未熟者の小さな野望
外に出ると、自分の未熟さを思い知らされる。
だから己の殻に引きこもってばかりいないで、外に出て何かしら刺激を受けることは大切だ。
ふむ
今日は久しぶりに大学へ行き、色々な人の作品を見た。売れる作品。素敵な作品。
やっぱり自分はだめだなあ
引きこもってるとなんだか自分はなんでもできるような気がしてしまう。世の中を舐めくさってしまう。ペロペロしちゃう。
結局熱意によって人は動かされる。熱意をいかに伝えるかという演出にも工夫は必要だけど、熱意のない片手間な作品で満足してはやっぱりだめだ。売れないし、売れたとしてもなにか満たされない。「売る」「買う」は人の想いによる取引だなと思う。
私も頑張らなくっちゃ。
そしてダンスとかバンドとか、キラキラしている学生たち。素敵だ。芸大だからといって作品で賞をとれなくたって、こういったところで頑張っている人はカッコいい。
自分らしく、自分に自身を持って生きること、
それができたらどんなに人生生きやすいかと思うが、簡単じゃないからこうやって悩めるんだろう。
そしてこの前会った人からしっかりアカウントをブロックされていた。ブ、ブロックしなくてもいいじゃん…と思ったがそういうことだ。もっといい人きっといるよ。
すごい優しくて面白い人で一緒にいて楽しかったけど、相手がそう思わなかったのなら私は彼に同じような印象を与えられなかったということだ。ふむ、たしかに自覚はある。彼の優しさに甘えてちょっと偉そうな節があったかもしれない。姿勢も悪かった。彼みたいにもっと人の話を聞いて笑いに変えれていたら違ったかな。
いい人ってそれだけ「なにが悪いか」理解してるし我慢してるのだとおもう。いい人ほどなめられやすい。私もなめやすい。でもそうゆう人にほどちゃんと気を遣って幸せになってもらわないと、だめだなあ、平等に分け合わないとやっぱりお互いに幸せになることはできないと私は思うよ。
私ってば作品は振るわないしセンスは無いし一緒に楽しく遊んだ人にはぬるっとブロックされるし顔もかわいくないけど
この年でちゃんと負け犬側にいるのが、後々の人生において大切なんじゃないかと思ったり。
そして私には大好きで頼れる友達と先輩たちと、愛してくれる家族がいる。
最高じゃんか。
これ以上のことないや。
人生に精神的なゴールなんてものはきっとないんだろうね。
これからもいろんな人とお話して、大好きな人たちを大切にして、豊かに生きていきたいや。
本日は進撃の巨人を見て、エレンの最後を見届けようか。
未熟だ。だけど支えてくれる人がいる。
熟せるように頑張ろうか。
そしてまた他の誰かを支えられる人になろう。
誰かが望んでいることじゃなく
これこそが等身大の私が望んでいる小さな野望だ。