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いつの間にか僕も東京に染まってしまったなあと感じる瞬間ランキング

第1位のために書いた、非常にバランスの悪い原稿です。これは番組でもよく使われる、芸歴2年目ぐらいの宣材写真。僕はスーツをDCブランドの「DOMON」で買いました。東京という選択肢など頭の片隅にもなかった、30年前の華丸大吉です。

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今回は「いつの間にか僕も東京に染まってしまったなあと感じる瞬間」ランキングです。早いもので、福岡から上京して今年でなんと10年目。最初は見るものすべてが新鮮かつ刺激的で、東京に自分が住んでいること自体に興奮していましたが、今は毎日が大して変わらない日常となってしまいました。ほぼ毎週、福岡へ帰っているにもかかわらず、いや、そんなスケジュールだからこそ、すんなりと東京に馴染んでしまったのかもしれません。ということで、今回は別名「地元の友人から「うわっ!この人は東京に染まりんしゃった〜」と指摘される僕の言動」ランキングです。

第4位 高層ビルを見上げなくなった

見上げても特に何も起こらないし、どこのビルもそこそこ高いことに気がつきました。

第3位 街中で芸能人を見かけてもハシャがなくなった

嬉しい気持ちは変わりませんが、だからといってワーワー騒ぐのは恥ずかしいことなんだと、これは東京の人が態度で教えてくれました。

第2位 渋谷のスクランブル交差点を難なく渡れるようになった

上京当初は周りの看板や珍しい格好をした人に見とれてしまって上手く渡れませんでしたが、前だけを向いて落ち着いて歩けば案外余裕だということがわかりました。

第1位 羽田空港でホッとするようになった

同郷の大先輩、藤井フミヤさんから言われた言葉がようやく現実となりました。

華丸がモノマネで脚光を浴びていた頃だったから、上京して1年ぐらいだったと思います。福岡の特番でフミヤさんと共演することになり、そのオープニングを渋谷とかその辺りにあるビルの屋上で撮影していた時のこと。休憩中、眼下に広がる東京の街並みを眺めながら、フミヤさんが上京してきた時の思い出を僕たちに語ってくれたのです。

最初はチェッカーズみんなで共同生活だったとか、鳴かず飛ばずの頃は毎晩こっそり神社に行って神頼みしてたとか、色々と貴重な話を聞かせてくれたのですが、そこで特に熱く語ってくれたのは「あの頃はとんこつラーメンが東京になくて本当に困った」ということでした。なんでも、当時の東京では独特の臭いを放つとんこつラーメン屋さんはとにかく敬遠されていて、開店しても即閉店が当たり前だったとのこと。

「それがくさ、いつの間にかチェッカーズが売れて、俺たちがテレビとかラジオで「東京でもとんこつラーメンが食いたいです」って言いよったら、ホントにとんこつラーメン屋さんが東京にボコボコってできて、あっという間に大ブームになって現在に至るとばい。やけん、今お前たちが東京でとんこつラーメン食えるとは、マジで俺のおかげやけんね!」

そう言ってフミヤさんは笑っていましたが、当時のチェッカーズ人気を考えたら、これは大げさな話ではなく、限りなく真実に近い実話でしょう。そんな「日本の食文化まで変えた男」フミヤさんからこの時に頂いたのが「羽田に着いてホッとするぐらいになれば、お前たちも一人前バイ」という言葉でした。

これは故郷を捨てたとか、そんなんじゃなくて、東京に住んでいる以上、そう感じるのは人として当たり前のこと。そうならないうちは東京に萎縮しているだけだし、きっと仕事がうまくいっていない証拠だから、羽田空港に着いて「ああ、東京に帰ってきたなあ」と自然に思えるようになりなさいという、フミヤさんからの優しいアドバイスだったのです。そして「今の自分たちの調子がどんなもんかは、羽田空港が教えてくれるよ」という言葉もいただきました。

先輩、どうやら僕たち、順調みたいです!

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文字だと全く伝わらないけど、フミヤさんの方言には凄まじい色気があります。そして、フミヤさんのありがたいお話を聞きながら、福岡の人ってどこかに金八先生のDNAを持っているのかな?とも思いました。この言葉は身に染みました。

読んでくれて、見つけてくれて、ありがとうございました。