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群青、君が見た空の軌跡 #34 時計

「ハンス、腕はどうだ?」

 二人が去って行ったのを確認して、ケガの状態を心配したジャンがハンスに声を掛けた。
「大丈夫!ここ数日で痛みはだいぶ引いてきたよ。モーリスさんにもらった痛み止めの効果もあると思うけど、10日前に比べたら随分状態は良くなってる。」

 ハンスは笑顔で答えたが、それが強がりなのか本当なのか、ジャンには判断がつかなかった。ただどちらにしろ今日のレースを辞退するという選択はハンスの中に一ミリもないことだけは確実だった。
 するとジルベールが真剣にハンスの目を見て忠告した。

「レース中に少しでも危険だと感じたらすぐに離脱しろよ。お前がパイロットになりたい気持ちより命の方が大事なことは明白だろ。判断を誤るなよ。」
 ハンスはジルベールの目を見返し、「わかってるよ。」としっかり頷いた。
「本当に大丈夫なの?この10日間は結局一度も飛行訓練はできてないし、感覚が狂ったりしてない?」
 やり取りを聞いても不安を拭えないイアンが、確かめるように訊いた。「それまで毎日散々訓練してきたから、嫌でも染み付いてるよ。」

 ハンスが笑って答えたとき、後ろからそっと制服の裾を引っ張られた。「…ハンス、これ。」
 振り向くとヘンリーが左手を差し出した。
「パイロットウォッチ。付けて。みんなで選んだんだ。」
 ハンスは驚いてその手に載せられているその時計を見た。
「え!?これ…俺に?」
 突然のことに戸惑いながらも、ヘンリーに促されてハンスはそれを手に取った。
 群青色の文字盤に銀で数字が刻まれた美しい時計だった。ナビタイマーや回転計算尺も付いた、パイロット専用の腕時計だ。

「なんだよ…、全員こんなことする柄じゃないだろ!?」
 困惑した様子のハンスに、クリスが柔らかく微笑んだ。
「これが最後になるかもだからな。…このレースでパイロットになるんだろ?」
 その言葉にハンスはハッとした。自分がパイロットになったらもうこのチームでレースに出ることはない。そうだ、これが最後になるかもしれないんだ…いや、最後にすると決めたのは自分だ。
 そんな当たり前のことがすっかり抜けていたことに唖然とした。

「…みんな…、ありがとう。」
 一瞬ごめん、と言おうとして、それは違うと思った。みんなは全部わかった上で本気で協力してくれたんだ。ハンスのその言葉に、全員が笑みをこぼした。

「絶対優勝しろよ!腕のケガなんて関係ない、だろ?お前が言ったんだからな!」
 エリックが勢いよくハンスの肩に手を掛けた。
「俺たちの努力を無駄にするなよ!!最高の一体を造ったんだ、文句は言わせないぜ。」
 同じようにアルバートが反対側からハンスの肩をバンっと叩くと、ハンスははっきりと答えた。
「わかってるよ!このために散々訓練してきたんだ。もちろん優勝する!」

 するとレイが注意するように口を開いた。
「飛行中の最大Gは8〜10Gにもなる。訓練してない普通の人間なら確実にブラックアウトするレベルだ。そんな中で骨にヒビの入った右腕がどうなるか…。もちろんイメージトレーニングは飽きる程やってると思うけど、想定外のことなんていくらでもあるよ。」
 言いながらレイは若干脅すような内容になってしまったことを後悔したのか、続けて言葉を付け足した。

「…でも、僕たちはハンスを信じてる。」
 普段なら決して口にしないようなセリフでも、ここには誰一人として否定する者はいない。ただひたすら走り続けるハンスを誰もができる限りサポートしたいと思った。そういう魅力がハンスの中にあることを知っていた。
 他にはない強い光で周りを強烈に照らし、かつ周りからも光を集める。ハンスの近くにいるとその眩しさに目が眩みそうになることがある。それでもどうしようもなく引き寄せられてしまうのは、太陽がなければ生きていけない自分たちの性質を変えられないのと同じだ。

「ありがとう。俺もみんなを信じてる。…あとは任せてくれ。」
 ハンスはずっと前から覚悟を決めていたから、もう何も怖いものは無かった。
 ずっと前ー、幼い頃飛行機に熱中し、父の姿に憧れ、パイロットになることを決めたときからずっと。
 それを阻む障害が何であれ、乗り越える以外の方法は自分にはない。だから何があったって平気だ。ただ真っ直ぐ突っ走ればいい。仲間と機体を信じて、誰よりも早く飛べばいいだけなんだ。

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