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ロサンゼルス~街角に聞こえるスペイン語の響き

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002662

「銀色の轍」~自転車世界一周40000キロの旅~(10)
木舟 周作
2006-11-17 22:13

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撮影者:OhmyNews

 ロサンゼルス郊外のサンタモニカに着いたところで、僕はデリクと別れた。僕はサンタモニカに泊まるつもりだったが、彼はこの先のハンティントンビーチまで走ると言った。「メキシコまで行くんだろ。気を付けて」。デリクはそう言い残して、砂浜に沿った道を去っていった。

 サンタモニカでは再会が待っていた。シアトルで出会ったハセガワくんと同行のサトウくんだ。2人はロサンゼルスの知り合いの家に泊まっていた。僕が泊まろうと思っていたサンタモニカのユースホステルは満室だったが、彼らは隣のベニスビーチにも安い宿があることを教えてくれた。僕らは再会を喜び、その日は海水浴客で溢れるサンタモニカのビーチで日光浴を楽しんだ。いちおう海にも入ったのだが、7月半ばの水はまだ少し冷たかった。

■だんだん迫る“メキシコ”■

 翌日はバスに乗り、ロサンゼルスのダウンタウンに繰り出した。

 「小銭はきっちりないとだめですよ。日本みたいに両替機なんて素晴らしいものはついてませんから」。ハセガワくんが、そう教えてくれた。シアトルでもサンフランシスコでも、僕は市内を自転車で移動していたから、近距離のバスに乗るのは初めてだった。1700万もの都市圏人口を誇りながら、ロサンゼルスは鉄道交通網が恐ろしく貧弱であり、小1時間の道のりを、延々混み合ったバスに揺られなくてはいけなかった。

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ロサンゼルスの中心街
撮影者:木舟 周作

 ダウンタウンは喧噪に満ちていた。特に高層ビルの建ち並ぶ中心部、スペイン語の看板に埋め尽くされた一帯は熱気があった。品物が雑然と並べられ、歩道にはみ出さんとしていた。

 カリフォルニアの海沿いを下るにしたがい、町にヒスパニック系の人が増えていくのが分かったが、こうしてロサンゼルスの中心街を歩いてみると、歩いている人にも褐色の肌が目立ち、僕はますますメキシコが迫ってきていることを感じた。

■人との出会いは重なって■

 日本人街リトルトーキョーなどを訪れ、ぶらぶら歩いていると、やがて夕暮れ時が近づいてくる。
小銭をせがむ人、タバコをせがむ人、ダンボールの家を組み立て始める人。陽気だった町の雰囲気が、急速に変わっていく。「そろそろやばくなってきたな」。僕らはそう言い合って、帰りのバスに駆け込むことにした。

 「何がともあれ命が一番大事ですから、生きて帰ってきてくださいね」。彼らはこれからフロリダへ向かい、その後帰国するという。まだ旅が始まったばかりの僕に、ハセガワくんは真顔で言った。

 ベニスビーチの宿で、僕は小柄な日本人の女性旅行者に会った。彼女は幼く見えたが、実際は僕より年上で、このあとメキシコから中米を回ってみるつもりだと言った。「メキシコは前に1回行ったことがあるんだけど、そのときとても面白かったから」。キャスター付きのキャリアにザックを載せた彼女は、あっけらかんとしている。アメリカ国内を旅行する日本人は多いが、メキシコになるとぐっとその数は減るだろう。そう思っていた僕は、なんだか嬉しかった。

 泊まった宿には自転車を置くことができず、紹介された他の宿の倉庫を借りたのだが、そこで僕は、アメリカ人の年配チャリダーに出会った。

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ロサンゼルス南郊、いざメキシコへ
撮影者:木舟 周作

「どこから走ってきたんですか?」
「サンディエゴからだよ」
「どこまで走るんですか?」
「ボストンまでさ。まあ、行き着けるかどうか分からんけどね。やってみるんだ」

 サンディエゴからボストンといえば、アメリカ合衆国の南西端から北東端。日本でいえばさしずめ、鹿児島から稚内までという感覚に近い。距離はもっと遠いはずだ。

 もう定年後という年齢だろうか。僕は高圧的で独善的なアメリカという国は好きではなかったが、そんな挑戦心溢れるアメリカのおじいさんはとてもかっこいいと思った。おじいさんを見送り、僕も出発することにした。メキシコへは、3日もあれば着くだろう。

【出発から4060キロ(40000キロまで、あと35940キロ)】

* * * * *

【参考資料 (第1部 アラスカ・カナダ・アメリカ西海岸編)】

<期間>
2001年5月26日~7月20日(56日間)

<旅程>
東京(日本)→アンカレジ(アメリカ)⇒デナリ⇒フェアバンクス⇒ホワイトホース(カナダ)⇒スキャグウェイ(アメリカ)→ジュノー→ベリンハム⇒シアトル→イエローストーン⇒ソルトレイクシティ→サンランシスコ⇒ロサンゼルス⇒ティファナ(メキシコ)

(⇒は自転車走行、→はバスや船など交通機関利用による移動)

<1日あたり走行距離>
151~200キロ:11日
101~150キロ:14日
51~100キロ:4日
1~50キロ:20日(自転車による市内移動含む)
0キロ:6日(休養日)
(総走行距離:4347キロ)

<宿泊場所>
テント:25泊(キャンプ場、海岸など)
宿:15泊(ユースホステルなど)
家:8泊(ホワイトホースの家庭、サンフランシスコの知人宅)
船:4泊(アラスカ沿海フェリーの船中泊)
夜行バス:2泊(長距離グレイハウンドバスの車中泊)
空港:1泊(到着日のアンカレジ空港)

<出費>
アメリカドル:2623ドル
カナダドル:201ドル

以上を日本円に換算すると:34万0016円(うち、自転車および自炊用品等購入費として11万7043円)
1日あたり:3981円(自転車および自炊用品等購入費はのぞいて計算)

<第1部のこれまでの記事>
カリフォルニア南下~自転車野郎は共に往く<「銀色の轍」(9)>
華氏100度のアメリカ中西部<「銀色の轍」(8)>
最古の国立公園イエローストーンを走る<「銀色の轍」(7)>
シアトル~異国の地で初めて知る日本語への飢え<「銀色の轍」(6)>
アラスカ沿海~大自然だけではない極北の魅力<「銀色の轍」(5)>
ホワイトホースの家族との出会い、そして別れ<「銀色の轍」(4)>
アラスカハイウェイ、午後11時の夕焼け<「銀色の轍」(3)>
デナリ~自然の雄大さと広大な静けさ<「銀色の轍」(2)>
成田出発~アンカレジ<「銀色の轍」(1)>

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
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コメントはつけていませんでしたが、毎回読んでいましたよ。次回はメキシコ国境です。