チバさん

ミュージシャンの訃報が続き、同年代がそうなるとなおさら辛い今日この頃でございます。

メジャーデビュー前のミッシェルのライブを見たことがあるモノとして、ファンの皆さんが知ってもいいかなということを、自分の記憶整理も兼ねて記しておこうかな、と。
チバさんの話とはほぼ関係ないかもしれませんが、ちょっとは関係あるのでよろしかったらご一読くださいませ。

ミッシェルの出会いはその前にきゅーちゃんの当時のバンドを友達から紹介されるところからになります。。。

確か私が短大の2年の時(1992年秋)、友達が学園祭でクラブ枠(軽音部的な)で呼ぶバンドを友達が手配してくれており、私はアマチュアバンドにそんなに興味がない感じでいたのだが、その友達が「〇子ちゃん(私)が好きそうなバンドがあったので、声かけてみたよー」とのこと。
TVKのアマニュアバンド番組があったのかな?本牧がどうとか言ってたかな…。
学園際に読んで欲しいバンドがアピールするような番組があったのかな?
なんかそういう伝手だったかと。

先輩からの習わしで、だいたい川口モンスターを本拠地としてそうなHR/HMなバンドばかりの中、その友達が紹介してくれた、きゅーちゃん(当時からきゅーちゃん呼ばわりだった)のバンドであるクラウンが出てくれることになり、事前にボーカルさんと他のHRバンドと事前顔合わせ飲み会に連れていかれたんだったかな?
先輩たちの知り合いは大概HR/HMため(苦手)全く興味がなかったので、その顔合わせ飲み会に行くことに気が進まなかった。
しかし、せっかく〇子ちゃん(私)のために呼んでやったんだからとのことで、断るわけにいかず参加した。
で、当日はその私の気に入るよと宣言されていたバンドである、クラウンのボーカルさんが現れ話してみると、音楽の趣味はだいたい同じだったっけ。
期待していなかった分、とても嬉しかったと記憶している。
しかもイケメンでファッションも合格だった。(ちょいモッズ系かなみたいな)
そのボーカルさんは当時人気があったMano Negraやレッチリ、Fishboneなどのミクスチャー系をはじめ、PUNK系はGenerationXやBuzzcocks、Stiff Little Fingersも好きと言っていたっけか。
ちなみに、クラウンの音楽性みたいなものは、当時の大分類的にはミクスチャーと言っていいのかな。。。当時としては、割と普通といった印象だった。(何を以て普通とするか難しいところだが)

で、学園祭に無事来ていただいて小さな教室でライブをやっていただいたのかな。
終わってから、高円寺のカラオケ屋(現、南口のカラオケ館だった記憶)でオールナイトした記憶があるのだが、そこできゅーちゃんは「絶対にプロになるんだ」と熱く話していた。

その学園祭の夜だったか、別の日だったか忘れたが、高円寺のライブバーみたいなところにクラウンに来ていただいて、大人数のカオス状態のところで大騒ぎした記憶もうっすらあるな…。

で、そこでやっとミッシェルの名前が出てくるのだが、きゅーちゃんは「もう1つミッシェルガンエレファントっていうバンドやってて、そっちの方が本気なんだよね」だと。
あれ、クラウンの他のメンバーが席を外していたのか、クラウンのメンバーもそれを承知だったのか知らないけど、かなり本気度がうかがえる感じで語っていたと記憶している。(クラウンは遊びとか繋ぎとかで、メンバーは仲良さげだった)

クラウンのメンバーはみんなまともなお坊ちゃまだったので、私はそんなバンドブームも下火な昨今、いばらの道に行かなくても、普通の社会人として十分やっていけそうな人柄なのに…と思いながら聞いていた。
普通の会話が普通にできる人たちというか。
女子大だったため、他にまともな会話ができる男が皆無のところにいたので、彼らの存在はなんかホッとするなと思っていた。
某高偏差値大学のロックサークルの人はちょっと堅苦しいし、労働者PUNKくんたちも正直しんどかった。

