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クールジャパンを乗り越え、豊かでクリエイティブな社会を実現するために―生稲史彦(中央大学大学院教授)

クリエイティブ産業をめぐる近年の変化―デジタル化とグローバル化―

私が編著者の一人となった『クリエイティブ・ジャパン戦略』では、日本の文化的なポテンシャルを活かし、国内外の人々にとって魅力的で、経済成長を実現できる国になるための政策と戦略について考えてきた。序章では、クールジャパン政策に至る経緯とその変質を振り返り、それが思ったほどの成果を上げ得なかった「挫折」が示された。その背景には、文化とそのビジネスを取り巻く環境が予想外に変化したこと―急速なグローバル 化とデジタル化が進んだこと―もあった。

デジタル化は、アートやコンテンツの創出を含む、広い範囲に影響を及ぼし た。それは、クリエイティブな活動を行い、新しいアートやコンテンツを創り 出す過程を大きく変えた。チームラボが実現した新しいアート、アニメーションの現場でのコンピュータの活用はその代表的な例だろう。創作や開発だけではなく、作品と製品の流通もまた、大きく変わった。CDやDVDなどの媒体を使って流通していたコンテンツは、インターネットを使った配信、ダウンロード販売やストリーミングに置き換わった。これは企業のビジネスモデルに変革を迫り、企業はもちろん、著作権などの法制度にも変化を迫っている。

さらに、インターネットと、PCやスマートフォンを使って誰もが自らの創作物を配布し、創作物に対する感想や意見、要望を簡単に発信できるようになった。それに伴い、創り手と鑑賞者の間の垣根は低くなったし、両者の関係も変わった。ソーシャルメディアを使って創り手と鑑賞者が新しい形で結び付くようになったが、一方で、炎上などの問題も引き起こしている。デジタル化は日本のみの現象ではなく、海外でも同様の変化が起きている。アジアを中心とした新興国の経済発展もあって、デジタル化とグローバル化が複合し、国境を跨いでアートやコンテンツを楽しむ人や発表する人が増え、それらを介して交流する動きも広がった。20~30年前では考えられなかった、海外の創作者やユーザーと共に作品や意見を交換し、楽しむことが日常的な娯楽になり、普通の時間の過ごし方になった。

デジタル化とグローバル化が結び付いた結果、コンテンツを「輸出する」と いう海外との関わり方だけではなく、アートやコンテンツを起点にして観光などの関連産業を活性化したり、新しいアートやコンテンツのビジネスを世界規模で構想して実現したり、才能のある人々を惹き付けて地域や国の経済を活性化させたりする可能性が切り開かれた。

この意味において、デジタル化とグローバル化が進んだ今、われわれは文化と経済の新しい関係性を考え、実行する必要に迫られている。それは、文化を創造する活動と、経済を視野に入れた政策を架橋する、クールジャパン政策を刷新する必要性と重なっている。 ここで、グローバル化とデジタル化を追い風にして「成功」を収めた隣国の韓国と比べ、日本はこれらの変化を積極的に活用できなかったとは言える。少なくともビジネスにおいて、日本のクリエイティブな活動を活かすビジネスが、グローバルなマスのマーケットを獲得できたとは言えない。むしろ、サブカルチャーと結び付いたニッチ市場の獲得に留まっていると見た方が妥当であろう。この面からも、グローバル化とデジタル化を活かして、日本に関連した クリエイティブな活動を促し、経済的成果と結び付け直す政策立案―クールジャパン政策の再構築―が求められている。

この再構築は、政策立案を担う政府・地方自治体にも、クリエイティブな活動の現場にも、ビジネスを進める企業にも共通の課題である。どのようにすれ ば、日本で培われてきた文化的なポテンシャルを活かし、魅力的な、経済成長につながる、国際社会で憧憬と尊敬を集められる国になれるのか。本書の八つの章、16の論考は、この問いかけに対する様々な立場からの答えと提言であった。 ただし、文化、もしくは文化と経済の関係に関し、見方によって提言内容が異なる場合が少なくない。日本の現状と将来について研究会で議論を重ねた本書の著者の間であっても、各著者が焦点を当てるポイントや提言内容が異なっていた。例えば、文化のための経済を重視する人もいれば、経済のための文化を重視する人もいる。比較的短い期間での経済的利得を重視する立場もあれば、中長期的に経済を活性化して豊かな文化と経済を実現しようとする立場もある。

