便利はSDGsぽくない

最近バイト先に入ってきた人は、七年間ハワイで飲食店を経営していたという。
私はもう既にこの人がとっても好きになっていた。
はきはきとしゃべるし分からないことを曖昧にしない、何より「困っていそうな人がいたらすぐに来て助ける」人だった。
1人でやるより二人や複数人で取り組む方が、うまくいくと体で分かっているような気がした。

この人とお昼、ぶらぶら歩きながら話していた。

「日本に帰ってきて思うのは、スーパーとかコンビニが大きくて物多すぎだなーって」
「へえ、ハワイはそんななんですか?」
「うん、なんかコンビニとかゴミみたいなのいっぱいあるじゃん?」
私が少し笑うと、意味が分かってないことを察しすかさずフォローを入れてくれる。
「例えばさ、お菓子コーナー行ったらズラァってめっちゃお菓子あるじゃん?ハワイはあんまないのよ、おたま買いに行ってもめっちゃあってびっくりした笑笑」
「おたま笑笑」
ずいぶん前にバイトをしていたloftのキッチンコーナーを思い出して笑った。便利グッズって本質的には全部いらないんだよなあ、
「ハワイのおやつってリンゴとかバナナとか持ってきて食べるのよね笑 あんまりコンビニでランチ買うとかはないかな〜」
「お昼もレストラン行くんですか?」
「んーそれもあるけど、サンドイッチ屋行ったり。パン食べたかったらパン屋行ったり。」
「日本も昔は商店街とかそういうかんじだったけど、でかいイオンにまとまっちゃいましたねえ」
「ハワイにもああいう大きいショッピングモールもあるんだけどね。」
「色んなおたまがあるってことは、日本は企業が多いのかなあ」
「あー、たしかに競合多いよね。」


この人、スーパーとかコンビニにあるものの一部「ゴミ」って判断してんやなあ。
ニコニコしてるけど自分の軸を持ってるなあ。

たくさん物があってたくさん選択肢があるって嬉しいことだけどねえ

Loftの便利グッズが本質的に全部いらないものと言うのであれば

「便利」そのもののコンビニエンスストアも本質的にはいらないものですかね

コンビニに行かなくても全部揃うからね


でも


なくなったら困るなああ

でも

たしかにコンビニは、物がある「箱」でしかない。
SDGsのトレンドとしては、「生産者の顔が見える」「商品を背景から好きになる」というようなものがある。
コンビニはSDGs社会にとって必要でない存在ですか?

と言うことで、私は「コンビニを経営している人たち」の顔が見えていないということが分かる。



大量生産、機械化によって見えなくなった社会に生きる人間を、繋がりが希薄になった人間関係を取り戻そうというような、全体の動きがある。
気がする。
そうなったら、素敵な社会だなと思う。

歴史は繰り返すと言う。

理想のように思えるけど、人間関係まる見えの社会でも問題ってたくさんあんだろな〜
江戸時代の人とかに会って聞きたいね。
今の生活水準にびっくりするかな。
人間の変わらない本質に笑うかな。


エへへへへ〜

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