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語彙力がない、という日記

どうも???です。初めまして。

はい。「その名前はなんだ」と思った方、いますよね。
僕もそう思います。これ、約3年前にYouTubeを始める際につけたネットネームなんですけど、結構後悔してます。マジでなんでこんな名前にしちゃったんだ。

そんな嘆きは置いといて、本題に移りましょうか。



語彙力、足りてますか?



どうですか?みなさん。

僕は足りてません。

多分、この文章から感じ取れる人は感じ取れるでしょう。
僕は語彙力が足りない。
本当に苦手です。今こうやって文字を打ってる時も「この文字数だけでちゃんと伝わってるのかな」とか思ってます。伝わってますかね…?

語彙力というのは物凄く大雑把に、物凄く簡単に言ってしまえば「使える言葉の多さ」みたいな事です。
僕は使える言葉が非常に少ない。つまり、語彙力がない。

僕が語彙力という言葉を初めて知ったのはTwitterでした。
バズった漫画ツイのリプ欄に「すごい(語彙力皆無)」みたいなのがあって、そこから覚えました。
この文面からなんとなーく読み取れる、「すごい」は語彙力がない、という事と、使われている漢字から推測して「使える言葉の多さ」というこだと思いました。
以後、僕は語彙力の事を「使える言葉の多さ」として使ってきました。

ある日、僕の動画にコメントが付きました。
コメントが来たことが嬉しくて、すぐに確認しに行きました。
すると、そのコメントは「ぴえん」という一言だけでした。


は?え???


意味が分かりませんでした。
「ぴえん」という単語は知ってました。若者言葉で、悲しい時の言葉。前に、Twitterで流れてきたツイートの内容から意味を把握しました。
しかし、その動画には僕が思うに「ぴえん」と思うシーンは無かったし、どこが「ぴえん」だったかは言われてません。

返信に困りました。
僕はそこまで登録者が多い訳ではなく、コメントも全て返信しようと思えるくらいの多さです。
だから、コメントを返す癖があったから返そうと思っていましたが、意味が分からなく、苦肉の策で何も文章もないまま、絵文字だけで返信しました。

しかし一体なんなんだったんだ、あのコメントは。
そんな事を思ってその日は何事もなく終わりました。


しかし、今。
ふと、それが気になっていました。
なぜ、そんな意味のわからないコメントをしてきたのかということに。

もしかしたら僕が語彙力が無かっただけかもしれない。
今、冷静になってそんな事を思いました。

しかし、ふと僕の中にこんな仮説が生まれました。


『僕と、コメントを送ってきた人の「ぴえん」って違うのか?』


1度最初から整理しよう。
僕の動画で「ぴえん」と感じてそうコメントを送り、僕が「ぴえん」というコメントを読み、疑問を感じた。

この流れは分かる。
では、その前はどうだろうか?

僕はTwitterで「ぴえん」という単語を見つけて、そのツイートの文面から「ぴえん」の意味を知った。

ここに問題があるのではないかと思った。

そうだ。
僕は「ぴえん」という単語をツイートから察して理解した気になって、それ以上を調べなかった。知ろうとしなかった。

もしかしたら、「ぴえん」にそれ以外の意味があるのかもしれない。
僕はそこをぬかったのだ。
よし、そうなったら1度調べてみよう。
何かが分かるかもしれない。次来た「びえん」コメントにはちゃんと答えられるかもしれない。
よし、検索だ!!


は?え???


はい、今検索してきましたよ。
悲しいって意味しかねぇじゃねえかよ!!!!!
おばか!!!!意味わからんわ!!!!
なんだあのコメント!!!!!!

すみません、取り乱しました。
Wikipediaを見てきましたが、全くもって僕の解釈で合ってました。
悲しい言葉に変わりはないようです。

じゃああのコメントはなんなんだ。
僕はまた仮説からまた別の理由を考えることにしました。


そしたら、もう1つ思いつきました。
「ぴえん」というコメントを送ってくれた人は、Twitterで「ぴえん」という言葉を知り、その意味の解釈が僕とは違ったのではないかということです。

「ぴえん」は流行語になるほど有名なワード。
色んな人が「ぴえん」を使うわけです。
だからその人は僕とは違う「ぴえん」を使ったツイートを見かけてそこから意味を読み取ったのではないかと思いました。

もしもそのツイートの内容が僕が見た「ぴえん」ツイートより「ぴえん」の意味を間違えさせるミスリード(あえての誤用とか)があってそれで勘違いしたのではないか。
そんな事を思いました。

こればかりは確かめようがないです。
コメントを送ってくれた人の居場所なんて知りませんし、ましてやその人が「ぴえん」を覚えた日のことを覚えている可能性は100%でも無いですし。

でも、こういうことがありえるのではないか。

もしこのまま、コメントを送ってくれた人がそのまま自分が思った解釈で「ぴえん」を使い続けたら誤用で、他の人には伝わらないし、もしかしたらそこから「ぴえん」を知って、そこから解釈してまた違う解釈で「ぴえん」を使い始めるかもしれません。

そうやってそのコメントを送ってくれた人も間違った「ぴえん」を送ってきたのかもしれないですね。

僕たちは今、Twitterで会話ができます。
Twitterは数多くの人、様々な職業の人、十人十色の人生を歩んだ人たちがいます。
みんなが使う言葉、語彙力というのは千差万別で、僕たちの知らない言葉を使ったり、僕たちとは違った解釈の言葉がいっぱいいます。

もしもそういう人と会話して、そこで使う言葉が知らなくて、文章から読み取れるかもしれません。
でも、それが正しいと思うとダメかもしれません。
知らない言葉はしっかり調べて、初めて意味を知って、そこで初めて意味を知ったことに、語彙力が増えたことにしよう。


さっきの仮説を組み立てて、そう思いました。
僕もTwitterの文面だけで解釈しがちだから、自分で自分を戒めるように思いました。

という日記でした。
もしかしたら、この日記に使った言葉も間違った解釈で使っているかもしれません。怖いな。
でも最初に「僕は語彙力が低い」って言ったしな。
多少は許されるだろう。
いやでも、そもそも語彙力の意味を間違えていたらどうしよう。
めちゃくちゃ恥ずかしいな。
合ってたらいいな。検索しておこう。


なんか!!!!微妙に間違ってる気がする!!!!!
はずっ!!!!!!!!

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