文化と経済を架橋するクールジャパン政策との関わり方でも、政策立案の立場と、それを活用したり、評価したりする立場では意見が異なりうるだろう。文化と経済、さらには社会に関する議論や提案だからこそ、一つの「正解」はあり得ず、むしろ、異なる立場から出される複数の「答え」を共有し、 より望ましい、より妥当な、より多くの人が納得しうる「解決策」を考えることが大事なのではないだろうか。そして、そのために議論し、考えるプロセスが大事なのではないだろうか。 だが、無秩序に答えを並べるだけでは共有にはならないし、健全な意見交換を通じて解決策に辿り着くことは難しくなる。そこでわれわれ執筆者たちは、 複数の答えをいくつかの塊に分けてバランス良く提示し、執筆者同士はもちろん、読者の皆さんとも答えを共有しやすくし、意見交換の土台を提供しようと意図した。 このように問題意識を共有していることを前提に、各自がそれぞれの経験や立場に基づいて自由に答えを提示した結果、異なる提言になっている章もある。政策の担い手である官と、政策を活かす民ではこれまでの取り組みや今後への期待が異なる。過去に見てきたクリエイティブな活動が違えば、重要視する要因や対応策は違ってくる。大局的な法制度の設計と、きめ細やかなマネジメントの発想も違う答えを見出すだろう。それでもなお、先述の共通した現状認識を持ち、問題意識を共有しているために、提言には共通点があった。

クールジャパンを乗り越えクリエイティブ・ジャパンを目指すために

本書の序章でも、各章でも触れたように、過去20年ないし30年でクリエイティブな活動を取り巻く環境は大きく変わった。デジタル化とグローバル化 が進んだことで、誰もがクリエイティブな活動を行い、世界に向けて発信でき るようになった。一部の人が持つ優れた才能やビジネスの感覚も重要だが、そうした一部の人が現れ出るためにも、多くの人がクリエイティブな活動に携わって自らの可能性を試すことが必要である。これは、かつてであれば機会に恵まれなかったり、制作の環境を持てなかったりして埋もれた才能や能力が、 世に現れ出やすくなった変化に期待することでもある。

だからこそ、社会全体がクリエイティブな活動との接点を増やし、多くの人が自分なりの形でクリエイティブな活動に携わる方が望ましい。まだ見ぬ新しいものを創り出す才能 は、そうした多数の人の中にある。多くの人がその可能性を信じて挑戦すれば、結果として現れ出る優れたクリエイティブな活動と、その成果が豊かになると考えられるからだ。 このような変化を認識し、将来の可能性を考えるならば、クリエイティブな活動を社会全体でどれほど促せるかが問われる。それは、クリエイティブな活動そのものに携わる人の母数を増やす面でも、そうした人々の成果を見守り、育てる面でも重要であろう。炎上などによって表現を萎縮させる社会より、クリエイティブな活動の成果が前向きに、多面的に評価される社会の方が、クリエイティブな活動に参加する人も増えるし、その活動への熱意も高まるであろう。

こうした社会全体のクリエイティブ化は、インターネット上、デジタルな技 術で支えられた場で起こることもあれば、リアルな場でも育まれるだろう。それゆえに、都市という場もまた、人々のクリエイティブな活動を支え、育む場 として、あらためて見直されていく必要がある。同時に、現在とこれからのクリエイティブな活動は、過去の蓄積の上にも成り立っている。チームラボの事例が見せているように、過去に培った技術や人材の厚みが、思わぬ形で、大き な変化を起こす可能性がある。過去の蓄積をいかに将来の可能性へと繋げていくのかも、日本の社会を前に推し進めていく上で必要な視点である。 さらに、社会全体の変化はその中で活動する企業にも及ぶ。

企業の業務の有り様や分業体制、人材育成、技術の活用、ビジネスモデルなども、こうした社会全体のクリエイティブ化に合致する形に変えていく必要がある。もちろん、 企業にはこれまでのビジネスを支えた業務や人材、技術やビジネスモデルがあることから、容易には変えられない要素もある。しかしながら、社会の変化と 要請に応えるためにも、自らが生き残るためにも、企業はデジタル化とグローバル化に合致するマネジメントを実現し、クリエイティブな活動が重視される社会に順応していく必要がある。

