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エンジニア転職自体をやめました!!

この度、東証1部上場企業様からの内定を見送り、1年以上続けてきた学習に終止符を打つことを決めました。
長い間ずっと考え続けてきた末の決断です。
まずは応援してくださった方々に、心より感謝申し上げます。
間違いなく今までの人生の中で自信を持って「やり切った」と言える期間でした。

なぜエンジニアを目指したのか?なぜここでやめるのか?をこれまでのストーリーを交えて本音で語ろうと思います。誰かに読んで欲しいとかではなく、自分への一つの区切り、まとめとして書きます。興味があれば、また誰かの暇つぶしにでもなればと思います。

Twitterに書こうと思ったのですが、少し長くなってしまったのでこちらにまとめました。

内容はザックリと

・自分がエンジニアを目指した本当の理由
・辞める決断に至るまでの心境の変化
・IT業界の個人的諸感  etc...

結論から言いますと
自分がエンジニア転職をやめた理由は
【IT業界は「稼ぐこと」よりも「技術が好きな人」もしくは「ITでやりたいことがある人」が行くべき業界だと感じたから】です。

僕がエンジニアを目指すまで

少し僕個人の昔話をしようと思います。

エンジニア転職を志し、転職活動を始めるにあたって自己分析とやらを初めて真面目にやりました。(医療職なので、就職活動はほぼしたことがないため)
まぁ、エンジニア転職を志す前にしとけという話ですが、、、
エンジニアを目指した一番の理由は反骨心からです。つまりは「絶対負けたくない」という怒りに近い感情から僕はエンジニアになることを決意しました。その反骨心の根源は2016年に遡ります。
そこそこ勉強して医療系国家資格を取得後、僕は超急性期病院に勤務することになります。そこはカースト制の強い病院で上司にゴマをすっては振り払われの毎日でした。同僚が一人いましたが、彼は要領がよく上司にも好かれ、上司はよく自分と比較し、いつも同僚と2人で自分を馬鹿にしていました。ちなみにその同僚は同じ学校を卒業した仲の良い友人でした。
何故、同僚は上司と一緒に自分を馬鹿にするのかが理解できず、怒りなのか悲しみなのかよくわからない感情で毎日凹んでたのを鮮明に覚えています。
2年目からお互い違う部署に配属となり、メンタルも少しは落ち着くだろうと思っていた矢先、本当の地獄はここから始まりました。
配属先の部署の新しい(パワハラ?)上司がひどく自分と合わず、毎日が恐怖でした。何かすると怒鳴られ、何もしないともちろん怒鳴られ、質問しなければ無視され、質問すれば「こんなのもわからないの?考えろ!」と怒号。上司の回答とツッコミを予想した、質問をするための質問を毎日必死に考え続け、さらに仕事が終わってから毎日2時間居残りで自主勉強を続けました。
年の近い先輩にコッソリ質問したりしてましたが、少しでも誰かに聞いたことがバレると「なんで俺に聞かないの?違うこと教えられたらどうすんの?責任取れんの?」とのことで、先輩をロックダウンされる始末。
仕事での疑問を全てメモにとり、それを自分のノートにまとめ、イメトレを繰り返しては本番で監視の目により硬直し、最終的にはメモ自体も否定されるようになり、怒鳴られを繰り返すこと1年8ヶ月。何回もトイレで泣きました。
もはや仕事のためではなく、上司の機嫌をとるための勉強と質問、行動と言動でした。
おかげさまで仕事に手を出すことに恐怖を覚え、全く働けない頭でっかちの完成です。
後から聞いた話ですが、完全にメンタルをやられていた僕の顔面は土の色をしていたそうです。
ちなみに他の部署にいった同僚はこの上司にもうまくゴマをすり込み、上司のお気に入り登録は完了していました。年末の飲み会で、僕の失敗談を肴に盛り上がっていた別席を、僕は見て見ぬふりをしてウーロン茶で流し込んだのを覚えてます。(そういやあの時は俺の車で二人を家まで送迎したなぁ...)
と、まぁ他にも色々書くと本当にキリがないのですが、、、
死にかけていた3年目の冬、当時心の拠り所であった彼女が自分の誕生日プレゼントを買ってくれるとのことで、土色の顔面でデートに行きました。
ふと、思い立ったように僕は言いました。「...占い行っていい?」
藁にも縋る思いで、僕は彼女と占いへ。もちろん依頼内容は「今の仕事について」とついでに「二人の相性」。
占いはあまり信じない派だったので、占い師に勘ぐられないよう、明るく振る舞いました。
二人の相性は置いといて、、早速今の仕事についての鑑定してもらった結果、、、第一声が
「死にますよ?よく3年ももってますね」
でした。今回に限っては占いの力を信じざるを得ませんでした。笑
その誕生日の二日後に僕は大きなミスをやらかし、無事メンタル崩壊を達成します。
その後数日は呼吸が浅く、頭が真っ白で、ただそこにいる人でした。
ついに、ついに、ついに部署長が動き、問題の上司と3者面談が執り行われました(なぜに3者...)
僕は「もう無理です」とだけ伝え、元いた部署に再配属となり、バカにする上司と残りの数ヶ月を過ごしました。(その間に最後の力を振り絞って獲得した他病院からの内定により、無事脱出を成し遂げるのでした。)
実は、、、最後の1年間は救世主が存在しました。
彼は中途入社の5つ上の方で、超が3回つくほど努力家で、パワフルで、温かくて、大きかった。
その方はなぜか僕を賞賛し、ずっと僕を肯定し続け、励まし続けてくれました。彼は入職してすぐ、この組織の教育やマネジメントなどの組織のあり方を改善すべく、部署長と戦っていました。
性格や考え方の全く異なる、もはや生物的に違う僕と彼がなぜ意気投合したのかは今でも大きな謎の一つです。
彼は「この組織がおかしいンダ!!」と連呼しながら毎日スチール缶を握り潰しながら僕を励まし続けました。
自分がこの組織から抜け出せたのも、今こうしてこんな投稿ができてるのも、この人がいなければ成し得ていなかったと思います。この場を借りてお礼を言いたい。
(本当に、本当に、本当にありがとうございました。)
ここまでが、僕が抱えている黒歴史です。

