Fukushima 50と再エネ政策を思う

アイコンを変えてみた。

今日はぎりぎり正午前に起床。盆栽の手入れをちょっとして、おひるごはんを食べてから机に向かう。

午後はRStudioとブラウザを行ったり来たりしながら作業しつつ、SNSとかを巡回して夕方になっていた。今日は作業はあまり進まず、どちらかというと統計の手法そのものから勉強をし直して打開を図っていた。週末だからどうしても気が緩むけど、まぁ緩む日もないとメンタルも持たないからと、まったり過ごしていた。

夕方からは、Amazon Primeで積み映画を観ることに。

まずは、今年の春に公開になったFukushima 50。ネットの評判を見たり(賛否いろいろあるようだ)予告編をYou Tubeで見て気になっていたので、映画を観に行ったようなものと考えて思い切って課金して観ることに。

福島第一原発事故当時の現場を描いた作品なので、週末に覚悟を決めてからでないと視聴できなかった。主役である東電や現場作業員の心情に重きが置かれていて、現場の描写がとにかく生々しい作品だったと思う。もちろんこれはドラマである以上、伝え方にバイアスがかかっているのは前提としつつであるが、あの当時(2011年〜2014年くらい)の世間の空気感を一気に思い出させてくれた。
なお、エンドロールに流れる発電所建設当時の動画は、You Tubeでおそらく同一のものが公開されている。こちらも併せて視聴することをおすすめしたい(私の公開Scrapboxをご存知の方は、そっちに貼ってあるのでぜひ参照されたい)。

当時のこと、そして今につながる諸々を思い出して書き出したくなったので書き留めておくことにする。なおこれは完全なる私見で勉強不足の面もあると思われるし、誤解や誤りが含まれていたらごめんなさい。

あれからもう9年ちょっとが経った。世の多くの人々はもう気にしていないと思うけど、たとえば農作物の放射能被害(&風評被害)対応は今も続いていると聞くし、いわずもがな廃炉作業も進んでいる。今もF1は終わっていない。

あの事故が契機になって、日本のエネルギー政策は大きく変わってしまった。当時既に動いていた再生可能エネルギー政策は一気に加速し、FIT法(再生可能エネルギー固定買取制度)が施行、そしてこれが引き金となって、地方の山林を狙った太陽光不動産投資業者が跋扈し、メガソーラーをはじめとする森林の乱開発を招く結果になった。
ただ、再エネによる国内電力供給率が確か20%?くらいまで占めるようになったことを思えば、再エネ自体の必要性はもはや疑う余地はない。すなわち全てが全てこうした開発行為を反対するわけにいかない以上、科学的知見に基づいた土地利用計画を立ててること、その中で発電施設を作っても支障ない場所・自然環境を保護すべき場所をゾーニングして決める手法や、関係者間で合意形成を図る手法を提示することは、今の研究者や行政にとって急務であろう。

また国際レベルで言えば、これまで原子力で賄っていた電力供給を石炭火力で賄わざるをえなくなり、就任当時の某環境大臣が国際会合の場で答えに窮したのは記憶に新しいところである。石炭火力問題は私がフォローしきれていないので割愛する。(知っておかねばいけないなぁ)

原子力発電も、事故以前は”CO2を排出しないクリーンエネルギー。資源小国である日本には必要不可欠”とずっと言われてきた。この数年の再エネを巡る動向を眺めていると、そこはかとなく似たものを感じる。
どんな技術にも致命的な欠点があって、前述のようにリスクとベネフィットを天秤にかけて議論すべきだと思うのだ。
どうしても自然保護問題というと熱くなりがちであるが、地球規模・国家レベル・地域レベルのそれぞれを見渡して、なにが最善なのか、いろんな立場の人々が冷静に話し合える社会に近づいていけたらと切に願う。