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小泉首相は無責任だ

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000127

靖国に歴史を学べ
記者名 桐島けい

 小泉首相が首相在職中最後となる8月15日、靖国神社に参拝した。公用車で靖国神社を訪れ、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳。現職首相による終戦記念日の参拝は85年の中曽根康弘元首相以来21年ぶりだそうだ。予想された中国や韓国からの反発に対し、「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と不快感を表したという。

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8月15日、靖国神社を参拝する小泉首相(ロイター)

 「心の問題」「私人として」というのなら、公用車を使って神社にまで足を運び、「内閣総理大臣」と記帳するのは明らかに矛盾ではないか?公私混同はなはだしい?(「公用車は公務を遂行するために必要がある場合に限り利用することができる」というのが常識のはずだが、首相は特別に私用にも公用車が使えるのか?)一国の首相が他国との外交関係に関する行動を「心の問題」で収められるのか?「私人」で行くならなぜ公用車を使う?「公人」であるならなぜ国会等で靖国神社や祀られている人々の位置づけを議論せずに独断で行くのか?賛成者ばかりでなく、参拝に反対で迷惑にさえ思っている日本人がいることは分かっているのか?

 靖国神社に関してはA級戦犯の合祀問題、遺族の心情など複雑な問題が絡んでいるが、一国の首相で国を代表する立場になるのであればもっと慎重になるべきで、あまりにも無責任だ。

 実際、中国や韓国の対日感情は悪化しているし、参拝に賛成にしろ反対にしろ、その尻拭いをするのは周囲の人々だ。私もイギリス留学中、中国人の友人を中心に「日本は何を考えているのか」と言われたことも多々だった。個人的に第二次世界大戦で日本はアジア諸国に甚大な被害をもたらしたと考えているし、そのような戦争に駆り立てた当時の指導者層をも「神」として祀る靖国神社に首相が参拝するのに反対なだけに、「一緒にしないでほしい」と嫌な思いを何度も味わった。ドイツ人やイギリス人の友人らにも同じようなことを言われるし、イギリスの新聞を読んでいても「過去を反省しない日本」批判の記事が目立つ。たとえが極端だが、彼らには今のドイツ政治家がナチス戦犯の墓に参るように見えるらしい。

 「中国、韓国が口出しする問題ではない」と小泉首相はいうが、日本国内でも反対意見が半分近くを占める状況をどう見るか。日本遺族会でさえ靖国神社に祀られているA級戦犯分祀の是非の検討を始め、先日は昭和天皇が合祀に「不快感」を示していたという元側近のメモも見つかった。中国、韓国はさておいて、小泉首相は日本国内の批判の声にもなんら答えていない。

 鳥越編集長が開店準備中ブログにも書いていたが、人々を戦場に駆り立てるのに時の政府・軍部が靖国神社を利用していたのはよく指摘されることであり、靖国神社の成り立ちや戦時中に果たした役割については様々な文献が出版されているが、これらを踏まえず、「国のために殉じた人々を祀る靖国神社に参るのがなぜ悪い」と感情のみ走った議論が多すぎるように見える。欧米列強の脅威とアジアの植民地化の恐れ、資源の確保などの理由があったかも知れないが、アジアを中心に多大の被害を出した第二次世界大戦を引き起こした責任は免れないし、誤った情報を流し続けて日本国内でも多くの被害者を出し続けたのも事実だ。

「謝ったのに、なんでアジアはいつまでも言い続けるのだ」と私も一時は考えたこともあった。だが中国の友人らから「謝ったのはわかるし、評価している。けれど、その一方で首相や大臣が靖国神社に行く。本心では謝罪していないのではないのか、としか思えない」と聞き、「そう思われてもしかたがないなあ」と思った。日本には「過去のことは水に流す」といった禊の文化があるが、それは世界普遍の原理ではない。

 中国や韓国のナショナリズム教育も問題で、日本たたきを国をまとめる手段の一つにしていることは否めない。ならばそれに口実を作らせず、将来に向けた関係を作るためにも靖国神社問題、戦後補償問題などは「歴史認識の違い」といった言葉で一方的に対話を閉じるのではなく、きちんと協議すべきではないか。先にも述べたが、私自身は参拝には反対であるが。

 このようなことを言うと「自虐史観」という人もいるが、過去に何が起こったかを見つめるのは大切だし、このように思うからといって「自国を貶めている」とは思わない。私自身、日本はいい国だと思っているし、誇りにも感じる。南京大虐殺や従軍慰安婦、731部隊のことなども詳しく学んだが、これらは「歴史」になりつつあり、その上にたって他国との関係を作っていくことが重要だと考える。「国を守るために」「アジアの解放のために」との「崇高な理念」が、どのようにしてアジア諸国の人々の虐殺や壊滅的な破壊につながったのか。ある国の「善意」が、他国にとっての「悪意」になぜ、どのようにしてなりうるのかー。それらを考えるのにも靖国問題はいい機会なのではなかろうか。
2006-08-28 09:00

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
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この記事についたコメントの数は133。わたしも一次情報にあたることは非常に大事なことだと考えています。そしてその情報が正確なのかそうでないのか分析することも同時に大切なことだと知っています。情報戦ってそういうものでしょう?