隙間は埋まらなくてヨロシ
英語をしゃべったり、翻訳するのが好きだ。
たまに、翻訳された本を読むのも好きだ。
私は日本語ネイティブだが英語ネイティブではない。
小説然り教科書然り、英語が翻訳された日本語は、とても正しいのだが、日常で使うにはなんだか少し違和感がある。それが、なんとなく心地よい。
言語と言語の「隙間」を感じられる文章が好きなのだ。
翻訳された文章とは、「英語」の磁石と「日本語」の磁石がピッとくっついているようなものだ。
しっかりくっついてるけど、バラバラにすることができる。
この磁力の強さが言語力なのかもしれないし、
その磁力によって英語でも日本語でもない「それらしいなにか」という第三勢力が生まれているような気もする。
ネイティブでない限り、どれだけ勉強したってきっと磁石と磁石が溶け合うことは無い。
でも翻訳が上手だと、ピタッと合わさっている。
下手だと、少し隙間が見える。
この感覚が、なんだか歯がゆくて、とっても面白いのだ。
近付いても決して交わらないもの
この前バイトでデザイン業務をしていると、同じ職場で分析のバイトをしている大学生がSNS投稿用の画像を見せてきた。
そのデザインはとても良かった。
canvaというサイトで作ったらしく、急いで見に行った。
ノンデザイナーが感覚的にスピーディーにデザインできるサイトらしい。
とっても便利で、今時なテンプレートが豊富に用意されている。
ちょ、
やめてくれよお。
げげげ芸大生の私の立場なくなっちゃうよお、ねえ。
でもそのデザインの形が既に目の前にある状態から始まるから、
私たちの思考とか意図が、その素敵なデザインに吸い寄せられるような気がした。
とってもおしゃれで「それっぽい」けど、
「本当にこれだったっけ?」という感覚は忘れてはならない。
今まで生きてきた自分の人生の経験から生まれるもの以外で
自分とぴったり溶け合うものなんてないんだから
隙間を心地よく感じながら、生きていきたいなあ
とか
とかとかね。
私も「アデュー」で毎回締めてるけど、アデューと薄情者との間には隙間どころかフルマラソンくらいの距離があんだから。
それを感じながら毎日note終わらせてんのよ。
ほな、アデュー!
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