私の生きる意味
こんにちは。台風もくることですし、久しぶりに土日引きこもります。(引きこもり大好き人間なので全く苦じゃない)
私は「生きる理由」がわからないまま、生きてます。言い方を変えると「死ぬ理由がないから生きている」というモチベーションで日々生きてます。
私の中で人生は
辛いこと>>>>>幸せなこと
でできている、と思っております。というか、私はそうです。
最近自分について考えたときに、私は「楽しい」と思えることが他の人に比べて極端に少ないのだと思います。
この前まで大学生だったので、大学の時で言うと、皆が集う飲み会、あるじゃないですか。大学生がよく行う、あの中身のない、意味のない集い。
私はあれが大嫌いでした(なのでほとんど参加もしませんでしたが)
理由は、
中身のなさすぎる、何も得られないおしゃべりや集まりだから。
私は人間関係において、ある自分の中の領域があります。
極めて少ない「友人枠」
一応知ってはいるけど特になんの感情も抱かない「知人枠」
その他、自分の世界にもいない「無感情枠」
これを一度陽キャの男子学生に言ったとき、引かれたのを今でも覚えています。
そしてこの定義の「知人枠」「無感情枠」は、私にとって全く興味がありません。冷たい人間と思うでしょう。そうです、冷たい人間なんです。
つまり、大学生の飲み会はその枠の人々の集いということになるんですね。というと、全く楽しいは思えなかったんですね。
しかし普通の感情をもった普通の女の子や男の子はそもそもそこまで考えないであの空間に普通にいれるんです。ですから、私は心から尊敬していました。私には到底無理なことでしたので。
この出来事は一種の例ですが、他であげると、例えば
「恋愛」
普通に恋愛を楽しんでる人と出会うと、「人にそんなに興味があって羨ましい」と思ってしまいます。
そもそも人に興味がないので恋愛なんてもってのほかです。逆に、相手の方から私に関心を持っていただいても、「こんな私のどこに興味があるんだろう」と感じ、「こんな私といてもつまらないと思うぞ?」と思って突き放してしまいます。
これは自己肯定感にもつながってくると思いますよね(この話も後日書きたいと思います)
そんな私が唯一好きなことが
海外旅行
です。これについて語ると永遠と語れます。しかし、今このような状況で次いつ行けるかわからない。そもそも学生の時ほど自由に行ける時間はない。今までは旅行のために生きてきたといっても過言ではないので、それがなくなって、将来への希望も期待もない。
スキなんですよね、現地で出会う外国人と話してみたり、日本にいるだけじゃ絶対見れなかった景色を見たり、空気を吸ったり、突然の出来事が起こったり。
今までで最も思い入れのある海外旅行は、ベトナムとカンボジアへ一人旅に行ったことです(これも後日書きますね)
その為生きる理由が全くわからないまま、今を生きてます。
しかし昔から私がこのような性格だったわけではありません。もちろん、性格なんて成長とともに皆変わるものだと思いますが、私は「全く別人格になった」というほど変わりました。
次回はこの私の性格を変えたエピソードについて書きますね。
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