ。


同期へ

とにかくみんな大好き。

みんなとの出会いは一生もんだ。

社会人まであと半年、思いっきり遊んで思い出作ろう!

書ききれないから、あとは同期会で死ぬほど話すぞ!




次回、最後にトリを飾るのは我らが主将、若木翔太。

彼の技術はピカイチ!

彼のクリエイティブなプレーにはいつも魅せられていました!

きっと、様々な葛藤があったラストシーズン。

そんな彼が何を語るのか、乞うご期待!











まじで終わりか。

よく頑張った俺。

最高のサッカー人生でした。


2023.10.06 新井大都

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