【お笑い賞レースの評価基準のあやふやさ】
さてさて、お笑い賞レースのことなどについて、色々と分析していきたい。
ところで、その前に。
僕は、ヴァン・ダインの二十戒を読んで、「こいつガチやん」と思った。
これを読んでる読者のみなさんに「こいつ、ガチやん」とひかれるのはイヤなので、あそこまでの厳密性で書こうとは思わないので安心してほしい。
僕も芸人のはしくれである。
読み物としてのエンターテイメント性を少しは考える。
ヴァン・ダインといっしょにしないでほしい!
勝手に偉人を引用しておいて、この言い草なのは、売れない芸人だからこそ許されるシャレである。
推理小説などを書ける頭の良さを1パーセントでも、分けてほしいぐらいだ。
さておき、本題に入ろうと思うのだが、お笑いの世界の賞レースにおける評価のポイントとは何なのだろうか。
たとえば、である。
百メートル走のルールを変えよう、などとはあまりならない。少なくとも聞いたことはない。
ドーピングなどの問題はあるかもしれないが、その程度である。
理由は簡単である。評価のポイントがあやふやでないからだ。
タイムである。
この数字の大小だけで一喜一憂する世界なのである。
お笑いの賞レースの場合はどうか?
評価基準は面白さ?
この“面白さ”というものがやっかいであやふやなのである。
速度というものは、走る距離÷時間で簡単に求められ、この客観性や数字は、各自の主観により変動する性質のものではない。
しかし、お笑いは、見る側の主観やセンス、その場の空気、時代などにより、面白さは、変動するのである。
これに、一定の評価をくだす、というのだから、難しいわけである。
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