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誰だってチームの大切な一欠片、このチームにいる限り。


叶多君から紹介されました、角信弥です。と言っていますがまだ誰の引退ブログも読んでいないです。突然ですが、皆さんはランドセルの色を自分で選んだでしょうか?その色は何色でしたか?黒でしたか?赤でしたか?それとも他の色でしたか?私は紺色でした。幼稚園の時に好きだった子と一緒の色にしました。気づいたら人の真似ばっかしてました。いい意味でも悪い意味でも簡単に影響を受けやすいです。今回は本当に自分の伝えたいことを自分の言葉で伝えたいと思っています。なので同期のブログはこれを書き終えるまでは読むのを我慢することに決めました。

・1年生の終わり(ほぼ2年生)に入部したのはなぜ?

入学したての頃、ぼんやりとサッカーをしたいとは思っていたがやるからには本気でやりたいと思っていたのでサークルには一切興味が無かった。入部するには、Twitterかインスタグラム、またはその他の方法で連絡をする必要があった。Twitterもインスタグラムもやっていなかった自分は他の方法で連絡した。そこには、出身校、年齢、ポジションなどを書く必要があったので、書いて送信した。正直、年齢書く必要あるか?と思っていた。1回送っても何にも連絡が無かったので、もう一度送ったが音沙汰なしだった。当時の自分は、自分の年齢についてコンプレックスを持っていたのと、出身校はサッカーでは全く有名じゃ無かったので、それが原因で書類落ちか、と真剣に思っていた。

そのままサークルにも所属せずに過ごしていた。夜には公園人で1人でボールを蹴っていたので近所の人に不審者と思われないかヒヤヒヤしていた。そういえばそこで公園に住まわれていた方に話しかけられ、ドリブルしている時の左手が変だと指摘されたこともあった。学校にほとんど行かない中、久しぶりに学部の新入生向けに説明会が行われた。そこで今では同期の檀上君に会った。彼の姿を見た瞬間に直感で何かを感じた自分は「もしかしてサッカー部に入っていますか?」と、何かを考えるよりも前に言葉が出ていた。そこから夏の練習に1度参加したがすぐに足が攣ってしまい体力的に無理だと悟った。そこですぐに入部するのはやめ、個人で体力を戻しながら入部しようと決めた。そして入部に至る。檀上がいなかったら俺は入部していなかったと思うので感謝している。

・なぜお酒を飲まないの?

 部活に入る前に自分で決めたから。ウーロンハイをウーロン茶と間違えて飲んだこと以外では、人生で一切お酒を口にしたことがない。お酒の中毒性や、運動に対してよくない影響、お酒で問題を抱えている人、迷惑をかける人が多いことを知っていたので部活をする間は誰がなんと言おうと飲まないと決めていた。色々な理由を言ってきたが結局は自分で決めた約束だから。引退したら少しずつ飲んでみようと思っている。

ここからは主に自分のサッカーのことを書いていこうと思う。3年の秋から冬に留学にいき、帰ってくるともう、すぐに4年生。自分達の代が最高学年になった。すぐに1年生が入ってきた。自分が最高学年と意識すると、少し引き締まった。先輩らしくしなきゃと思っていたけど、あまりそういうのは得意じゃなくて、なるべく普通の自分でいることにした。それでも性格はすごく変わったと思う。自分がチームでどんな状況にいようがカテゴリーが下だったとしても、明るく、できることを全力でやっていたと思う。自分でもびっくりするくらい明るくやっていたなと思う。それに後輩に自分の悪いプレーやどうしたらいいかアドバイスをもらうことも躊躇なくできた。カテゴリーCという中で1年生と一緒に5人だけで練習していた時もあったが今では懐かしいなぁと思う。サタデーリーグはたしか数回だけ途中で出たことがあるくらいで、あまり記憶にないが最終節のことはよく覚えている。水曜日開催のサタデーで、10点取らなければおしまいという状況。火曜日が前日練習だった。練習前のアップも終わり、次の日の試合に向けて気合を入れていたところで、何人かの名前が呼ばれた。4人名前が呼ばれた。どうか、お願いだから呼ばれないで、と思っていたけど、5人目に名前を呼ばれたのは自分だった。終わったと思った。最近の練習試合でも特に悪くないプレーをしていたし、コンディションもよくなっていたから、悔しかった。ベンチ外メンバーの名前だった。自分は試合に出る前に、何もできずに終わったんだ。今まで練習してきたこと、嫌いだったけど全力でやってきた毎週水曜の走り、全てが無駄だったんだ。そもそも今からなんのために練習するのだろう。その後の練習では全く頭が回らなかった。ずっと前向きにやってきたけど、この時ばかりは無理だった。汗がすごかったから、今ここで泣いてもバレないかな、そんなことを考えていた。帰った後のご飯はカレーだった。いつもはすぐに食べてお代わりをしていたはずなのに全然ご飯が進まなかった。部活で帰ってきたら、いつも疲れていて、機嫌が悪い自分に何も言わず、毎日ご飯を出してくれてサポートし続けた母に何より申し訳なかった。カレーが飲み物だということにこんなに感謝した日はない。次の日は応援しながらも、「自分だったらもっとこうしていたな、とか、そのプレーをするなら俺を使った方がいいだろ」とか心の中で何度も思った。もちろん交代どころか、ベンチにも入れていないのでそんなことを言う資格なんて一切ないのに。その後は練習だった。何をモチベにしていいかわからないけど、後輩にそんな姿を見せるわけにはいかないからひたすら本気でやった。

