キリスト教とヒンドゥー教の違い
1. はじめに
このレポートの目的は、キリスト教とヒンドゥー教の違いを考察することにある。その結果、キリスト教は直線的な時間論で、ヒンドゥー教は円環的な時間論であるということが明らかになった。
このレポートの構成は以下の通りである。第2章では、キリスト教とヒンドゥー教の違いを述べる。第3章では、キリスト教の時間論、第4章ではヒンドゥー教の時間論を考察する。第5章ではまとめを述べる。
2. キリスト教とヒンドゥー教の違い
キリスト教とヒンドゥー教の違いは、時間に対する考え方にある。つまり、キリスト教は直線的な時間論で、ヒンドゥー教は円環的な時間論である。
3. キリスト教の時間論
キリスト教は直線的な時間論である。つまり、世界の「始まり」と「終わり」が意識される。神によって世界が作られ、最終的にはすべての人間が神によって裁かれるという考えである。つまり、始まりから終わりという風に、時間を直線的にとらえ、自らをその途中に置き行いを戒めるということである。これはキリスト教がユダヤ教の流れを汲んでいることからくるものである。まず物語を持つキリスト教があり、それをもとに文化が形成されていったといえる。
また、キリスト教は常に物語の正当性を確かめる。つまり、宗教として統一性を求める。なぜなら、キリスト教は神を中心とする直線的な時間論で、そこに誤りはないはずであるからだ。しかし、キリスト教に統一性を求める習性があったために、かえってカトリックとプロテスタントに分裂してしまった。ルターが教会を批判し、聖書中心主義を提唱したのがその例である。つまり、キリスト教ははじめ、一つであったものが、のちに分裂した。
4. ヒンドゥー教の時間論
ヒンドゥー教は円環的な時間論である。つまり、強固な物語が存在せず、生活と密接である。ヒンドゥー教は開祖・教祖の概念がなく、聖典が多様であり、各地域の土着信仰と融合してできたことがその証である。つまり、まずそこで暮らす人たちの生活があり、習慣や文化がヒンドゥー教をつくり上げた。さらに、明確なヒンドゥー教は存在せず、地域ごとで意識されるヒンドゥー教は異なるだろう。講義の映像で、ある女性が仏教とヒンドゥー教は同じと言っていたように、(実際はそうではないが)その女性にとっては違いが意識されぬほどあいまいな見方である。
ヒンドゥー教は文化そのものであるため、キリスト教のように内部から批判されることが少ない。つまり、カースト制度も現代的な観点から見ると、不当であったとしても、それが当たり前であり円環的に続くことが受け入れられている。一方で、IT産業が新しい産業であったために、カースト制度が適用されず、インドでITが興隆したように、思わぬ方向で柔軟性を持つこともある。
5. まとめ
本レポートでは、キリスト教とヒンドゥー教の違いを考察した。その結果、キリスト教は直線的な時間論で、ヒンドゥー教は円環的な時間論であるということが明らかになった。
参考文献
・小寺聡 編『もういちど読む山川倫理』(山川出版社、2011)61ページ。
・佐藤優 『学生を戦地に送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』(新潮社、2017年)