広島管絃祭

広島3大祭りといえば、5月のとうかさん(圓龍寺稲荷大明神)、11月のえべっさん(胡子神社)、と住吉神社の例祭「すみよしさん」。今日の規模をみると、とうかさんとえべっさんはずっと上ですが、すみよしさんは他二社と肩並べて遜色のない祭礼であった事実を逃してはならない。

その理由は旧暦6月17日斎行される嚴島神社の管絃祭を祝う状況の中で生まれ育ち、営まれた神事だからである。原爆投下前の旧暦6月17日とその前後の期間は、旧広島市城の各所で管絃祭に関する様々な祭礼行事が行われ、多くの人でにぎわっていた。そしてその流れを受ける形として広島管絃祭が生まれたのです。

広島管絃祭(旧暦6月15日)の誕生

前の記事「管絃祭の御供船」の中に、江戸後期から明治にかけて「御供船の衰退」の歴史背景を紹介しました。明治44年、かつての賑わいを取り戻すかのような祭礼行事が誕生した。それが広島管絃祭と玉取祭です。

広島管絃祭の賑わい

今日ネットで「広島管絃祭」or「すみよしさん」を検索してみたら、紹介はほんのわずかで、とても寂しいものでした。

参考資料「広島管絃祭の変遷と意義」(中道豪一)の紹介によると、「一時とは言え、船渡御と大規模な陸上渡御、すなわち神輿を核とした市民による水のパレードと陸のパレードともいえる賑わいが現出し、広島の町を盛り上げた」。また広島管絃祭を盛り上げるために、「囃船が単に音楽を演奏し舞を披露するだけでなく、他の囃船と勝負するような形となり、周囲の人が観賞できるように工夫されてていた」。「住吉神社の境内神楽団を招き十二神祇など舞われるほかニワカや住吉踊りが披露され、祝賀の花火がうちあげられるなどきわめて多くの人が集まれた」。「広島管絃祭を祝した市民が市内の河川にボートを浮かべている風景も確認された」。

広島管絃祭と平和式典

広島管絃祭の祭日は旧暦であるから、新暦における日付は毎年異なるが、この旧暦6月15日前後の期間は、年によっては8月初旬にあたる。つまり原子爆弾の投下された8月6日と重なるか、それに近い期間にあたります。

中道豪一による下記の言葉がずっと心に響かれます。「もし歴史的集積されたエネルギーが、その正体を意識されることなく、原爆の悲劇を語ることのみに注力されているとすると、これほど皮肉なことはない。なぜならば現代の広島の人は、かつて同じ時期に町々に満ちたエネルギーの正体を知らず、それを打ち消した存在にその力を注いていることになるからである。原子爆弾の惨劇を語り継ぐことは否定するのではない。それのみに注力し、広島の町に培われた歴史の蓄積や連続性を見失うことに注意を促しているのである」。

瀬戸内海沿岸地域の管絃祭

参考資料大久保聖子の研究によりますと、嚴島神社管絃祭以外、瀬戸内海沿岸、広島管絃祭を含め24カ所では管絃祭が行われています。雅楽を奏しながら海上渡御をする御座船の形態だけではなく、漕船や御供船も含めた管絃祭全体から影響を受けて伝播し、地域の民族を取り入れた祭りに仕立てられて継承されてきた。管絃祭はさらに日本海に抜けた島根県益田市、山口県下松市、宇部市、愛姫県でも行われているそうです。

参考資料:

「厳島神社管絃祭御供船をめぐって-広島城下町祭礼断章-」西村晃

「広島管絃祭の変遷と意義-忘れ去られた広島の記憶-」中道豪一

「厳島信仰事典」野坂元良 戎光祥出版

「広島県における管絃祭の研究Ⅱ<山間部の管絃祭と全体の比較考察>」大久保聖子 広島民族学会「広島民族」第93号


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