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ボランティア活動は何が目的か

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001729

評価向上、強制、それとも自己満足?
記者名 W久井 S
2006-09-27 07:50

【画像省略】
長野県の郷土料理「おやき」を作るボランティアのみなさん
撮影者:W久井 S

 私の勤務する宅幼老所で、誕生日会が先日行われた。
 
 毎月行われるこの誕生日会。今回は昼食に長野県の郷土料理である「おやき」が出されることに。そこで、近所のボランティアの方々にも来てもらった。なす、ニラ、あんこなどのおやきに皆さん大満足。今月誕生日を迎えた共に91歳の男女にも喜んでもらえたようだ。

 ところで、私どもの宅幼老所には、中学生や高校生のボランティアも来ることがある。が、どうやら目的が違うように思われる。
 
 彼らは将来福祉の仕事に就きたいので今のうちに勉強したいと言う。実際話を聞くと、福祉関係の職に関心があること自体は本当のようだ。

 ところが、勉強のためというよりは、進学のためというのが本当の目的。休日にボランティア活動をすることにより、自分の評価が上がるとのこと。
 
 体が不自由な方や認知症で意思の疎通ができない方、手で物を食べてしまう方々を見て大声で笑い、暇さえあればメールを打つ。そして、さも仕事をしたかのように丁寧に挨拶をして家へと帰る。これがボランティアか。
 
 2年前の新潟中越地震のときの話をふと思い出した。
 
 当時、数多くのボランティアの方が支援活動をしていた。隣の県である長野県からも多くの方が現地へと向かった。その中で、こんな話を聞いたことがある。
 
 ある男性が近所の方に声をかけられた。新潟でのボランティア活動への誘いだ。声をかけられた男性は自分も行きたかったが、ちょうどその日は用事があり、出かけることができなかった。

 すると「なんてひどい奴だ。あんなに困っている人がいるのに」と非難されたというのだ。
 
 仕事や用事、家族との約束まで無視して活動することが美とされ、そうでないと非難される。それがボランティアの真の姿なのだろうか。

 ただそこへ行き、あたかも人を救ったかのような顔をするのが美とされていいのだろうか。
 
 認知症高齢者を指差し笑い、意味がわからず笑われたお年寄りも笑顔で返す。それでお年寄りを喜ばせたとでも思っているのだろうか。

 私はあの笑顔を忘れることができない。

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
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この記事についたコメントは3件。

3 monkey 09/29 13:50
>「なんてひどい奴だ。あんなに困っている人がいるのに」と非難された
こういう考え方をする人は危険ですね。
2 Hideo 09/29 02:37
“ボランティア=志願者(volunteer)”は“自発的な(voluntary)”というニュアンスを多分に含んでいるはずですが、勘違いしてる人が多すぎますよね。
1 こけもも 09/27 10:56
私もボランティアとは強制されるものではないと思います。
自分のできる範囲のことをすればいいのではないかと思います。

さて、学生さんのボランティアの態度について、私の思うことを
書かせていただきます。確かにそういう態度をみると
一体、どういう育ち方をしたんだ、と怒りを感じますね。
もうそれくらいのマナーや常識は持っていてもいいはずだと。
でも、彼らもまだ子供ですし、もし学校での授業として
ボランティア活動を義務づけているような場合は、
学校側が、マナーや態度をきちんと教えてから送り出すべきだと
思いますし、最初は先生が引率するくらいのことはしてもいいんじゃないかと思います。

そのくらいの年代の子供はよくないこととはわかっていても
友達といるとついつい一緒になって誰かを嘲笑したりすることがあると思います。
そういうときに、なんて子供だとただ冷たい視線を送るだけではなく
そういう態度はよくないと教えてあげるのも、大切ではないでしょうか。

現実的な答えを書くと、この先もずっとなくなることはありません。ただ少なくする努力はしていきたいですね。

「オレはこれだけ募金した!(だからエライ)」「わたしはこれだけ社会貢献活動をした!(だからエライ)」でまわっていくならそれでもいいと思います。しない善よりする偽善、いい言葉だと思いますよ。