少し話は変わりますが、実は自分、元々はかなり多趣味で活発で、中学生の時には硬式野球チームで全国大会に出たり、高校でテニスを始めて地区大会で優勝するまでに成長したり、同じく高校でギターを始め、メンバーを集めて文化祭で演奏したりと割と活発で充実した人生を送っていました。バイトでもリーダーを勤めるくらいには仕事はできていて、割と何でも器用にこなすタイプの人間だったと自分では思っていました。しかし社会人一発目でこのような洗礼を受け、生活は廃人と化します。(やはり精神壊れるとできることもできなくなっちゃいますね)

話は戻りまして、同じく急性期病院に転職して心配された仕事ぶりですが、全然普通に働くことができました。今回は上司に恵まれ、わからないことは聞くことができ、仕事に対する恐怖も消えました。
初めての業務でも成長スピードを褒められるほどでした。(やはり安心して業務ができる環境は必須です)
前職で相当勉強したためか、入職3ヶ月程で主要な業務ができるようになってしまい、ぼーっとする時間が増えました。「余裕を持つ」ということが罪悪感に近い感情だったのを覚えています。また、仕事ができることでゆっくりと自己肯定感が回復して行くのが感じ取れました。
そして、とある日の通勤時、餌をもらうために必死に口を開けるツバメの雛を見ながら僕は考えます「このままでいいのかな...」
逃げるように前職を辞め、急性期病院とはいえ、落ち着いた環境に身を置いていることに違和感を覚え、何より「負けたくない」というこれまで表に出なかった、いや、出ることのできなかった「怒り」という感情が徐々に芽生え出しました。

