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70の壁

航太からの熱烈ラブコールを受け、なんと呼び方まで変えられちゃうことに、驚きを隠せない「ごおり」こと西郡佑馬です。



ちなみにこのあだ名は、呼びやすさ、覚えやすさ、汎用性のどれをとってもパーフェクトだと自負しています。



自己紹介はこの辺にして、引退ブログを綴っていこうかなと思います。






まずは4年間の整理を含めて振り返りから。





入部の経緯は、思い返せば大層なものではないかなと思う。


高校生活の余暇を思い切り満喫してた3月くらい、上條からLINEで入部フォームが送られてきて、特段何も考えずに記入しただけ。

それこそ磯野と中島みたいに。





1年生の頃、上手な同期が多いなとか思いつつも、練習や試合をひたすらに淡々とこなして、Aを目指していた。


そしてリーグ戦が終盤を迎えるくらいの時期にAチームの練習に参加させてもらった。

最初はかなり緊張したのを覚えている。

けどまずは守備強度から頑張ろうと思い、なんとか喰らいつく中で、自身の色を徐々に出せていけたような気がする。





そんなこんなで2年生、オフ明けの練習から早々にBチームに落ちたが、ここからの時期が最も印象深く、意義のある期間だったと思う。


既に同期のブログに幾度か登場している当時の4年生の学生コーチ、平久竜土くん。


竜土くんにはポジションをバックラインへ移すきっかけを貰い、それまで感覚的にやってきたサッカーを論理的に学ぶ姿勢を教えてもらった。またポジション争いの中で、徐々に信頼を得られるのを実感できたのもこの時だけだったと思う。


Bチームに落ちたしまったものの、サタデーリーグのスタメンに定着し、トーナメントでも優勝するという目標のためにサッカーに向き合っていたこの時期が、今となっては何事にも変え難く楽しい時期だったと思う。


間違いなくターニングポイントであった大学2年生。竜土くんには心の底から感謝し尊敬しています!




3年生、ボランチとサイドバックの両方をやっていたこともあり、初のリーグ戦メンバー入りを果たした。

スタメンとして出た試合はシーズンを通して1度だけだが、それもかつてないほど緊張した。正直に言って試合内容はほとんど覚えていなかった。





そして最終シーズン、ここまで来るのはあっという間だった。


序盤は足首の怪我に悩まされ、本格的に復帰できたのは3月。そこから9月まで何とかやって来れている。練習や試合内容は最もタフなシーズンでもあった。


目標は以前変わらず、後輩の横山や熊谷という童を退け、リーグ戦に右サイドバックとしてスタメン出場すること。

彼らの体調不良や怪我が重なったこともあり、いわば空き巣のような形でスタメン出場達成。

正直ほっとした部分もある。



まあ4年間の振り返りは軽くこんなところ。。








「70」




ブログのタイトルにもあるように、

仮に自身の大学サッカー4年間に通知表をつけてあげるなら、これくらいの数字が適切かなと。


いや、約22年間の人生単位で考えてたところでも、さほど変わらないのかもしれない。



ただ誤解なきよう、この70という数字は決して悲観して付けたわけではない。



むしろサッカーに対して、高校までとは比較にならないほど真摯に向き合ったつもりである。


食生活から身体のケアまで全ての基準を私なりに上げた。

また人間性の部分も細部に宿ると信じ、特に意識したのはルールに準ずるということで、4年間を通してほとんど罰符等が付かなかった。


客観的に捉えれば、目標に対するプロセスや達成度も加味したうえで、及第点をあげられる内容の4年間であったかなと思っている。



感覚的には大学の単位と同じで、成績は「良」をつけてもらえるから。ただ「優」や「秀」ではない。80点以上は決してもらえないと思う。




唯一つ言えることは絶対的に何かが物足りない。


今までのスタッツにあらわれる得点、アシストや出場試合数なのか。

はたまた最初から定めていた目標ラインが低かったのだろうか。


まあこれら全部が当てはまると思う。



4年目のシーズン、結果としてスタメン出場できたのは僅かに2試合のみ。


そのどちらも何の因果か、

「70分」の出場時間のみ。


スターティングイレブンに並ぶことを、漠然と目指し続けるだけでは何事も中途半端に終わる。


とりわけ勝利のみが求められるリーグ戦では。




この振り返りをする上でふと思い出したことがある。



高校3年の頃の選手権予選。

石神井高校に負けて引退となったわけだが、その試合後に監督の玉生先生が私に言葉を投げかけた。


「もう少しやれたかもな。」



言葉は正確には違えど、ニュアンスはこのような感じであったと思う。

当時は悔しさがそこまで込み上げなかったこともあり、いまの今まであまり気に留めなかった。




綺麗で都合の良い解釈をするならば、当時から高い期待はかけてもらっていたのだろう。

それに応えられなかったことは、高校サッカーもきっと70点で終わってしまったのだと思う。





ここまで自身の引退ブログを綴り、ひたすらに自分語りを続けた。


決してネガティブに始めたつもりもないが、随分と陰気か文章になってしまった。






ただ、、、



この4年間に最終的な評価を下すのはまだ早いと思っている!




航太の言うようにリーグ戦はまだ終わっていない。ましてや、私にはまだチャンスが残されている。



残すところ4節にして回ってきたスタメンの機会、大東文化大学戦。


幸運にも、24日の上智戦にも何とかスタメンとして残れた。


このブログが出る頃には試合は既に終わっている。


私が目指すべきは100点をつけられる試合!



自身の現状を見て調子や伸び代を含めた上で、客観的に妥当な目標を据えることも、決して悪く無いかもしれない。


ただ、


仮に100を目指す者と70を目指す者、同じスタートラインに立っているとしても、両者の結果が同じで終わるはずがない。




""得点、アシスト、デュエル。

あらゆるスタッツに貪欲になり、何より勝利に最も貢献する""



当たり前のようなことであるが、私にとって今までは当たり前ではなかった。


これからの試合で私の為すべきことであり、

「70」という小さな壁を越える第一歩なのだと思う!



願わくば、この小さな壁が将来の自分にとって大きな壁であれと思いながら。






読み手にとっては時系列が複雑な決意表明のようになってしまいました。すみません🙇‍♂️


まあ引退ブログの趣旨に則っているのかは分かりませんが、

好きなことを書いていいみたいなので大丈夫でしょう!



その殆どをサッカーと共に醸成してきた人生観だからこそ、間違いは無いと信じて!



そんな感じで引退ブログは終了!!


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内部生同期へ



約7年間サッカー部の仲間で居続けること、別に珍しいことじゃ無いかもしれない。

ただサッカーを通して同じ距離感、温度感で関係を続けることは簡単では無かったと思う。

ありがとう!楽しかった!







そして改めて親へ感謝を、、、


自分の約18年間のサッカー人生を、決して安くはない費用をかけ、あらゆる面で支えてくれたこと。本当に感謝してもしきれないと思う。



子供の頃から、自分の試合を観てもらうことが嬉しかったこと。

それは今でも変わっておらず、間違いなくリーグ戦に出場したいという原動力の1つであり続けたと思う。



コロナ禍で有観客試合の数もそう多くはない中、最終シーズンの大東文化大学戦。

東工大まで足を運んで観に来てくれたこと、自分の試合をやっと見せれる事が何よりも幸せだった。


まだ試合は続くので、自分がピッチで走る姿を見せれることを祈って。



改めてありがとう。



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次回の引退ブログは


小学生のいしだしょうたろうくんです!


無邪気の悪魔のようにイタズラが大好きな彼は何を語るんでしょうか。


お楽しみに!

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