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「文化と経済の好循環」の実現のために─河島伸子(同志社大学教授)

本書『クリエイティブ・ジャパン戦略』は、日本のクリエイティブ産業が持つポテンシャルが最大限発揮されるための政策と現場における課題を様々な角度から分析・検証し、日本にとっての今後の課題を提示するものである。各分野における気鋭の研究者、実務家による論考が集められており、各自が得意とするフィールドと強く持つ問題意識を勘案しながら、1 章につき 2 名の著者をカップリングし、一つのテーマに違った視点から接近する様相を見てもらえるように工夫してある。

本書は、政策的視点を意識した第 I 部と現場に焦点をあてた第 II 部、そしてローカル、グローバル、サイバー空間という軸から諸課題を検討する第 III 部とで構成されている。どの章も、ありきたりの論やよく見かけられる批判をなぞるわけではなく、骨太の議論を展開している。本書を通じて、クリエイティブ・ジャパンへの問題意識を共有してもらえたらと願うものである。

この本は、東京大学未来ビジョン研究センターの「文化を基軸とした融合型新産業創出に関する研究ユニット」(センター長およびユニット代表:東京大学坂田一郎教授)が企画運営してきた研究会から生まれたものである。2016 年3 月から2022 年3 月まで存続した同ユニットの研究目的としては、日本が持っている多種多様な文化芸術、伝統を活用した新しい産業を興すためのシステムを考え、文化を切り口にした総合的な地域の魅力づくり、地域活性化の政策提言等を行うことが掲げられていた。ユニットでは、シンポジウム開催や国際学会におけるセッション企画運営協力等いくつかの活動を行ったが、定例的な活動として研究会の開催があった。

このセンターで客員教授を務めていた筆者を中心に、各界の専門家からの報告と定例メンバーによる議論の機会を持つため、当初は年に3~4 回開いていた。コロナ禍の影響で一時的に休止したものの、オンラインでの研究会を再開し、定例メンバーを増やしつつ、「クリエイティブ産業」のあり方についてオンライン研究会を8 回ほど、そして本書の刊行に向けた研究会を4 回にわたり開催した。本書の執筆者は全て、本研究会に参加していたメンバーである。この中には、経営学、経済学をはじめ、各分野にまたがる研究者および中央省庁の官僚出身者や企業に勤める実務家、弁護士、コンサルタント等も含まれ、大変多彩な面々である。大学の研究者のみならず、フィールドに近い人々を交えたことで、現場の実態、課題をよりしっかりととらえた、地に足のついた研究が可能になったと思う。

本書が対象とする分野が、非営利の芸術(アート、クラシック音楽など)と商業性の高いデジタルコンテンツ産業(ゲーム、アニメなど)にまたがっている点、そしてそれらを「クリエイティブ産業」と一括して呼んでいる点はわかりにくいかもしれない。「クリエイティブ産業」という言葉になじみがない読者も少なからずいると思うので、この場で少々解説したい。

クリエイティブ産業の定義には、1998 年にこの規模測定を行った英国のDCMS(Department for Culture, Media and Sport、その後Department for Digital, Culture, Media and Sport に名称変更)が使ったものが頻繁に参照されている。それは、「個人の創造性、スキル、才能を源泉とし、知的財産権の活用を通じて富と雇用を創造する可能性を持った産業」であり、具体的には、舞台芸術、デザイン、映像・映画、テレビ・ラジオ、美術品・アンティーク市場、広告、建築、工芸、デザイナー・ファッション、インタラクティブな余暇ソフトウェア(ゲームのこと)、音楽、出版、ソフトウェアの13 産業を含んでいた。この中にソフトウェアのように何か作業を行うための道具であるもの、また、アンティーク市場のようにモノの売買取引に過ぎないものが含まれる点など、批判されることも多かった。

その後、具体的に含める産業の線引きは変遷し、また他国ではこれを参考にしつつ異なるバージョンを生み出していったため、「クリエイティブ産業」の定義と範囲に、決定版というものは存在しない。定義と範囲はこのように曖昧かつ流動的ではあるものの、「クリエイティブ産業」という言葉の魅力は、非営利文化と営利文化、芸術とエンタテインメントとの間にあった壁を取り払い、広い意味での文化を「産業」としてとらえる可能性を示唆していることにあろう。

非営利と営利との区分は、どちらかといえば政策側の都合から生まれている。営利ビジネスとして成立している活動、事業に対して、公共セクターが介入する理由は見つけにくい。しかし、営利・非営利文化を峻別することは実は難しい。例えば、スタジオジブリや新海誠監督等によるアニメ映画はアート性が高いが、商業的成功も収めており、外見としては営利文化といえる。また、従来「市場の失敗」を根拠としてきた文化政策においても、その根拠は、本質的に価値の高い文化が補助金なしには成立しづらいから、というだけではなくなり、文化による社会的包摂や経済成長への貢献という波及効果が大きいことへも目を向けるようになった。

すなわち、営利、非営利の区別を越えた「クリエイティブ産業政策」には、文化が、その本質的価値として人々を感動させたり、社会の多様な価値への理解を深めたり、といった効果を持ちつつも、さらには産業そのものとして経済価値を生み、他の産業(観光など)に波及し、経済の活性化とイノベーションに結び付くこともあるという認識がベースになっている。

日本ではクリエイティブ産業に関係する組織と予算が、文化庁および経済産業省クールジャパン政策課、コンテンツ産業課などに分散していることもあり、クリエイティブ産業政策という言葉が一般的になっているとはいえない。しかし、文化庁が中心となって進めている文化政策は、文化財を含めた非営利系の文化を中心としつつも、「文化と経済の好循環」をスローガンに、文化の持つ社会的価値、経済的価値の発現にも力を入れるようになった。

近年、文化財保護に関わる法改正が相次ぎ、文化財の「活用」を推進する施策が次々と出ている。一方、経済政策の視点からも文化への期待は以前より上がってきており、例えば、文化観光推進法という法律が2020 年に成立している。これは、文化庁によれば「文化の振興を、観光の振興と地域の活性化につなげ、これによる経済効果が文化の振興に再投資される好循環を創出することを目的とする」法である。同法における「文化観光」の定義は、「文化についての理解を深めることを目的とする観光」とされ、単に文化を観光に利用しようということではない点が強調されているが、文化政策と経済政策の距離が縮んでいることは明らかである。

『クリエイティブ・ジャパン戦略』
編者を代表して
河島伸子(同志社大学教授)

『クリエイティブ・ジャパン戦略』書影

編集注:本稿は『クリエイティブ・ジャパン戦略』(2024年6月、白桃書房刊)に収録された「はじめに」を、ウェブでの公開を意識し再編集したものです。

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