「あの人たちよりもいい生活を」
「あの人たちよりも充実した毎日を」
「あの人たちよりも幸せな人生を」

そんな野心が僕を突き動かしました。そう思い立った吉日が2019年7月19日です。(今でもあの日のことを覚えています。笑)
あいつらよりも稼いで、「絶対GreatにHappyな未来を手に入れる!!」と誓いました。
医療以外のことを知らなかった僕は世間に目を向け、野心を燃やしながら行動を開始します。ブログやアフィリエイト、プログラミング、投資、不動産など、個人で稼げるツールで人生を充実させようと必死に活動しました(もちろん働きながら)。色々やりましたが、右往左往しながらその中で唯一残ったのがプログラミングでした。「やればやるだけ稼げて、再現性が高い!」これが最大の原動力となり2020年5月の自分はエンジニアへのキャリアチェンジを決断します。(この決断の3日後、妻の妊娠が発覚しますw)
一応言っとくと、ここで言う妻とはもちろん、土色の顔面の僕と占いについてきてくれた彼女です。
それからというもの妻のサポートとして家事は全て自分が行い、駅まで車で送り迎えしながら、そして子供が産まれてもいいようにと妻の通勤を考えての引越しも乗り越えて学習を必死に続けました。
その後、オンラインサロンに入会し、共同開発講座を受講することになります。(2020.10~2021.2)
独学と比べ物にならない難易度の開発講座で、途中挫けそうな時もありましたが、なんとかこの講座を乗り越えました。(ここで娘、爆誕)
共同開発を終え、自力で個人アプリ開発を行い、応募書類をまとめ上げ、その間サロンの勉強会運営や技術サポーターとしての受講生サポートを行いながら、いざ、転職活動の開始となります。共同開発途中に娘が産まれてからここまでが3ヶ月、初めての事だらけで、育児・本業・学習・サロンサポート・転職活動を維持するために削るのは睡眠時間しかなく、正直、想定以上にキツくて気が狂いそうでした。
そんなこんなで始まった転職活動。エンジニアになる理由が「あいつらに負けたくねぇ!!絶対稼ぐ!!」というだけの理由であることはわかっていました。
ここで話は振り出しに戻りますが、転職活動を開始する前から初めて自己分析とやらをします。反骨心は前提としてありますが、「自分はどうしたいんだったっけ?」「何がしたいんだっけ?」企業選びのためにそんなことを考えながら娘のオムツを替えてました。
食事中、入浴中、通勤途中、何度も何度も何度も考えました。
「エンジニアになって何がしたい...?」
そんな中「...御社を志望する理由はカクカクシカジカで、、」と志望動機を考えながらの転職活動に違和感を覚えつつも、タスクを淡々とこなしていきます。そのうち一次選考も通るようになって最終面接も何社か経験しましたが、結果は不採用。その全てにおいて、引っかかった質問は

「弊社で何がしたいですか...?」

この質問だけが本当にわからず、回答が浅くなる。(変なとこ真面目)
不採用理由を聞いても、そこが原因なことが多かったです。自己分析が足りないと言われればその通りかもですが、何度自分に聞いても答えは出せませんでした。
「そんなの適当に考えてさっさとエンジニアになっちゃえ」という考えもよぎりましたが、それでは自分が納得いきませんでした(変なとこ真面目)
そんなふうに、「これからやりたいこと」に悩んでいた矢先、転職サイトを通じて1通の「気になる」通知が来ます。転職活動初期より最重要マークをつけていた企業で、事業内容やITでできることの魅力を一番感じていた企業でした。「エンジニアになるなら、この企業なら...!」と思えた企業でした。
仕事中でしたがトイレに駆け込み、速攻で返答。すると一次面接の知らせが届き、全俺を投入し対策を行いました。結果は合格で最終面接へ。
数々の企業を受けてきましたが、正直この企業に賭けていました。考えられる対策を全俺を投入して行いました。
最終面接は少々詰まったところはあったものの、面接自体の感触は良く、「これは通っていて欲しい」と思える内容でした。

待つこと3日。

勤務中にメッセージが届き、またもやトイレに駆け込みました。
とりあえずズボンをおろして便座に腰掛け、息を呑み、祈る思いでメッセージを開けました。
結果は「不採用」
どこかで味わったような懐かしい絶望感が全身を襲い、そのまま脱糞しました。
5回くらいメッセージを読み直し、慣れた手つきで返信しました。「承知致しました」
絶望は絶望だったのですが、ある感情がふわふわと漂っていました。「安心」...(?)
絶望の中に安心があるという不思議な感情でした。
なぜこの感情が出たのか数日考えた結果、あるコアな部分に辿り着きました。
「本当は行きたくなかった」という本心。
「自分がエンジニアになるなら、この企業なら...」と思えた企業でさえ、「行きたくない...?」
この一社の不採用が今回の転職活動に違和感が確かなモノに変わったきっかけとなりました。
この時既に、自分の目標は「エンジニアとして活躍すること」ではなく、「エンジニア転職自体」がゴールだったんだなと悟りました。

...この後、転職自体に違和感を覚えながらも必死に活動を続け、3時面接+最終面談を乗り越え、東証一部上場企業から内定を勝ち取るのでした。
そしてこの内定を辞退し、エンジニア転職自体と1年以上続けてきた学習に終止符を打つことを決め、現在に至ります。
(正直めちゃめちゃいい企業でした...笑)

途中、転職自体に疑問を持ちつつも、活動を続けたことには理由があります。
冒頭の黒歴史によって自分のメンタルは一度崩壊し、ようやく自立するところまで来ました。しかし、メンタルは一度崩壊すると、厄介なことにそれがクセになります。経験されている方はわかるかもしれませんが、一度精神を病むと自分の深い部分の感情のベクトルが下に向きます。何をしても「自分はダメなんだ」と思い込む癖が付き、再び精神を病みやすくなります。
あの時の反骨心から決意したエンジニア転職、何一つ結果を出さずに途中で投げ出せば、またベクトルは下を向き「自分を信頼できなくなる」ことは自分でわかっていました。