 そんな自分が後で冷静に考えて達した3つの結論を聞いてほしい。

まず1つ目はパフォーマンスを安定させること。自分は特にプレーの調子にムラがあったと思う。良い時と悪い時があるけどそれは自分がプレーするまでわからない。実際に、良い試合と悪い試合ですごく差があったと思う。たまにスーパープレーをする選手と、毎回無難に良いプレーをする選手がいたら、どっちを使うたいかというのと一緒で、安定している人の方が望ましい。もう1人は博打みたいなもので、怖くて使えない。

2つ目はポジションの幅を広げること。1つのポジションでしか使えない選手より、複数できる選手の方がいい。だから、少しでもできる見込みがあるなら迷わず挑戦してもいいと思う。最初は周りに何か言われるかもしれないけど、それは気にせずに頑張ってほしい。実際、叶多は左SBからCBもやるようになって試合で活躍している。

3つ目はオフザボールの動き方。これは自分にしか当てはまらないかもしれないけど、サッカーはボールがない時にどうするかというのが大切だから。

 参考になるかはわからないけど、そういう考えもあるのかと、心に留めておいてもらえると嬉しいかな。

 自分は試合に出る機会はそこまで無かったけど、密かに頑張ってきたことがあって、それは分析。主に始めたのは日本に帰ってきてからではあるけど。チームがどうやったらうまく攻撃できるか、この場面では何が正解か、などを考えて、Youtubeで検索してそれを参考にしながら、編集をしている。考えれば考えるほどわからなくなることもあったが、それだけしっかりやっていたのかなと思う。部活とプロサッカー選手で明確に違うのはここだと思う。プレー以外でもチームのために貢献できるというのは自分の中ですごくやりがいがあった。このチームにいるひとは誰だって大切な一欠片だ。そんな環境に身を置けたのには本当に感謝している。

自分は悔しい思いはしたけれど、不思議と悔いはない。多分それは本気でやれたし自分のできる限りを精一杯やったからだと思う。清々しい思いで引退できる。

後輩たちに紹介したい言葉があります

『同じことの繰り返しでも その意味や深さは違う 決して無駄じゃないと思える 

 さぁ行こう』

EXILEのRising Sunという曲の一部です。元々は東日本大震災の復興チャリティソングとして作られました。たしかに毎日の練習や部活は同じ日々の繰り返しに思えるかもしれないけど、実際そんなことはない、そう思って残りの日々を大切にしていって欲しいです。

最後に、練習を見てくださったハヤシさん、自分にとっては今まで指導される経験がかなり少なかったのでありがたかったです。休日にも関わらず練習試合や試合に駆けつけてくれるエノさん、死ぬほど暑い日も寒い日も、どんな時でも献身的にサポートしてくれるマネージャーの皆さんありがとうございました。そしてOBの皆さん本当にありがとうございました。

よし、これでみんなのブログが読めるー‼︎噂によると上條のが凄そうなので楽しみです。そしてあの黒川あおとが何を書くかは非常に興味深いので早くみたいですね。

次回は私が部活に入るきっかけとなった男、強靭な肉体を武器に相手を止める最強DF、

檀上君のブログです。壮絶なる怪我という荒波を乗り越えてきた彼のブログはどのようなものか気になりますよね。ぜひお楽しみください。







































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