皮膚感覚の大切さ
皮膚感覚の大切さについて、話したいと思う。
ちょっと話題にもなったので、覚えておられる方もいるだろう。
昔、下記のようなアンケートがあった。ググってみただけなので、正確な数値かどうかわからないが、とにかく話題になったのは確かだ。
細かいことはともかく輪郭は以下の引用の通りだ。
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日本女子大の教授が2003年に行った調査だそうで、1500人の小学生に「人が死んだらどうなる?」という質問に対して、生き返ると答えた子供が22.3%、分からないと答えた子供は30.6%、生き返らないと答えた子供は、約30%。これが高学年になると30%が「生き返る」と答えた、そうだ。
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さて、この結果に、教育関係者、教育評論家なるものが、てんやわんやの大騒ぎをしたのである。
やれ、ゲームのやりすぎで命の尊さを感じる機会が減ってるだの、やれ地域社会のコミュニケーションが希薄になってるからだの、賢ぶって喋っている人たちや記事を書いている人たちがたくさんいた。
僕は、その頃、芸人仲間たちと喋ってて、「こんなもん、ふざけてアンケートにわざと『俺、生き返るのほうに丸をしたで〜』ってイキってる小学生男子とかがいっぱいおるだけやろ」ということで一致していた。
大人たちは、自分たちが子供の頃のことを、すっかり忘れてるのではないだろうか。
小学生の時に、学校にプロの演劇の人たちが来てくれたことを覚えている。そのワンシーンでのこと。ヘンゼルとグレーテルだった。
ヘンゼルだったか、グレーテルだったか、どっちかあやふやだが、オオカミの背中を押してカマドの中に、入れようとする時に、小学五年生の子供たちが、面白がって『後ろ!後ろやで!オオカミ〜』とやいのやいのと騒ぎたて、ヘンゼル(またはグレーテル)役の役者さんが『シーッ』とするシーンがあった。
芝居の中で、敵のほうを応援する。そういう悪ノリ。
子供なんて、そんなもんだ。
この【人は死んでも生き返る事件】などは、頭の良さや論理性で事象を捉えるというものではなく、皮膚感覚の大切さがわかる一例だと思う。
子供がふざけてるだけやで、と思うのか。
大変だ!ゲームを取り締まらなければ!とヒステリックに叫ぶのか。。。
僕はいつも思うのだが、どれだけ頭が良くて論理性が一見高いように見える人間であっても、皮膚感覚がズレている人はダメなのである。
なぜ、高学歴出身者で犯罪に走る人もいれば、世の中の役に立つ人もいるのだろう。
なぜ、高学歴出身者で、右の考えの人もいれば、左の考えの人もいたり、リベラルな人もいるのだろうか。
なぜ、低学歴で犯罪に走る人もいれば、世の中の役に立つ人もいるのだろう。
なぜ、低学歴で、右の考えの人もいれば、左の考えの人もいたり、リベラルな人もいるのだろうか。
論理性により意見が決まっていくようなものと、そうでないものがある。
数学などは、論理性により、正しさが決まっていくものなので、高学歴の人が正解を出す傾向にある。
(もちろん、そういうテストをしていた結果で良い大学に入っているのだから、当たり前ではあるし、順番を逆に述べていることにもなるのだが)
ところが、世の中のさまざまな事象の捉え方というものは、論理性が高くなれば解決するようなものばかりではない。相互関係がないとは言わないが、論理性によって、正しい捉え方に辿り着いてるとは到底言いがたい。
断っておくが、世の中の事象の捉え方のすべてを“皮膚感覚”という言葉で説明しようなどという雑な試みや意見ではないが、かなりウエイトを占めるということを言っておきたいのである。
さて、僕が皮膚感覚として、前からおかしいと思っているのが最近のNHKの朝ドラである。ここから最近のよしもとに関する報道についてなどにも、触れていくので、そういう話を芸人から聞きたくない人は課金しないほうがいいかもしれません。
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