だから自分に「やればできる」をねじ込むためだけに、この挑戦をやり遂げる意義がありました。

僕はこの一度傾いた心の奥底のベクトルを上に向けたかった。それを実現するには何らかの実績、それも大きな、胸を張って言えるほどの実績が必要だったと思います。
結果としてエンジニアにならない事を決めたので、1年以上の期間を費やしたにも関わらず、生活は元通りですが、「自分はできる」と自分自身に証明できただけでも、この挑戦をした価値は十二分にあったと感じています。過去の燃えカスのような自分にもう一度火を灯すことができたことが一番の収穫です。
ここまでが僕がこれまで活動してきた主な内容です。

エンジニア転職を辞めた理由のまとめ

自分がエンジニア転職をやめた理由は

【IT業界は「稼ぐこと」よりも「技術が好きな人」もしくは「ITでやりたいことがある人」が行く業界だと感じたから】

です。

僕の中の論点は「反骨心」と「稼ぐ」にあります。
「反骨心」から来る目的である「稼ぐ」ということがエンジニアで達成できるのか?ということですが、自分がこれまで活動して感じたのは
現役バリバリでやってる方々は確かに一般のサラリーマンよりは稼いでいると思いますが、それは技術に対して支払われる報酬であり、あくまで労働収入です。そして決して楽な道ではないと痛感しました。
「稼ぐ」ことだけにフォーカスすると、エンジニアは適さないというのが僕の答えです。今後、巷で流行っているWeb系の業界は確かに拡大傾向にありますが、これからどのような変化を遂げるのか?超稼げる職種になるのか?増えるIT人材が全員稼げるのか?正直、僕には分かりません。
ただ、1年以上必死に学習し続けた僕が感じたのは、エンジニアを目指すに値する人は「技術が好きな人」または「ITで何かしてやりたい人」だと思います。
自分は1年以上必死にやってきましたが、正直、自分が技術を好きになる未来が想像できませんでした。このままITに進んだとしても、やればできるかもしれないが、「ITでやりたいことが不明確」且つ「技術が好きになれない」...反骨心で乗り切れたとしてもそこで得られる報酬やメリットの対価を考えると、払う代償が大きすぎると感じました。
確かに年収は高いかもですが、技術力ありきであり、そこに至るまでの努力量は相当なものです。
技術が好きになれない僕の場合、この選択は「幸せになれない」と考えました。
稼いでない僕が言うのもダサいですが、稼ぎたいだけなら他にも方法はありますし、エンジニア=稼げるという考えだけで安易に目指す職種ではないということは学習を重ねていくうちに明らかになってきました。
エンジニアという職種自体は、アイディア次第で可能性は無限大ですし、やってることすごいし、カッコいいです。
「技術が好きな人」もしくは「ITでやりたいことがある人」は大いに目指す価値があると思いますし、稼げるエンジニアを目指せば、幸せな人生を送れるだろうと思います。
転職活動中、必死にもがきながら進んできた自分を見つめ直し、エンジニア転職自体を辞める決断をしましたが、後悔は全くありません。
自分は人生の中で、何かやってやりたいという野望みたいなものがありますが、その一歩として自分が納得のいく企業からの内定を取れたことで、自分の黒歴史を払拭できただけでも十分すぎる報酬です。
むしろここからがスタートで、学習継続力と論理的思考力という最強の武器を手に入れた医療人として反骨心剥き出しで「今日の積み上げ」をしていきたいと思います。

最後に

もし、ここまで読んでくださった方がいたとしたら、同じように転職に迷っている方なのかもしれません。

就職においてはどの業界でもそうですが、その先に興味ややりたい事があるからこそ、そこを目指すのだと思います。
僕の場合、これからIT企業に進み、今まで学習してきたことをライフワークにすることで自分を幸せにすることはできないと薄々感じていたことが、自己分析によって明確になりました。

稼げるという理由だけでエンジニアを目指すのは全く否定しませんし、何も引っ掛かるところがないならむしろ目指すべき職業だと僕は思います。
ただ、悩みや不安があって思いとどまっている人は、働き方や給料・名誉・成長性などの外的要因に囚われず、今一度、自分の心に99%フォーカスして自分に尋ね続けてみると、何か見つかるかもしれません。
外的要因により、「IT業界に”いくべき”か」ではなく、「”いきたい”か」で考えてみると自分の答えに近づくかもしれません(クソ上からですみません)

にしても、時間・体力・精神力、多くの犠牲を払った1年間でしたが、それ以上に大きすぎる何かを手に入れた気がします。

さて、、、色々書いたらスッキリしたので、新たな目標に向かって勉強しますか!!

ところで、ORMとクエリビルダの違いって何でしたっけ?

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