その際、もし自らが直接的にクリエイティブな活動な活動に携わらないとしても、作品の購入や支援、出資などの形でそれを促すこともできる。あるいは、作品の購入や支援を通じて、経営者と社員が アートやコンテンツと触れる機会を増やしていくことによって、企業の姿勢や考え方、価値観が変わり、ビジネスにとって良い影響を受けたり、自らのクリエイティブな活動が促進されたりすることを期待しても良い。 こうした社会の変化と企業の変化を、法制度や政策は支える。現状であれば、著作権制度を技術とビジネスの変化に合わせて変えることも必要であろう。あるいは、新しい制度や法律を作ることで、文化と経済の関係を問い直し、新しい関係を築くことも可能だろう。

政府もまた、かつての産業政策を変えてきたように、今後の社会の変化にあわせて、クリエイティブな活動を担う企業や人々への支援のあり方を変えることができるし、それが必要とされている。もちろん、国としての政策である以上、その正当性や裏付け、政策効果の評価は求められる。そうした評価や正当化の枠組みもまた、学術研究という文化の中で作りあげ、議論していく必要がある。そして、地に足の着いた議論を踏まえて、実効性のある政策を立案し、実行するために、政府・地方自治体も自らを変えていく必要がある。

では、このような形で変わっていく政策と社会をどのような言葉で表現し、
多くの人々の支持を集めるのか。これもまた、重要な課題である。「クール
ジャパン」はイギリスなどの海外の事例を参照しながら始まり、日本人のわれわれにとって適切な言葉と論理でその重要性や意義が伝えられてきたとは言い難い。一つの国の中に文化の多様性があることを念頭に置きながら、これからの文化と経済の関係を表し、両者の間の良循環を多くの人が想起できるような言葉と論理が求められている。

以上のように、技術と世界の変化は日本の社会、市民、企業、消費者、政
府・地方自治体の変化を促している。ここでわれわれは、文化的な豊かさと、経済的な豊かさは、社会全体の動きの結果として生じるものだと考えるべきではないだろうか。つまるところ、稼げる、売り物になる文化だけをクローズアップし、それを育てれば「クールジャパン」になる訳ではない。多くの人が様々な立場で参画し、新しい何かを創り出そうとしている社会全体の豊かさがあるからこそ、その「表現形」としての文化が魅力を持ちうる。そうしたアートやコンテンツの魅力こそが、日本国外にいても触れたくなるコンテンツや、日本を訪れて味わいたい場所や鑑賞したい芸術として現れて、経済的な価値をもたらす。そうであれば、クールジャパンを再構築するに当たっては、日本の社会としてどのような姿を目指すのかを問い、考え、実現に向けて動き出さなければならない。

この変化は課題でもあるが、機会でもある。ジャパンもしくは日本の社会を
母体として、どのような文化的な輝きを放てるのか、それが経済的な豊かさと両立して支え合えるのかを考え、決め、実行に移していくのは、今のわれわれである。豊かな文化を享受する市場として、あるいは、美しく、より望ましい価値観を表現し、様々な豊かさを実感できるアートやコンテンツによって世界を良い方向に変えていく場として、社会はどのような姿になり得るのか。その実現のために、政府・地方自治体、企業、集団や個人といったレベルで何ができるのかを議論し、実行していくことが、今求められている。

本書全体で示されたように、この課題に対する答えは容易には得られず、意見の違いや対立も生じる。だからこそ、それぞれの立場で率直な意見を述べ、それを突き合わせ、より多くの人が支持できる解決策へとまとめ上げていくことと、その過程が重要なのであろう。どのようにすれば、日本で培われてきた文化的なポテンシャルを活かし、魅力的な、経済成長につながる、国際社会で憧憬と尊敬を集められる国になれるのか。本書によるこの課題設定と、それに対する多くの提言が、さらなる議論を喚起することがわれわれの願いである。そして、議論を踏まえ、今後の政策や企業行動、われわれの市民としての活動を望ましい社会の実現へと繋げていくことを、執筆者たちもそれに参加しながら目指していきたい。

編集注:本稿は『クリエイティブ・ジャパン戦略』(2024年6月、白桃書房刊)に収録された「終章」を抜粋し、またウェブでの公開を意識し再編集したものです。


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