正正正と、女王蜂とわたし

わたしが女王蜂と出会ったのは、中学1年生の冬、12年前のことだ。
(出会った経緯については以前「鉄壁」の記事に書いたので割愛。)


もう人生の半分近く、女王蜂をBGMとして生きてきた。人生で最も多感な、人格の大部分が形成された時期を女王蜂にお供していただいたので、"女王蜂のファン"というアイデンティティがしっかりと確立している。

そんな、大切で大好きなバンド・女王蜂の結成15周年記念ライブ、正正正に行ってきた。

人生を賭けて、胸を張って大好きだと言い切れるバンドの15周年記念公演を、アヴちゃんの肉声が届くアリーナ真ん中ブロック6列目というとんでもない席で観戦できたことはとっても嬉しかった。その素晴らしさについては、同じ空間にいた方々が遺されているのでここでは割愛して。

にしても近すぎたな

最後の最後に、アヴちゃんがマイクを通さず客席に放った「まだまだいくで」の言葉を受けて、帰りの電車でなぜかふと、もし明日解散が発表されてもわたしは大丈夫だろうな、と思った。
こんなに大切で大好きな、アイデンティティの一部ともなっているバンドだけれど。解散しても、多少の寂しさはあれどすんなり受け入れられる気がした。

そこから、なぜそんなふうに思うのか、そんなことが許されるのか?などと考え始めて今に至る。


結論、わたしにとっての女王蜂は"強化アイテム(SSR)"なんだと思う。
女王蜂から発されるものの中から、必要なものを吸収して、自分の一部にすることで自分を強化する。そんな感覚。


こういう時によく使われるキーワード
【憧れ、リスペクト、影響を受けた、救われた】
もちろんすべて無くはないけど、どれもあんまりしっくりこない。

言うまでもなく、女王蜂はかっこいい。アヴちゃんも、やしちゃんも、ばりちゃんも、個々で見てもかっこいい。

この気持ちはきっと"憧れ"で、"リスペクト"でもある。少なからず"影響を受け"ているはずだし、前述の記事に書いた通り「鉄壁」という曲に人生丸ごと"救われ"てもいる。

このすべてをひっくるめて"自分の一部"なんだろうね。だから、どれか一つを抜き出してもしっくりこないんだろうね。


これまでの十数年、女王蜂から受け取ったもので強くしてもらったから、NレートのわたしもSRと張れるくらいの強さになってきたのかもしれない。

自分の一部、つまりもはや自分だからこそ、解散されても失うものがないんだろうな。新曲出なくなって・ライブなくなって悲しい〜;;くらいで。(一度活動休止があったので免疫があるってのもある)


という気づきを得たところで変わることなんか何もないけど、改めて、女王蜂と出会えて良かったなと思う。

女王蜂を見つけて、ちゃんとCDを借りて聴いて、ビビりながらもライブに行ったかつてのわたしのこと、めっちゃくちゃ褒めてあげたい。ありがとうね。


おしまい!

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