きゅーちゃんの音楽の趣味を聞いたところ、誰でも好きそうなRCとかめんたいロックみたいな、そういう普通のものが好きと言っており、今の世の中、音楽業界でこんな普通でやっていけると思う気持ちが理解できなかった。
当時私は某外資ショップでバイトしていたため、ロックに対して鼻息が荒かったので、そう感じたのかもしれない。
今思えば、当時は私も未熟だったためか色々知らなきゃいけないと思っていたので、そういう普通さが最強なんだというのを年取ってから思い知ることになったわけなのだが。

ボーカルさんは医者の息子でお堅い家柄だったので、バンドで許されるわけがないと思っていたんだろう。
そのボーカルさんは、お父様から「とにかく大学だけは卒業しなさい」(偉そうな言いっぷりのモノマネで)と言われていると言ってたかな。
当時の感覚としては、お堅い家庭育ちはバンドなんてもってのほかであるのが当たり前だったんだろうな…。
ちなみに、クラウンは私たちより学年は2つ上(明治学院大の4年)だけど、歳は3つ4つ上で、浪人やら留年やらだった。
東京に出てきている大学生の親って随分と親が甘いな…と思った。

私は学園祭実行委員の手伝いとクラブの方を掛け持ちしており、実行委員の方は兼ロンドンナイトなどに一緒に行く友達だったのだが、その飲み会にいたのかな?(記憶が定かではないのだが)
そのロンドンナイトに行く子の方がクラウンを割と気に入ってくれたので、その後もその友達と一緒に、クラウンのライブに何度か見に行ってあげた。
当時特にクラウンにファンがいない様子だったので、私のロンナイ友達を誘って行ってあげてた感じから始まって、普通にファンみたいな感じになっていた。

底の見えないよーおーなーななんとかな緑色(鉛色だっけ?)のー…川が流れてる~♪みたいな歌詞だった。
一節覚えているってことは、何度か見に行ったのであろう。

そのライブ後にも一緒に飲みにいったりして、そこにミッシェルの上野さんが彼女を連れてきていたことがあり、彼女さんが上野さんととても似ていて、色白面長すっきり美人で、「似てますねー」と言った記憶がある。
とてもお似合いってこういうことなんだな、と。

クラウンのギターの人は、「俺、最近黒い音楽しか興味ない」と話していた。
確かに、カッティングにワウペダルを効かせたようなファンキーといえばそんな感じだった。

ベースの人(Sさん)はとても地味だった印象で(よく言えば、とても失礼がない感じいい人)で、その人も別のバンドでメジャーデビューしてたというのは、かなり後になってから知った。(普通が最強説!)

あと、覚えていることは、ボーカルさんときゅーちゃんが広尾のカフェでバイトしており、2人は(ライブだけでなくバイト先にも)キテキテ~と言っており、友達は職場が近かったのか、律儀にそのカフェに行っており、私は友達から「Kくんときゅーちゃん、ちゃんと働いてたし、ケーキも美味しかったよ~」と報告は受けていた。

なんだか仲介人は私のはずなのだが、友達の方が積極的に彼らと親しくしていた気がする。
電話した記憶が一切ないが、なんかライブに行ってた。不思議な時代…。
会った時に次の予定を聞いて、また行って次の予定を聞いての繰り返しだったのかも。

で、クラウンのライブに行く度に、きゅーちゃんはミッシェルのライブにもキテキテ~と宣伝しており、ある日Theピーズと対バンすることになった。
私の友達みんなピーズが好きなので、そんなメジャーバンドとの対バンできるまでに成長したミッシェルの出世を祝福し、絶対行くよ~ということになった。

そして当時小滝橋通りにあった時代の新宿ロフトに見に行った。

はい、ここでやっとチバさん登場です。

いったん保存します。

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