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伝えたいことを書く勇気

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000000125

藤沢市での記者経験3カ月
記者名 G司 K

 今年初め、藤沢市の「広報ふじさわ」(1月25日号)に市民記者養成講座の募集がありました。地域の情報をインターネット上に発信することを目的に、基本的な編集力を身につける講座、とあります。募集の条件はボランティアの市民記者として発信する人という一点のみ。10人程度を抽選で選ぶとのことでした。14人が2月から4月まで、5回の講座と5つの編集のための課題をメールと座学で履修しました。ISIS(イシス)編集学校(松岡正剛校長)のカリキュラムの一部が利用されていました。課題にはコンペもありゲーム感覚で参加でき、役立ったばかりではなく、面白かったです。

 もともと文は人なりで、2カ月勉強したからといって人間性に変化が起こり、その結果、文章力が向上するとは思えませんが、やっていることがとても面白くて熱中してしまいました。なにより書いた文章を掲載される場がもてるであろうことに喜びを覚えました。この喜びは他の13人の市民記者も同じであったと推測します。

 藤沢市は1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、インターネットを使って地域の課題解決や活性化を図ろうと考えてきました。1996年に現在の山本捷雄(かつお)市長が市民と行政のパートナーシップを確立する方向性をうちだし、翌97年、慶應義塾大学の金子郁容教授グループの協力を得て、「藤沢市市民電子会議室」というウェブサイトが発足しました。現在、行政と市民が計98の「会議室」で日夜議論しています。

 住民参加の行政が進めば、情報公開制度も充実します。その結果、行政の透明度は三鷹市と並び日本一です(日本経済新聞社・日経産業消費研究所編『全国優良都市ランキング2005-2006』、2005年3月発売)。この「電子会議室」を発展させたい金子研究室と、えのしま・ふじさわポータルサイトで市民記者欄を充実させたい藤沢市の思惑が一致して、現在の市民記者制度に至ったわけです。

 そして5月25日、えのしま・ふじさわポータルサイトに市民記者欄が設けられました。8月25日現在、合計110のコラムが掲載されています。93日間です。5回以上書いておられる方が、私を含め6人います。この6人の名前と、記事のタイトルを適当に羅列しますと。

アロハ亭夢子 「遊行の盆」
影法師 「朝茶」
湘太 「日本民藝館と柳宗悦邸」
G司K 「ダイオキシン裁判」
本野木阿弥 「藤沢駅前で明治の山車に会う」
紙風船 「学校給食、食べてきました!」

 これらの題名を見ると、藤沢市や金子研究室の目論見以上の作品が投稿されてきたのかもしれません。市民記者のページには太田剛世話人などのISIS編集学校のサポートがあります。藤沢市のIT推進課、市民自治推進課、ISIS編集学校、慶應義塾大学金子研究室。これらの組織が市民記者を支えているのです。

 じつは一度も投稿しておられない方もおられます。そのおひとりに、どうして投稿しなかったのか伺ったことがあります。その方によると、職場でレポートを書く場合、上司のチェックを受け、手直し後また上司に上げるのだそうです。これに対し、市民記者の仕組みの場合、投稿するコラムがそのまま掲載されることが多い。ですから投稿を怖く感じられたのです。同時に、書くなら完璧に書きたいとの欲求も強いとのことでした。この方は以前、職場で新聞を発行していて書くことや発表することが好きだったのに、臆してしまったようです。

 私は勇気について、自分の考えを伝えました。「溺れた人を助けることは勇気ではなく、それは本能である。勇気とは冷静に自分を分析し、知り、自分の今後の行動を考え、そのために時間、金、知識、知恵、エネルギーを自分で出し、使い、しかる後に行動することではないか。コラムを十二分に考え、実際に検分し、その結果、人に伝えたいことがあったら、書いたコラムに人から批判を受けたり、または無視されたりしても、それは是とすべきではないか」と。その方からは後日、感謝のメールが届きました。

 私は2年前に早期退職し、現在57歳です。それまで日本の海運業界や金融業界で働き、40歳代には起業もしました。最後は豪マッコーリー銀行の日本法人を立ち上げ、社長として航空機リースや道路買収などをやっておりました。退職後は藤沢市関連の審議委員など地元のボランティアをしています。「ボランティアは足元から」が私のモットーです。学生のころ、評論家・大宅壮一氏のマスコミ塾で勉強し、書くことが好きだったため、今回の藤沢市市民記者制度は、「まさに私のための制度である」と勝手に解釈しました。

 市民記者をしていて楽しいことは数えきれないくらいあります。「藤沢市のボランティアの市民記者です」と言えば皆さんから話していただけることが多いのです。全く思いもよらないことを知って驚くことは日常茶飯事です。書くこと、そしてそれを発表することは人の本能の一部かもしれません。

 もっとも、逆に困難に陥ることもありました。身内の人間のことを書こうとしましたら、実名を出すことに強い反対が親戚から出ました。また、インタビューの録音を文章に落としますと、舌足らずの部分がありましたので、手直ししましたところ、相手から新鮮な会話でなくなるから元にもどしてほしいと言われました。録音が消えてしまい、なんとかメモと記憶と資料で乗り切ったこともあります。

 一つ一つ障害を乗り越えていくことで、新たな障害に出会えることもまた嬉しいということもわかってきました。市民記者として人に何かを伝えることは、じつは本当の自分に出会う旅、巡礼のようなもの――。今ではこのように勝手に解釈しています。 

藤沢市市民記者
2006-08-28 09:00

記事中にも出てきた「江の島・藤沢ポータルサイト」は現在も地域の情報交流に活用されているようです。