Happy transfer

移動が好きだ
特にバスと電車。自転車も好き。
移動が好きというより、景色が流れてゆくのが好きだ。
好きな曲をかけて、ぼーっと、
電車ならキラキラ光る海が見えるし
バスならキラキラ光る葉っぱが見える
窓越しの世界はキラキラして美しい気がする
自転車は徒歩より早く流れてゆく景色と、風を感じられて気持ちいい
信号でとまってたら、ビュンビュン隣の車線の車に追い越される。
私たちが来た道を戻っていく車もあるし、でもそれは戻ってるんじゃなくて彼らにとって進んでるんだなあとか
え、人生か?
そんなもんだよなあ

今日の川は青くて、白い点がぽつぽつしている。
白鷺だ。
君たちはどう生きるかばりにバサバサ川から飛び上がってきた青鷺がバスに近づき、ランニングしてる人を追い越し、しかしバスはその2匹を置き去りにしてどんどん進んでゆく。

思えば昔から「どこかへ揺られる」ことが好きだった。
今はどこかへ行った、オレンジ色の車。
お父さんが運転して、お母さんが助手席でコーヒーを飲んでて、姉は本を読んで、私はぼーっと外を見て、いつの間にか眠っていた。

「あ、間違えた」
思ってもとまれないことがある。
止まらないことに心地よさを感じてしまうことがある。
旅の思い出には、しばしば間違えたことのほうが印象に残る。
というか私は絶望的に方向音痴だったので、旅では色んなことについて間違えざるを得なかった。
京都に行ったときも、金沢に行ったときも、チェコに行ったときも、
方向の全然違うバスに乗っていた。
はじめは「なんかちょっと違う気がするけど、多分これから挽回する。合ってる合ってる。」と思う。
でも、途中で「絶対間違えたわ」と思う瞬間がある。
そして、一日乗車券を持っていたので2〜3駅先まで行ってみる。
京都も金沢もプラハも、山の中に入っていった。
「どこだこれ」
「なんだあれ」
わくわく
車窓の外は、他人事だ。
他人事だから美しく映るのかなあ。
安全圏から知らない場所を垣間見るのは、楽しい。
思い返せば、安全圏からじゃなくても昔はよく知らないところに行って、迷って、帰ってこれず、泣く泣くベソをかいていた。
そういう人間なんだな〜
後先考えず好奇心のまま動くというか
せっかくやからこのまま行こうやというとことか
うまく言語化できねえ〜
言語化して就活に使いてえ〜
でもこんな性格の人間、御社にとってメリットはあるんですかね?御社ァ、
ゆらゆら揺られる電車の旅したい〜
中国電車で横断とかしたい〜
黄河みたい〜
麻婆豆腐食べるためだけに途中下車して、あとずっと電車の中でいいや

移動がたのちい!て意味でhappy transferというタイトルをつけたが(脳死)、私というHappyが移送されてるイメージにも思えて良い(すごくポジティブ)

あと音楽もいいよね!あのときあの瞬間を目を閉じて思い出す。バスが進むと、そのとき聞いてた音楽が頭の中に流れ出す。レコードに乗ってるみたいに、私とバスが揺れると音楽が聞こえるんだ。
詩的なことを言いたかったんだ。
でも終点に近付いてきたから、あとはのんびりバス道をぼーっとエンジョイしたいので推敲する暇もなくこれまで!

駅ついたらストゼロ買って鍋で〜す!
アデュ!


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