厳島・広島の失われた接点の記憶をたどる

「場所」でみる平和式典と管絃祭

2016年-2017年資料館付近の発掘調査が行われた。 ピロティーの足元からは、被爆当時の遺構が凍結保存されたかのような、そのままの形で発掘された。

 ピースセンターコンペ案において丹下健三は平和大通りに対して十字を切るような形の原爆ドームにセンタリングされた軸線を計画 し、原爆ドームが保存され、平和と慰霊の公園として整備される大きなきっかけとなったことが思い起こされる。

 一方で、被爆以前の街並みの記録をひも解くと、この軸が交わる接点の現在は祈りの泉の噴水がある場所。当時の地名で材木町の誓 願寺の境内ひょうたん池のほとりにはかつて厳島大明神が存在した。 芸州厳島名所図会にはその場所で行われた管弦祭の市立ての賑わいや、広島から厳島へ向かう御供船の様子が描かれている。 お供船を見物するために集まった群衆によって京橋が落ちたこともあり、お供船が禁止されたという記録も残っている。 このような賑わいは原爆が投下される前の昭和初期までは確かに存在したようである。 

お供船

芸州厳島名所図会(1842年)管絃祭前夜 廣島本川の賑わい

厳島大明神

「時間」でみる平和式典と管絃祭

広島世界遺産原爆ドームのある平和公園では平和記念式典の行われる8月6日、もう一つの世界遺産である嚴島神社の最大の神事管絃祭は旧暦6月17日、2020年はこの二つが一致する稀有な年でもあります。大よそ19年サイクルで旧暦の6月17日は8月6日になります。

かつて同じ時期に、宮島をはじめ旧広島下城に満ちたエネルギーの正体、またそれを打ち消した原因の一つでもある存在、それぞれ世界遺産となり、不思議な関係性とも感じさせてくれました。

今日、宮島でも管絃祭が知らない人が増え、昔の資料を見ると、とても寂しく感じてしまいます。原爆の悲劇を語ることがとても大事であることは異議ありませんが、宮島ないし瀬戸内に重要な影響力を及ぼした管絃祭を盛り上げるために何かをやりたい気持ち、より強くなりました。

参考資料:

誓願寺のHP  http://www.hiroshima-seiganji.com/history/index.html , http://www.hiroshima-seiganji.com/news/20170306.html

中国新聞 広島メディアセンターのHP http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?page_id=25623

「広島管絃祭の変遷と意義-忘れ去られた広島の記憶-」中道豪一

「旧広島市域における嚴島管絃祭にまつわる祭礼行事について-近代における高ちょうちん・火振り・御供船の様相と新祭礼行事の発生-」中道豪一




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