プチ虐待のススメ

37【謝罪】

ABCは、コントをしたのは前章で述べたとおりだ。

手ごたえはあった。他にもウケていた芸人もいたが、これは決勝戦に進み、2本目のネタができるのではないかと内心期待した。

僕たちのネタを観たあとに、コント赤信号の渡辺正行さんが「面白かったです。非常に実力のあるコンビだと思いました」とコメントしてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。

だが、そこが嬉しさのピークだった。

決勝ラウンドには進めず、僕たちのABCは終わった。

審査員の中で超有名な作家は、「僕はさかなDVDやったけどな」と言ってくれたらしい。

嬉しかったし、僅差だったのだろうなと思った。

しかし、思い出を作るために出たわけではないので、結果は結果で、やっぱり少し、しょっぱかったかな。

長くなりすぎたら、自伝のバランスが悪いので、もう、はしょっていく。

僕ら、さかなDVDは、結局、大した結果を残せなかった。

M-1は、三回戦までが最高記録だった。

キングオブコントは、二年連続で準決勝まで進んだ。

あとは、ABC新人漫才コンクール。

この程度で終わった。

しかし、振り返ってみて、楽しかったし、人としても成長させてもらえた。

花岡に謝らないといけないことは、もう一つあって、それに関しては今の今まで、謝ってもいない。

時系列が前後するが、僕らは、ほんの一ヶ月だけ、よしもとではなく、松竹にいたことがあるのだ。

ほんの一ヶ月だけ、というのは理由がある。

順を追って話そう。

僕らは、前述した、プレステージというオーディションを受けていたが、ウケても合格させてもらえないという理不尽な目に遭い続けていた。

ファンや芸人が僕らにそう言うぐらいだから間違いはない。僕はプライドは高いが、結果をごまかすような姑息なマネはしない。

とにかく落とされ続けた。

そこで、二人の間に、なんとなく甘い考えがめぐった。

【移籍】である。

二人の間に、と書いたが、僕は甘かったが、花岡は、そうでもなく、しっかり照準を定めていたことが後から分かるのだ。

僕は、甘い考えだった。

こんなにウケるんやから、競争率が低いとこに行ったら余裕っしょ、と。花岡もそれに関しては、そういう気持ちがあったと思う。

しかし、ここからの覚悟というか考えが僕とは違う。

僕は舐めていた。

僕らは、本当によくウケていたので、松竹に移籍する時に、関係者とコネを作った。

養成所に入るには、授業料がいるのだが、一部免除してもらい、八万円ぐらいだったかな、それを払えばいいことになった。

僕は、イタさのピークの頃だったので、内心は、なんで無料ちゃうねん、と思っていた。

さて、移籍後である。

授業に出て、ネタを見せる。

一人、僕が大嫌いな講師がいて、そいつが誰を劇場に出すかを牛耳っていた。

全員のネタを観たあと、劇場に誰を出すかをその講師が発表する。

僕は、実力からしたら、出て当たり前と思っていた。

その講師は、全員のネタを見終わったあと、こう言った。

「10分後、発表するから」

そう言ってわざわざ別室にこもった。

お前一人しか観てないんやから、別室で話しあうわけでもあるまいし、なんでわざわざ別室にこもるんだ。

気持ち悪い奴だと思った。何をかっこつけてるんだか。

10分後、その講師は出てきた。ドッカと椅子に座り、口を開いた。

「うーん。うーん」

【うーん】なんてコンビいたっけ?と思った。

「うーん、えー、◯◯、△△、…」

うーん、はコンビ名じゃなかったのだ。何のための10分だったのだ。一体。

なぜ今、考えてるんだ。

「あー、他ネタやってるやつおったっけ?」

この発言を機に、芸人の一人が「僕、やってましたよぉ(笑)」とおどけてみせた。

「あれ、お前、いたっけ?」

「いや、いましたよぉ!」とつっこむそいつ。

殺意が湧くワタクシ。

「今日はこの四組しかネタやってなかったっけ?」ともう一度言い出す講師。

「いや、わたしら、やってましたよぉ!」

接待ツッコミをする女芸人。

「久しぶり!相変わらず乳ないなあ」
「いや、乳ないのほっといてくださーい!あと、久しぶりやないです!さっきネタやりました!」
「そうやっけ?」

こういうやりとりが続いた。

気がつけば、僕は帰っていた。

権力のいかづちを、あのウンコ野郎がペロペロ舐めまわすのをなぜ見てないといけないのだ。くだらない。オリンピックの招致じゃあるまいし。何様なんだ。

花岡は、僕が帰ったことのフォローなどをしてくれたらしいが、僕は一ミリもいうことを聞かず、そのまま松竹には、行かなくなった。

読者は、こう思うだろう。

「お前の八万円は、仕方ないとしても花岡くんの八万円は?」

知るかそんなもん(笑)。

というわけで、僕はお金を補てんすることもなく、記憶では、謝りさえしなかった。

「あんな、クソみたいな奴に媚びるぐらいなら死んだほうが、ましや!」と豪語していた。

今、思うが、百パーセント僕が悪いよね(笑)。

どの世界だってクソみたいな人間はいる。この程度のことを我慢できないやつは、何もなし得ない。そのへんのバランス感覚がむちゃくちゃで、相方をよく振り回した。

僕が、花岡のことを嫌いやけどギリギリのところで可愛いなどと書いたが向こうに言わせれば、逆だろう。

【自分勝手でムカつくけど、ギリギリのところで結果が出るから、やっていける】ってなもんだったと思う。

事実、松竹での一ヶ月ののちに、M-1の二回戦で、バカほど爆笑をとり、よしもとのプレステージにも受かり、なんとなく結果がついてきたのだから。

花岡、ごめんね(笑)。

僕が帰ったあとのフォローはさぞ、気まずかっただろう。お礼を言うことも、謝ることもないまま解散しちゃったけど、悪いことをしたと今では、本当に思っている。

あと、松竹の芸人さんは今も昔もちゃんと面白い。僕が考えていたような甘いことはなかったことは、あらためて書きとめておこう。


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