お金に対する価値観
さて、この章では、お金についての価値観について語ってみたいと思う。
よく、お金で幸せは買えるかどうかというテーマで、議論になることがある。僕のような厳密にものごとを考える数学大好き理系人間からすれば、ナンセンスな激論に終わることが多い。
みなさんは、どう思いますか?
お金で幸せは買えますか?
僕の答えなんですが、最も面白くない答えを言います。
その人と状況によります。
だって、そりゃ、そうでしょ。こんなもん一般化しようというのが無理があるんです。
貧困な国で、死を待つばかり、みたいな人は金で幸せは確かに買えるかもしれませんしね。
金はあっても心が満たされない人もたくさんいますし。
ただ、まあ、そういう厳密なことを言って終わるのもエンタメとしてどうなんだ、と思う部分があるので、語弊を恐れずざっくり言います。
金で幸せは買えません。
幸せモドキは手に入ります。
具体的な例を挙げますね。僕は、白鯨というBARで週に一度バーテンをしています。
すると、色んなお客さんの人間模様を目にすることができるわけです。
お金を使って、モテている風に見えているオッサン が、そのオッサン がいないところで、ボロカスに言われてたりもするわけです。
それは、その人に人間的な魅力がないからなんです。
でも、本人は、幸せでモテてると思っている。
裸の王様なんですが、こんな感じの幸せでいいなら、お金で買えますよ。
童話に出てくる“裸の王様”も、本人はそれなりに幸せですからね。オチでバラされるまでは。
「金で幸せが買える」と言うタイプの人は、キャバクラ行って、それなりに楽しめるひとです。めっちゃざっくり言ってますが。
僕はキャバクラとかでウソのチヤホヤをされても、全く楽しくないし、ああいうところは個人的には嫌いです。
「金で幸せが買える」派の人間は、金を儲けて、高級車に乗って、その高級車に群がる人間を、自分に群がる人間だと勘違いできる強さを持っているわけです。
かなりおめでたい人種と言えます。
まあ、これも一部分を取り上げただけで、別にキャバクラが悪いわけでもないし、割り切って楽しむ分には、何でも良いと思うのです。
要するに、これはこれ、現実は現実、と分かってるかどうかです。
格闘ゲームをやっても、喧嘩っ早くなるわけではないのと同じです。
割り切って楽しむものなんです。
しょせんは金持ごっこなんだと、思っていればいいんです。
そこを勘違いしてはいけない。そもそも自分のために頑張って金持ちになった人間が他人に偉そうにする理由はないはず。
自分がモテたいと思って、家で筋トレして、ムキムキになっても他人からしたら「頑張ってトレーニングしたんですね」で終わりである。
好き好んで勝手にやってることなのだ。
僕はお笑い芸人のハシクレでネタをやったりしてるが、好き好んで勝手にやってるので、売れなくても仕方ないし、売れたとしても、偉くもなんともない。
さて、僕自身のお金に対する価値観と、ヌアンス刑務所を制作するにあたってのお金の使い方は、次の章で述べさせていただきます。
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